アイ‐エー‐イー‐エー【IAEA】
読み方:あいえーいーえー
国際原子力機関(こくさいげんしりょくきかん)(IAEA)
国際連合の関連機関として、原子力の平和利用と核分裂性物質の国際的な管理を目的とする。オーストリアのウィーンに本部があり、総会、理事会および事務局から組織されている。
1953年にアメリカのアイゼンハワー大統領が国連総会で「平和のための原子力」と題する演説を行い、核戦争に発展する危機を回避する狙いから、原子力の平和利用を訴えた。そのために必要な国際機関の設立を提唱し、1957年に国際原子力機関 (IAEA) が発足した。
核の問題は政治的な色彩が極めて強いため、国連の専門機関ではなく、やや距離を置いた国際機関と位置づけられている。
国際原子力機関の目的は、原子力の平和利用を促進すると同時に、軍事技術への転換を防止することだ。主に加盟国の原子力発電所を対象に、その軍事利用を未然に防ぐ保障措置(セーフガード)を行い、核分裂性物質の国際的な管理を目指している。
具体的な活動の例としては、核兵器の開発を進めているとの疑惑から、イラクや北朝鮮への査察を実施したことがある。
チェルノブイリで原発事故のあった1986年以降、原子力事故の早期通報体制を整備し、事故の大きさを0から7までの8段階で分類する国際的な評価尺度が浸透した。日本は1992年からこの評価尺度を導入し、1999年に茨城県東海村で起きた臨界事故を「レベル5」と認定して国際原子力機関に報告している。
(2001.11.09更新)
国際原子力機関(International Atomic Energy Agency : IAEA)
IAEA
国際原子力機関(IAEA)
国際原子力機関 (IAEA, International Atomic Energy Agency)
国際原子力機関
(IAEA から転送)
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国際原子力機関(こくさいげんしりょくきかん、英: International Atomic Energy Agency、略称:IAEA)は、国際連合の保護下にある自治機関である[7](国連の専門機関ではない[3])。本部はオーストリアのウィーンにあり、トロントと東京の2か所に地域事務所、ニューヨークとジュネーヴに連絡室がある。
注釈
出典
- ^ a b c d e 日本大百科全書(ニッポニカ). コトバンク. 2019年3月13日閲覧。
- ^ 百科事典マイペディア. コトバンク. 2019年3月13日閲覧。
- ^ a b c d e ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典. コトバンク. 2019年3月13日閲覧。
- ^ 朝日新聞掲載「キーワード」 - 国際原子力機関(IAEA). コトバンク. (2009年9月6日) 2019年3月13日閲覧。
- ^ 渥美好司. 知恵蔵. コトバンク. (2008年) 2019年3月13日閲覧。
- ^ About IAEA: Member States
- ^ 国際原子力機関(IAEA). 国連広報センター. 2019年3月13日閲覧。
- ^ “グロッシ事務局長を承認 天野氏の後任―IAEA総会:時事ドットコム”. 時事ドットコム. 2020年9月10日閲覧。
- ^ "Personnel Staffing of the Agency's Secretariatt", GOV/2013/34-GC(57)/14, International Atomic Energy Agency
- ^ 【原発最新事情】「日本は生まれ変わった」IAEAが原子力規制委を絶賛、その評価は本当か産経ニュース(2016年1月30日)2019年4月12日閲覧。
- ^ 藤田医科大学参加の大学・医療機関コンソーシアムが原子力機関(IAEA)と協定を締結/IAEAとして国際的に稀少な「大学コンソーシアムとの協定締結」藤田医科大学プレスリリース(2018年12月14日)2019年4月12日閲覧。
- 1 国際原子力機関とは
- 2 国際原子力機関の概要
- 3 加盟国
- 4 構成
- 5 歴代事務局長
- 6 脚注
IAEA
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「モハメド・エルバラダイ」の記事における「IAEA」の解説
ウィキニュースに関連記事があります。ノーベル平和賞は国際原子力機関とエルバラダイ事務局長 1984年以降はIAEA事務局に勤務し、法律顧問(1984年 - 1993年)、事務局長補佐(1993年 - 1997年)と幹部職を歴任した後、1997年に事務局長に就任した。2001年に再選、2005年に3選された。 1991年から続いているイラクの大量破壊兵器査察にも関わっており、2002年にはUNMOVIC(国連監視検証査察委員会)のハンス・ブリクスと共にイラク入りした。開戦直前となった2003年1月の安保理への報告では「核兵器開発については、1999年までの査察でほぼ無効化できた」「イラク側の態度が協力的であれば、あと数ヶ月で査察が完了する」と報告したが、査察期間の延長は行われず、イラク戦争が始まることになった。 2005年、原子力エネルギーの平和的利用に対する貢献を評価され、IAEAとともにノーベル平和賞を受賞した。
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