疑心暗鬼
疑心暗鬼とは、疑心暗鬼の意味
疑心暗鬼(ぎしんあんき)は、心の中に疑念が生じた結果、周りの何もかもが疑わしく思えてくる状況のこと。疑いだして止まらなくなり、普段なら何とも思わないような物事すら「おかしいな」「怪しいぞ」と疑ってかかるような心理状況。疑念が疑念を呼ぶさま。「疑心暗鬼」は「疑心暗鬼を生ず(疑心生暗鬼)」の略とされる。「疑心」は「疑うこと」「疑いの心」を意味する語。「暗鬼」は文字通りには「暗闇の中に見いだされる鬼」のことであり、「妄想による不安や恐怖」の比喩。
疑心暗鬼の語の由来・語源
疑心暗鬼の語源は「疑心生暗鬼」であり、これは古代中国の書「列子」の注釈書の記述に由来する表現である。同書では、鉞(まさかり)を失くした男が隣人に疑いの目を向けると臨時の言動すべてが怪しく思えるようになり、けっきょく鉞は自分が置き忘れただけだと気付いとき隣人を疑わしくもなくなった、という逸話が語られている。ちなみに、仏教において「疑心」は仏教の真理に対して疑いを抱くことを意味し、戒めるべき根本煩悩のひとつに数えられている。
疑心暗鬼の語の使い方(用法)、例文
「疑心暗鬼」の語は、もっぱら冷静さを欠いた混乱状態としてネガティブな意味で用いられる。「疑心暗鬼になる」「疑心暗鬼に陥る」「疑心暗鬼にさせる」といった言い回しで用いられることが多い。疑心暗鬼の類語と使い分け方
疑心暗鬼の類語としては「猜疑心」や「不信」などが挙げられる。「猜疑心」は、他人の言動を素直に受け取らず、「何かよくない思惑を隠しているのではないか」という疑いを抱く心のこと。「不信」は、信じないこと・信用しないことである。疑心暗鬼の英語
英語で「 疑心暗鬼」の趣旨を表現するなら、英語のことわざ Doubts beget doubts. (「疑いが疑いを生む」という意味)などが候補として挙げられる。疑心暗鬼
疑心暗鬼とは、疑心暗鬼の意味
疑心暗鬼とは、疑う気持ちによって何でもないことに対して恐ろしく感じたり、怪しく感じたりするという意味のこと。英語では、 suspicion will raise bogies と表現される。疑心暗鬼の四字熟語は、仏教の真理を疑う心を持つという意味の「疑心」と、暗闇の中に鬼が見えるという意味の「暗鬼」が語源とされている。古代中国の文書である「列子」に書かれた、鉞をなくした男が、隣家の息子が犯人だと疑いその息子の言動全てが怪しく思えるようになったが、鉞を発見すると息子の発言を怪しく思うことがなくなったという話が由来である。疑心暗鬼の類語、対義語
疑心暗鬼の類語として、「草木皆兵」が挙げられる。相手の勢いが恐ろしいため、草木まで敵の兵士に見えるほど非常におびえるという意味である。他にも「疑えば目に鬼を見る」「茄子を踏んで蛙と思う」などが挙げられる。対義語として、「安心立命」という四字熟語がある。いかなることも信頼し、動揺しないという意味である。他にも「明鏡止水」「虚心坦懐」などが挙げられる。この四字熟語は、主に「疑心暗鬼になる」「疑心暗鬼に陥る」という使い方をする。疑心暗鬼の例文、使い方
疑心暗鬼の例文として、「彼に裏切られたため疑心暗鬼になってしまった」「疑心暗鬼に陥り、事態を客観的にみることができない」などが考えられる。前者は裏切られるという経験により、人に対し疑いの気持ちを持つようになったということを表す。後者は、全てが疑わしく感じ、冷静に第三者の視点で考えることができない状態を表す。疑心暗鬼(ぎしんあんき)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 06:38 UTC 版)
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