日本の位置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 18:53 UTC 版)
第二次世界大戦に敗れた後の日本は、核兵器や航空機、宇宙ロケットなどの軍事に関わる分野での研究と開発で大きく規制がかけられ、世界の第一線から大きく取り残されることとなった。一方、核融合と高温プラズマに関わる研究は、軍事兵器利用の可能性の余地がなかったため、比較的自由に進めることができた。1960年代からは、日本の核融合研究者が世界の研究者と共同して高温プラズマの研究に従事するようになった。1972年にはJFT-2というトカマク型の研究装置が日本で完成し、これは西側世界での本格的なトカマク装置としては世界で最初であった。これにより、高温プラズマと核融合技術では日本が世界をリードしてゆくことになった。1978年に始まり約10年間のINTOR計画(国際トカマク炉計画)が終了した1988年からIAEAの後援の下でITERの概念設計活動が、1992年からは工学設計活動が開始された。ITERの建設地は2006年にフランス・カダラッシュへ決まったが、日本はITER計画の当初からの計画設立国であり、たとえばプラズマ中の断熱層の発見によってITERの建設費を約半分にする提案を行い、1998年以降に設計変更まで成し遂げるなど、大きな成果を挙げてきた。現在は、日本がITER計画の主導権をとって推進しているといえる。まだ計画の域から実行段階の最初に差し掛かったIFMIF計画も、六ヶ所村での建設計画がゆっくりと進められている。 その後の展開としては、基礎科学としての慣性核融合装置「激光」を始めとして、ヘリカル型装置「ヘリオトロン」等の基礎的研究も進めながら、ITER後の核融合実証炉実現に向けて基礎から応用まで含んだ研究基盤整備を続ける予定であり、原子力委員会核融合専門部会や文部科学省研究計画・評価分科会核融合研究作業部会などの審議会や、民間団体である核融合フォーラムの「社会と核融合クラスター」などで議論が行われている。どの方式が最良の解になるのか現時点ではわからないが、エネルギー問題を解決する一つの解として、研究を進めることになる予定である。原子力委員会は、「第三段階核融合研究開発基本計画における今後の核融合研究開発の推進方策について」(2005年(平成17年)11月1日原子力委員会決定)において、トカマク方式とそれ以外について、「(1)トカマク方式については、ITERの建設に必要な研究開発において我が国が主要な役割を果たして、ITERの工学設計が確定するとともに、次段階につながる研究開発計画を具体化するための基盤が形成された、(2)トカマク方式以外(ヘリカル方式とレーザー慣性閉じ込め方式等)においては学術研究として研究が着実に進展した」と評価している。また、原型炉段階への移行については、核融合専門部会の報告書である「今後の核融合研究開発の推進方策について」において「実用化を見据えることや民間事業者の参画を得ることも重要」としており、電力各社の判断も含まれることを示唆しているとされる。 2013年1月28日超電導型核融合実験装置「JT-60SA」の建設が日本原子力研究開発機構の那珂核融合研究所で始まった。2020年に完成し、2022年に本格稼働する見通しだ。
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