日本の伝統芸能
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日本の伝統芸能(にほんのでんとうげいのう)は、日本において歴史的に形成・伝承されてきた芸能を指して用いられる総称である。「芸能」は、音楽、舞踊、演劇、演芸など、人間の身体による実演を通じて表現・伝承される技芸を広く指してきたが、「伝統芸能」の範囲は、芸能研究、文化政策、法令などによって必ずしも一致しない[1][2][3]。現行の文化芸術基本法では、雅楽、能楽、文楽、歌舞伎、組踊などを「我が国古来の伝統的な芸能」としている[4]。
日本列島では古くから祭祀や儀礼に伴う歌や舞が行われ、大陸や朝鮮半島などから伝来した音楽・舞踊も受容された。古代には宮廷や寺院を基盤として雅楽や声明が発達し、中世には猿楽・田楽などを背景として能・狂言が形成された。近世には、武家の儀礼芸能である能楽と並んで、都市の興行を基盤とする歌舞伎・人形浄瑠璃、三味線音楽、寄席芸などが発達し、琉球王国では琉球古典音楽・琉球舞踊・組踊などが形成された。各地域では、祭礼、年中行事、信仰、生業などと結び付いた民俗芸能も伝承されてきた。
本項では、雅楽、声明、能楽、歌舞伎、人形浄瑠璃・文楽、日本舞踊、伝統音楽、琉球の芸能、アイヌの歌・踊り、民俗芸能、大衆芸能・寄席芸などを扱う。文化芸術基本法では講談、落語、浪曲、漫談、漫才などは「伝統芸能」と別の「芸能」に位置付けられる一方、日本芸術文化振興会は大衆芸能を伝統芸能の公開事業の対象に含めている[4][5]。
個々の芸能は、それぞれの稽古・伝承組織や記録方法を通じて継承されてきた。第二次世界大戦後には文化財保護法による無形文化財・民俗文化財の保護制度や、国立劇場などによる公開・伝承者養成・調査記録の制度が整備された[6][7][5]。能楽、文楽、歌舞伎、雅楽、組踊、アイヌ古式舞踊をはじめ、日本の芸能の一部はユネスコ無形文化遺産の代表一覧表にも記載されている[8]。
概念と範囲
芸能
「芸能」は、現代では主として、人間の身体による実演を通じて表現・伝承される音楽、舞踊、演劇、演芸などを指す。実演は特定の時間と場所において成立するが、近代以降は録音・録画・放送などの媒体を通じて提示されるものについても「芸能」の語が用いられるようになった[1]。
「芸能」はもともと「芸」と「能」からなる語で、中国古代では学問や技術、才芸、能力などに関わる意味で用いられた。日本では『大宝律令』の医疾令にみえる用例が早く、古代・中世には学問、武術、美術、歌舞音曲、遊戯、手工業などを含め、修練によって身につけた「わざ」や能力を広く指した[1]。
平安時代には歌舞音曲を指す用例も現れ、室町時代以降その傾向が強まった。江戸時代には詩歌、連句、茶の湯、花、蹴鞠などを含む遊芸的な技芸にも用いられた。明治時代以降、「芸術」が英語の art やドイツ語の Kunst の訳語として定着すると、創作性を重視する「芸術」に対して、伝承性をもつ技芸を「芸能」と呼び分ける傾向が生じたとされる[1]。
日本の芸能研究でも、芸能は演劇だけを指す概念ではなく、音楽、舞踊、語りなどを含む実演行為に関わる概念として論じられてきた。相原進は林屋辰三郎・守屋毅らの芸能論を整理し、「芸」を修練によって身につけた「わざ」、「能」を個人に備わる能力として捉え、芸能においてはその能力が実演として現れることが重視されてきたと論じている[2]。芸能史研究では、個々の演目や様式だけでなく、実演者、観客、上演の場、それを支える社会的・歴史的環境なども研究対象となる[9]。
「伝統芸能」の範囲
「伝統芸能」の語が指す範囲は、研究、文化政策、法令などによって必ずしも一致しない。寺内直子は、日本の伝統芸能に対する文化政策を検討する際、研究上の操作的な定義として、明治以前までに様式が完成した芸能を対象としている[3]。
文化芸術基本法第10条は、雅楽、能楽、文楽、歌舞伎、組踊その他の「我が国古来の伝統的な芸能」について、その継承・発展のために必要な施策を講ずることを定める[4]。同法では、講談、落語、浪曲、漫談、漫才、歌唱などは第11条の「芸能(伝統芸能を除く。)」として別に規定されている。一方、日本芸術文化振興会の事業では、邦楽、日本舞踊、声明、民俗芸能、大衆芸能なども伝統芸能の公開・伝承者養成等の対象として扱われている[5]。
文化財制度上の区分
文化財保護制度における無形文化財は、演劇、音楽、工芸技術その他の無形の文化的所産のうち、日本にとって歴史上または芸術上価値の高いものをいう。無形文化財は、作品に用いられる道具や衣装そのものではなく、演者や技術者によって体現される人間の「わざ」を対象とする[6]。
無形文化財のうち重要なものは「重要無形文化財」に指定され、そのわざを高度に体現する個人または団体が保持者・保持団体として認定される。重要無形文化財に指定されていないものでも、芸能や工芸技術の変遷を知るために記録作成や公開を必要とするものは、「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」に選択されることがある[6]。
これに対し、民俗文化財は、衣食住、生業、信仰、年中行事などに関して、人々の日常生活の中で生み出され、継承されてきた有形・無形の伝承を対象とする。民俗芸能はその一分野であり、地域の祭礼や行事において演じられる歌、舞、踊り、演劇などが含まれる[7][10]。文化芸術基本法上の「伝統芸能」と、文化財保護法上の無形文化財・民俗文化財は、それぞれ異なる制度上の区分である[4][6][7]。
歴史
古代
日本列島では、先史時代から土鈴、土笛、石笛などの音具が用いられた。弥生時代以降には銅鐸や弦楽器、古墳時代には琴や太鼓などを演奏する人物を表した埴輪も作られた。ただし、当時の音楽や舞の具体的な形態は明らかではなく、後世の伝統芸能との直接的な系譜を確認できるとは限らない[11]。
『古事記』『日本書紀』『万葉集』『風土記』などには、神を迎える歌舞、死者を弔う歌、地域ごとに伝えられた歌や舞などが記録されている。ヤマト王権の形成に伴い、各地の歌舞の一部は宮廷儀礼に取り入れられ、後世に国風歌舞と総称される御神楽、倭舞、久米舞、東遊、五節舞などへと整理されていった[11]。
古墳時代から奈良時代にかけては、中国大陸や朝鮮半島をはじめとするアジア諸地域から音楽、舞踊、曲芸などが伝来した。朝鮮半島に由来する楽舞のほか、唐楽、伎楽、散楽などが宮廷や寺院で演じられた[12]。大宝元年(701年)に定められた大宝令によって雅楽寮が設置され、国家的な行事における演奏と演奏者の養成が制度化された[13]。
仏教の受容に伴って、経典を旋律的に唱える声明などの仏教音楽も伝えられた。声明は寺院の儀礼として各宗派に伝承されるとともに、その旋律や発声は後世の歌謡や語り物にも影響を与えた[12]。
平安時代には、渡来した楽舞が日本の宮廷社会に適合するよう再編された。外来系の楽舞は、主に中国系統の唐楽と朝鮮半島系統の高麗楽に整理され、日本で新たに作られた楽曲も加えられた。管絃・舞楽に加え、催馬楽や朗詠などの声楽曲、国風歌舞を含む、現在の雅楽の基礎が形成された[14]。
平安時代には、管絃・舞楽を中心とする雅楽が宮廷や大寺院の儀式に定着し、京都・奈良・天王寺などを拠点とする楽人によって伝承された[1][15]。
中世
中世には、宮廷、寺社、武家、都市民など、異なる社会集団を基盤とする芸能が展開した。寺院では法会の後などに延年が行われ、歌謡、舞、物まね、寸劇などが演じられた。各地の寺社では、散楽から発達した猿楽や、農耕儀礼などと関係する田楽も盛んになり、専門芸能者による「座」が形成された[16]。
歌謡と語り物も発達した。琵琶の伴奏によって『平家物語』を語る平家琵琶は、鎌倉時代に琵琶法師の芸能として成立し、平家一門の鎮魂や仏教的な教化と結び付きながら、鑑賞のための語り物としても広まった。白拍子、曲舞、幸若舞など、歌、舞、語りを組み合わせた芸能も行われた[17]。
室町時代には、猿楽と田楽が公家・武家の支持を受けて競い合った。大和猿楽の観阿弥・世阿弥は、物まねを中心とした猿楽に歌舞や物語的構成を取り入れ、室町幕府の保護の下で能を大成した。能と同じ舞台で演じられた笑いと対話を中心とする芸は狂言として様式化され、両者は後に能楽と総称されるようになった[16][18]。
地域社会では、祭礼、農耕儀礼、祖先供養などと結び付いた神楽、田楽、風流、念仏踊り、獅子舞などが伝承された。宮廷・寺社や都市の芸能が地方に伝わり、地域固有の信仰、音楽、舞踊と結び付いて変容した例もある[19]。
近世
安土桃山時代から江戸時代にかけては、武家の儀礼芸能と都市の興行を基盤とする芸能が並存した。能楽は豊臣秀吉や徳川将軍家の保護を受け、江戸時代には四座一流が幕府の式楽として位置付けられた。諸藩も能役者を抱え、謡は町人層にも広まった[16][1]。
応仁の乱などによって衰退した雅楽も、京都、奈良、天王寺の楽人が協力して演奏する三方楽所の体制などによって再興された。江戸時代には、江戸にも幕府の祭祀を担う紅葉山楽人が置かれ、雅楽は宮廷・寺社だけでなく、一部の大名や藩校にも受容された[20]。
16世紀後半には、琉球王国の三線をもとにした三味線が本土に広まり、歌謡や語り物の伴奏に用いられた。地歌、箏曲、長唄、義太夫節、常磐津節、清元節、新内節など、多数の音楽ジャンルが成立し、箏や尺八との合奏も発達した[20]。
17世紀初頭には、出雲阿国の「かぶき踊り」を端緒として歌舞伎が成立した。女歌舞伎・若衆歌舞伎が幕府によって禁止された後、成年男性が演じる野郎歌舞伎へ移行し、演劇性が強まるとともに、男性が女性役を演じる女方などの様式が形成された。元禄期以降には、演技、舞踊、音楽、舞台機構を組み合わせた都市の劇場芸能として発展した[21]。
人形を操る芸と浄瑠璃が結び付いた人形浄瑠璃も、江戸時代初期に成立した。大坂では竹本義太夫の義太夫節、近松門左衛門らの作品、人形操法の発達によって隆盛し、歌舞伎との間で作品や演出を相互に取り入れた。幕末以降、大坂の有力な一座となった文楽座の系統が、後の文楽へ受け継がれた[22]。
講釈、落とし噺、曲芸などの大衆芸能も都市の盛り場で発展した。江戸時代後期には、講談や落語などを上演する常設的な寄席が江戸・大坂を中心に広がり、太神楽をはじめとする曲芸、物まね、音曲なども寄席の番組に取り入れられた[23]。
琉球王国では、三線を中心とする宮廷音楽や舞踊が発達した。1719年には、冊封使を歓待する御冠船踊の演目として、玉城朝薫が創作した組踊が初演された。組踊は台詞、音楽、舞踊を組み合わせた歌舞劇として王府内で発展した[24][25]。
中世から近世にかけては、万歳、太神楽、猿回しなど、各地を巡回して芸を行う職業的・遊行的な芸能者も活動した。こうした芸能者による芸の伝播は、地域社会の祭礼や芸能にも影響を与えた[1]。
近代
明治維新による社会制度の転換は、幕府、諸藩、宮廷、寺社など異なる社会的基盤のもとで伝承されてきた芸能にも影響を及ぼした。能楽や雅楽をはじめ、従来の保護・伝承制度を失った芸能では、新たな後援者や組織のもとで伝承体制の再編が進められた[26]。
雅楽では、京都や奈良などの楽人が東京へ移り、宮内省系統の組織で伝承を続けた。能楽は幕府・諸藩の保護を失って打撃を受けたが、皇室、華族、政財界人などが新たな後援者となった。1881年(明治14年)には能楽社が設立され、芝能楽堂を拠点として演能が行われた[27]。
歌舞伎では、明治時代に演劇改良運動が起こり、九代目市川團十郎は史実の考証を重視する活歴物を試みた[28]。明治後期から昭和初期には、坪内逍遥、岡本綺堂ら歌舞伎外部の作者による作品が上演され、これらは新歌舞伎と呼ばれた[29]。
邦楽や日本舞踊でも、明治以降には劇場外での演奏会・舞踊会が展開した。長唄では演奏会活動が盛んになり、歌舞伎の伴奏から独立した演奏活動も発達した[30]。
西洋音楽の導入と学校教育、軍楽、放送、録音技術の普及は、伝統音楽の環境を変化させた。箏曲・尺八などでは西洋音楽の要素を取り入れた作品や新しい楽器が考案され、浪曲や筑前琵琶など、近代に新たに成立・発展した芸能もあった[31]。
第二次世界大戦後
第二次世界大戦後には、伝統芸能を文化財として保存・継承する制度が整備された。1950年(昭和25年)の文化財保護法制定によって、演劇・音楽などの「わざ」が無形文化財として文化財保護制度に組み込まれた[6]。
1966年(昭和41年)には国立劇場が開場し、その後、国立能楽堂、国立文楽劇場、国立劇場おきなわなど、伝統芸能の公開・伝承を担う国立の施設が整備された[5]。
主な分野
個々の芸能には、音楽・舞踊・演劇など複数の表現要素を含むものがある。以下では、歴史的な種目・伝承体系ごとに主要な分野を概説する。
雅楽
雅楽は、管絃、舞楽、国風歌舞、催馬楽・朗詠などの歌物から構成される[32][33]。
管絃では、笙、篳篥、龍笛などの管楽器、楽琵琶・楽箏などの絃楽器、鞨鼓・太鼓・鉦鼓などの打楽器による合奏が行われる。舞楽では、唐楽を伴奏とする左方の舞と、高麗楽を伴奏とする右方の舞を中心とする上演体系が伝承されている[34]。
声明
声明は、仏教の法会や儀礼において、経典などの文言を旋律や節を伴って唱える声の音楽である。宗派ごとに唱法や曲目が伝承され、寺院の儀礼音楽として行われてきた[35][36]。
能楽
能楽は、能と狂言からなる舞台芸能である。能は謡、囃子、舞を主要な表現手段とし、能面、装束、様式化された所作などを用いる[37]。
狂言は、能とともに猿楽から発達した、せりふを主要な表現とする劇である。せりふを中心としながら、謡や舞などの音楽的・舞踊的要素も含む[38]。狂言方だけによって独立した一曲として演じるものを本狂言といい、能の一部に狂言方が登場して演じる役・場面を間狂言という[38]。
能楽の演者は、主役を演じるシテ方、相手役を演じるワキ方、狂言方、囃子を担当する囃子方などに分かれ、それぞれに複数の流儀がある[39]。
歌舞伎
歌舞伎は、俳優の演技、音楽、舞踊、衣装、化粧、舞台装置・舞台機構などを組み合わせる演劇である[40]。
演目は、歴史上の人物や事件などを題材とする時代物、町人社会などを題材とする世話物、舞踊を中心とする所作事などに分類される。女方、見得、隈取などの演技・扮装や、花道、廻り舞台などの舞台機構も用いられる[40]。
人形浄瑠璃・文楽
人形浄瑠璃は、浄瑠璃を語る太夫、三味線、人形遣いによる人形芝居を組み合わせた芸能である。その代表的な伝承である文楽では、太夫・三味線・人形遣いの三者によって舞台が構成される[22]。
日本舞踊
日本舞踊には、歌舞伎舞踊、上方舞などの系統がある。歌舞伎舞踊では長唄、常磐津節、清元節などが伴奏音楽として用いられる[42]。
上方舞は、江戸時代中期から末期に上方で発達した舞踊で、座敷を中心とする比較的小規模な空間で伝承されてきた[43]。
伝統音楽
日本の伝統音楽には、雅楽、声明、能楽の音楽、琵琶楽、三曲、三味線音楽、民謡など、多様なジャンルがある[44]。
琵琶楽には、『平家物語』を語る平家琵琶、武士的な物語を多く扱う薩摩琵琶、近代に成立した筑前琵琶などがある[44]。
三曲は、地歌、箏曲、尺八楽、胡弓楽の総称である。また、地歌三味線と箏に尺八または胡弓を加える三曲合奏も行われる。江戸時代には胡弓を加える編成が一般的で、明治以降は尺八を加える合奏が盛んになった[45]。
三味線音楽には、人形浄瑠璃に用いられる義太夫節、歌舞伎や日本舞踊に用いられる長唄、常磐津節、清元節、座敷などで発達した地歌、新内節、端唄、小唄などがある[46]。
伝統的な声の音楽は、旋律的に歌う表現を中心とする「歌いもの」と、物語や人物の言葉を語る表現を中心とする「語りもの」に大別されることがある。地歌・箏曲や長唄は歌いもの、義太夫節、常磐津節、清元節などの浄瑠璃は語りものの代表例とされる[47]。
琉球芸能
琉球諸島には、琉球古典音楽、琉球舞踊、組踊などの芸能が伝承されている。琉球古典音楽は三線の弾き歌いを中心とし、宮廷舞踊や組踊などとも関わる[48]。
アイヌの歌・踊り
アイヌには、祭祀、祝宴、行事、日常生活などと結び付いて伝承されてきた歌や踊りがある。歌を伴って集団で踊るものや、動物の動きを表す踊りなど、多様な形態が伝承されている[50]。
歌と踊りの名称や区分は地域によって一様ではない。谷地田未緒は、文献に記録された「ウポポ」「リムセ」などの用例を検討し、アイヌの伝統的な歌と踊りについて、近代的な「歌」と「踊り」の区分をそのまま適用することの難しさを指摘している[51]。
民俗芸能
民俗芸能は、地域社会の祭礼、年中行事、信仰、生業などと結び付き、その地域の人々によって伝承されてきた歌、舞、踊り、演劇などをいう[10]。
本田安次は『図録日本の民俗芸能』(1960年)において、民俗芸能を神楽、田楽、風流、祝福芸、外来脈の五つに分類した[52]。神楽には巫女神楽、出雲流神楽、伊勢流神楽、獅子神楽など、田楽には予祝の田遊や御田植神事、風流には念仏踊、盆踊、太鼓踊などが含まれる。祝福芸には来訪神、千秋万歳、語り物などが分類され、外来脈には伎楽、舞楽、延年、散楽、能・狂言、人形芝居、歌舞伎芝居などが置かれている[52]。
大衆芸能・寄席芸
文化芸術基本法では、講談、落語、浪曲、漫談、漫才などは、第10条の「伝統芸能」とは別に、第11条の「芸能」として規定されている[4]。
表現と伝承
型と台本
芸能は、人間の身体によって表現される技法と形の伝承を主要な特徴とする[1]。伝承される内容や記録方法は芸能によって異なり、台本、詞章、楽譜などの記録を伴うものもある。
歌舞伎では、代々伝承されてきた演技や演出の様式を「型」と呼ぶ。型は一人の俳優の動作だけでなく、共演者の演技、衣装、化粧、舞台装置などを含む演出全体に及ぶことがある。また、同じ作品・役であっても複数の型が存在し、特定の家や俳優の系統と結び付いて伝承される例もある[53]。
狂言では、室町時代末期から江戸時代前期にかけて台本の固定が進み、流儀・家ごとに異なる台本が伝えられてきた。同一の演目でも、流派によって筋立てや演出などが異なる場合がある[54]。
稽古・口伝と専門分業
伝承の方法は芸能によって異なり、雅楽では、楽器の旋律を声で歌う唱歌が稽古の基礎となる。学習者は唱歌を繰り返して曲を記憶し、その旋律や拍の取り方を身に付けた後、楽器の奏法を習得する。こうした技法は、師匠から弟子へ口頭で伝える口伝によって受け継がれてきた[55]。
能楽では、シテ方、ワキ方、狂言方、囃子方などの役割が分かれ、それぞれに複数の流儀がある。演者は自らが属する役籍と流儀の芸を専門的に修練し、異なる役割を担う演者と舞台上で協働する[39]。
文楽では、太夫、三味線、人形遣いがそれぞれ専門の技芸を修練する。従来の師弟関係による入門に加え、国立文楽劇場などの研修制度を経て基礎教育を受け、その後に現役の技芸員へ弟子入りして修業を続ける経路も設けられている[56]。
保存・継承と振興
文化財保護制度
日本では、歴史上または芸術上価値の高い演劇・音楽などの「わざ」は、文化財保護法に基づく無形文化財として保護の対象となる。国は、無形文化財のうち重要なものを重要無形文化財に指定し、そのわざを高度に体現する個人または団体を保持者・保持団体として認定している[6]。
保持者等の認定には、個人を認定する「各個認定」、複数の保持者を一体として認定する「総合認定」、一定の技法を共有する団体を認定する「保持団体認定」がある。国は、保持者・保持団体による伝承者養成や公開、地方公共団体などによる保存事業を支援している[6]。
国立劇場と伝承者養成
日本芸術文化振興会は、国立劇場、国立能楽堂、国立文楽劇場、国立劇場おきなわなどを通じ、伝統芸能の公演、伝承者養成、調査研究、資料収集、普及事業を行っている[5]。
国立劇場の養成事業では、歌舞伎俳優・歌舞伎音楽、文楽、大衆芸能、能楽、組踊の伝承者を対象に、関係団体の協力の下で体系的な研修を行っている[57]。
調査・記録と復活上演
日本芸術文化振興会は、主催公演の台本・床本、上演記録、舞台写真、録音、映像などを収集・作成し、その一部を公開している[58]。また、調査に基づく復活上演や、伝統的な演出・技法を基盤とする新作の上演も行っている[5]。
地域における継承
民俗芸能は地域の祭礼や行事と結び付いて伝承されている[10]。国は、地方公共団体が行う無形の民俗文化財の保存・伝承事業や調査・記録作成などに対して助成を行っている[7]。
用具・原材料と保存技術
伝統芸能の実演には、楽器、面、人形、衣装、かつら、舞台道具など、各芸能に固有の用具が用いられる。文化財保護制度では、文化財の保存のために欠くことのできない伝統的な技術または技能のうち、保存措置を講ずる必要があるものを選定保存技術として選定し、その保持者・保存団体を認定している[59]。
文化庁は、重要無形文化財の芸能に必要な用具や原材料について、製作者の減少や原材料の確保などを保存上の課題としている[60]。
公開・普及
日本芸術文化振興会は、国立劇場各館における公演、地方公演、鑑賞教室などを通じて伝統芸能の公開・普及を行っている[5]。
ユネスコ無形文化遺産
日本の芸能のうち、能楽、文楽、歌舞伎、雅楽、組踊、アイヌ古式舞踊などは、無形文化遺産の保護に関する条約に基づく「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に記載されている[8]。
このうちアイヌ古式舞踊は、国内では1984年(昭和59年)に重要無形民俗文化財に指定され、2009年(平成21年)にユネスコ無形文化遺産の代表一覧表に記載された[50]。
関連項目
脚注
出典
- 1 2 3 4 5 6 7 8 中村 & 三隅 2014.
- 1 2 相原 2007, pp. 61–63.
- 1 2 寺内 2001, p. 77.
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- 1 2 「アイヌ古式舞踊」『文化遺産オンライン』文化庁。2026年8月24日閲覧。
- ↑ 谷地田 2022, pp. 119–125.
- 1 2 本田 1960, pp. 8–34.
- ↑ 「演技の様式と見得」『文化デジタルライブラリー』独立行政法人日本芸術文化振興会。2026年7月13日閲覧。
- ↑ 「能楽研究の基礎文献」『神戸女子大学古典芸能研究センター』。2026年8月24日閲覧。
- ↑ 「唱歌と口伝」『文化デジタルライブラリー』独立行政法人日本芸術文化振興会。2026年7月13日閲覧。
- ↑ 「文楽 よくある質問」『文化デジタルライブラリー』独立行政法人日本芸術文化振興会。2026年7月13日閲覧。
- ↑ 「概要・沿革」『国立劇場養成所』独立行政法人日本芸術文化振興会。2026年7月13日閲覧。
- ↑ 「資料の利用について」『独立行政法人日本芸術文化振興会』。2026年7月13日閲覧。
- ↑ 「選定保存技術」『文化庁』。2026年8月24日閲覧。
- ↑ 「重要無形文化財(芸能)の保存に必要な用具・原材料 (PDF)」文化庁。2026年8月24日閲覧。
参考文献
- 中村茂子; 三隅治雄「芸能」『改訂新版 世界大百科事典』(改訂新版 第6刷)平凡社、2014年。
- 相原進「日本の芸能研究における視角と方法に関する考察――「環境論」と「芸態論」を中心として」『立命館産業社会論集』第43巻第3号、立命館大学産業社会学会、2007年、61-77頁、2026年8月24日閲覧。
- 寺内直子「日本における伝統芸能に対する文化政策(序論)」『国際文化学研究』第16号、神戸大学国際文化学部、2001年、77-83頁、 doi:10.24546/81001240。
- 田中健次『ひと目でわかる日本音楽入門』月溪恒子監修、音楽之友社、2003年。 ISBN 4-276-30701-5。
- 鳥居本幸代『雅楽――時空を超えた遥かな調べ』春秋社、2007年。 ISBN 978-4-393-93521-7。
- 本田安次『図録日本の民俗芸能』朝日新聞社、1960年。
- 谷地田未緒「「アイヌ古式舞踊」の文化財指定の経緯に関する考察――知里真志保と本田安次の原稿から」『国立アイヌ民族博物館研究紀要』第1号、国立アイヌ民族博物館、2022年、114-131頁、 doi:10.57545/namjournal.7。
- 竹鼻美玖「組踊『執心鐘入』考――主題と構成」『藝文研究』第126号、慶應義塾大学藝文学会、2024年、17-35頁、2026年8月24日閲覧。
外部リンク
- 展示・資料 - 独立行政法人日本芸術文化振興会
- 文化デジタルライブラリー - 独立行政法人日本芸術文化振興会
- 無形文化財 - 文化庁
- 民俗文化財 - 文化庁
日本の伝統芸能
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 07:29 UTC 版)
「プロンプター (舞台芸術)」の記事における「日本の伝統芸能」の解説
能 能では、「後見」と呼ばれる役者が舞台後方や鏡板前といった舞台上に控え、舞台進行の諸事を補助するが、これが必要に応じてプロンプトも行う。 歌舞伎 歌舞伎の舞台にも「後見」と呼ばれる役者や「黒衣」と呼ばれる要員が舞台上に存在し、舞台後方や役者の背後などに控えて、必要に応じて衣装を替えたり小道具を手に取らせたりする。しかしプロンプトを行うのは通常、襖や衝立などの舞台装置の陰に隠れた別の舞台要員である。新作の場合、かつてはその狂言の作者やその門人たちがこれを担当していたが、今日では名題下の役者がこれを行うことがほとんどとなっている。
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