当時の世界情勢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 04:06 UTC 版)
1980年代に入ってからの世界的な(物価の)ディスインフレーションの中で、資産価格(株式)は上昇しやすい状況になっていた。 1945年2月のヤルタ会談以降の冷戦体制下で、日本を含む西側諸国と対立していたソビエト連邦は、アフガニスタン侵攻による疲弊の影響で、改革派のミハイル・ゴルバチョフが登場する。 一方でアメリカ合衆国は、このころ1980年代半ばのユーフォリアを経て迷走気味になりつつあった。住宅金融に破綻の兆しが出て、信用問題に発展しつつあった。経常収支が均衡に向かう中で国内経済は低迷し、失業増大や記録的財政赤字に繋がりつつあった。 こうした世界情勢の中で、政治的に安定している上に空前の好景気で、投資先として非常に大きな魅力を持つことになった日本は、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(エズラ・ヴォーゲル著の同タイトルの書籍より「世界の頂点にいるも同然の日本」の意)の呼び声とともに、アメリカにおいても「日本社会に学べ」「日本に負けるな」という声が出るほど好景気を謳歌していた。三菱地所がニューヨークのランドマークであるロックフェラーセンターを買収して日本脅威論が噴出したのもこの頃である。また東南アジア諸国からも「日本の成功を見習うべし」との声が上がった。 バブル景気の時期は、ソビエト連邦の「ペレストロイカ」とほぼ同じ時期である。バブル景気とペレストロイカの真っ只中にあった1989年には、ベルリンの壁崩壊に代表される東欧民主化革命が起こり、44年間続いてきた冷戦が終結した。
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