非業の死
ひごう‐の‐し〔ヒゴフ‐〕【非業の死】
非業の死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 23:36 UTC 版)
イギリスに戻り、何作もの作品に出演していたが第二次世界大戦が勃発。各地で兵士達を応援する講演のため飛び回った。1943年6月1日 、ハワードが搭乗したポルトガルのリスボン発イギリスのホワイトチャーチ行きのBOAC777便(ダグラスDC-3、機体記号G-AGBB)は、ビスケイ湾の公海上でドイツ空軍のユンカースJu 88に攻撃され墜落。この事件でハワードを含む乗員乗客17人全員が死亡した (レスリー・ハワード搭乗機誤撃事件)。 第二次世界大戦当時のポルトガルは中立国で、リスボンは枢軸国と連合国の捕虜交換の拠点となっており、そのため各国のスパイが暗躍する舞台となっていた。事故当時イギリスのチャーチル首相は仏領アルジェリアのアルジェを訪問中で、たまたまハワードのマネージャーがチャーチルとよく似た年格好をしており、またハワード本人も首相のボディガードとよく似ていたため、ドイツのスパイがこの二人をイギリスへの帰途にある首相一行だと誤認、事故機を首相搭乗機として追撃したものといわれる。 なおドイツ諜報部はハワード本人にもスパイ活動をしている疑いをかけていたが、実際にそのような事実があったことを裏付ける資料はない。
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