めい‐そう【迷走】
迷走
迷走
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 08:11 UTC 版)
2006年(平成18年)、パルシン勇退に伴いアントロポフが監督に昇格する。同シーズン末、特別功労賞として唯一の団体表彰される。翌2007年(平成19年)秋田国体優勝するも、リーグ開幕前にアントロポフが体調不良により帰国したため栗生澤コーチが監督代行に、臺光章と平野がコーチ兼任選手を務めた。栗生澤のもと、同年の天皇杯優勝し初代チャンプとなる。 2年連続で準決勝リーグ入りを逃した2008年(平成20年)、堺で監督を経験し日本バレーにも精通したアメリカ人ゴードン・メイフォースを監督に招聘する。2009年(平成21年)、日本人としては初のJT出身外コーチとなる久保義人を招聘した。同シーズンの天皇杯準優勝。2010年(平成22年)3月、ゴードンがギリシャ男子代表監督就任に伴いチームを退団すると、同年4月から久保が監督に昇格した。同年の黒鷲旗準優勝。2011/12シーズン、豊田合成とセット率0.01差で7位になり、18年ぶりに入替戦に回り、ジェイテクトSTINGSに2試合勝利したことによりプレミアに残留した。 2012-13シーズン、イゴール・オムルチェンを補強するも、開幕から7連敗を喫する。同年11月久保が体調不良のため監督を休養、一旦回復し同年度の天皇杯で指揮するも再び体調不良のため、徳元幸人コーチが監督代行として指揮することになった。シーズン終了後、久保は勇退する。 この間、プレーオフ圏内にも進めなくなり、チームでは降格の危機も囁かれ疑心暗鬼となっていた。母体であるJTは、本業であるタバコの需要低下により2004年に広島工場を閉鎖しており、サンダーズも活動縮小の可能性もあった。またマーヴェラスの方は強化が実り、2010/11シーズンにリーグ初優勝を遂げていた。その中で、部長の栗生澤はチーム改革を断行することになる。
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