北朝鮮へ
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拉致されたとき、曽我ひとみはまだ19歳であった。袋に入れられて担がれた曽我ひとみは、小さな、おそらく木製の舟に乗せられて川から海へ出て、沖に出てから少し大きな船に乗り換えさせられた。ひとみは船内でたどたどしい日本語を話す女性の声を聞いている。翌13日の午後5時頃、船から降りた。後で考えてみると、そこは北朝鮮の清津にちがいなかった。翌朝彼らは、朝食の後、ひとみを海岸まで連れていき、「アサリを探してもよい」と言った。 拉致実行犯は4人組で、そのうち1人はたどたどしい日本語を話す女工作員、通称「キム・ミョンスク」であった。身長約150センチメートルで朝鮮労働党対外情報調査部に所属していたとみられる。拉致実行の少し前から佐渡に潜伏していたという。3人の戦闘員と日本語のできる1人の工作員4人のチームという編成は、蓮池薫、地村保志ら「アベック失踪事件」と称された拉致事件のケースと共通している。キム・ミョンスクが日本語を話した相手としては、北朝鮮戦闘工作員は考えられないので、曽我ミヨシだったのではないかと考えられる。そしてまた、4人は曽我ひとみを連れてそのまま4人で北朝鮮まで行っているところから、北朝鮮当局が主張する「現地請負業者」なるものは実在しないものと考えられる。 清津の招待所に少しいた後、夜行汽車に乗って翌朝平壌に着いた。平壌に着いたのは8月15日のことであった。平壌の招待所には1週間ほどいて、別の招待所に移動したが、そこには横田めぐみがいた。横田とはすぐに仲良くなった。彼女は曽我ひとみといるときはいつもにこにこしていて、かわいらしいえくぼを見せていた。そこで横田とは5か月ほど同居し、その後、別の招待所でも一緒に生活した。結局、横田とは1978年から1980年にかけて1年半近く同居し、昼は朝鮮名で呼び合い、夜は日本語で小さな声で話す生活を送った。2人とも日本が恋しく、とにかく日本に帰りたかった。母への思いは共通していた。曽我ひとみの朝鮮名はミン・ヘギョン、横田めぐみの朝鮮名はリュ・ミョンスクであった。彼女は横田めぐみから朝鮮語の初歩を習った。2人は一緒に朝鮮語を勉強し、また、バドミントンや卓球をすることもあったという。 報道によれば、彼女の北朝鮮入国後の約4か月間、拉致実行犯の1人キム・ミョンスクは彼女の監視役であり、身の回りの世話もしていた。また、拉致されてきて最初のころ、曽我ひとみと横田めぐみの北朝鮮での教育係は、原敕晁拉致実行犯の辛光洙であった。彼女たちは、互いの存在がすべてであったので強い友情で結ばれた。横田は、曽我ひとみが結婚すると決まったとき、餞別として新潟から拉致されたときに持ってきたバドミントン用のバッグを彼女にあげた。
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北朝鮮へ
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「よど号ハイジャック事件」の記事における「北朝鮮へ」の解説
4月3日の18時5分によど号は金浦国際空港を離陸、軍事境界線を越えて北朝鮮領空に入った。機長はこの時点でもなお、まともな地図を持たされておらず、北朝鮮領空に入ったあとも無線への応答や北朝鮮空軍機によるスクランブル発進もなかった。平壌国際空港を目指して飛行を続けたものの、夕闇が迫ってきたため、機長は戦時中に夜間特攻隊の教官をしていた経験を生かし、肉眼で確認できた小さな滑走路に向かい、19時21分に着陸した。この滑走路は平壌国際空港から南南東に約25 km離れた、平壌市寺洞区域にある美林飛行場(英語版)だった。 対応した北朝鮮側は武装解除を求めたため、犯人グループは武器を置いて機外へ出た。なお、武装解除により機内に残された日本刀・拳銃・爆弾などは、すべておもちゃや模造品であったことがのちに判明した。よど号に乗っていた犯人グループ9人、乗員3人、人質の山村の計13人の身柄は北朝鮮当局によって確保された。 NHKが19時30分から21時30分まで放送した報道特別番組「よど号の乗客帰る」 はビデオリサーチ・関東地区調べで43.0%の視聴率を記録した。
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北朝鮮へ
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北朝鮮に渡ったよど号グループは一時的には「世界革命を進める同志」として北朝鮮政府から手厚い歓迎を受けたが、当時の世界情勢から照らし合わせても荒唐無稽と思われる「北朝鮮の赤軍化」という目的は即座に否定された。黄長燁によれば、彼らは朝鮮労働党統一戦線部の管理下に置かれ、平壌近郊にある「日本革命村」で北朝鮮における金日成体制を肯定する主体思想による徹底的な洗脳教育を受けたと言われている。
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