明鏡止水
明鏡止水とは、明鏡止水の意味
明鏡止水とは、邪念ややましさがなく、落ち着き払っているという意味のこと。明鏡止水の語源は、「明鏡」と「止水」の二つの言葉が組み合わさってできた四字熟語であり、中国古典「荘子」の「徳充符篇」に由来した言葉である。明鏡止水の「明鏡」は、よく磨かれた鏡には汚れも垢も付かないが、汚れていれば塵や垢が付いて曇ってしまい、物事がはっきりと見えなくなってしまう、という意味の文章からきている。「止水」は、人は流水を鏡として使わず、止まった水を鏡にする。不動の心を得た者だけが、心の安らぎを求める人にそれを与えることができる、という意味の文章からきている。
明鏡止水を英語で表現すると、 clear and serene や a mind as serene as a polished mirror のように表現される。明鏡止水という言葉そのものを表すのではなく、澄み切った、落ち着いた心のことを表している。
明鏡止水の類語、対義語
明鏡止水の類語として、「虚心坦懐」や「晴雲秋月」などが挙げられる。「虚心坦懐」には、心にわだかまりがなく、落ち着いていることの意味があり、「晴雲秋月」には、汚れなく、澄み切った心のことを指している。対義語には、「疑心暗鬼」や「意馬心猿」が挙げられる。「疑心暗鬼」は、一度疑い始めると、全てに不安や恐怖を感じることのたとえであり、「意馬心猿」は、煩悩や欲情などで心が混乱して、落ち着かないことのたとえである。明鏡止水の例文、使い方
明鏡止水の例文として、「明鏡止水の心」や「明鏡止水の境地」がある。使い方としては、明鏡止水の後に心や気持ちなど、心情を表す言葉を用いることが多い。明鏡止水
明鏡止水(めいきょうしすい)とは、くもりのない鏡と静かにたたえた水の意で、心に邪念ややましさがなく、落ち着き払っている状態をいう言葉である。「めいけいしすい」ともいう。
典拠は『荘子』徳充符の一節「人莫鑑於流水、而鑑於止水」(人は流水を鏡とせず、止まっている水を鏡とする)および「鑑明則塵垢不止」(鏡にくもりがないのは、塵やごみがつかないからだ)である。
また、『淮南子』俶真訓には、『荘子』と同旨の「人莫鑑於流沫、而鑑於止水者、以其静也。莫窺形於生鉄、而窺於明鏡者、以其易也」(人が流水を鏡とせず、止まっている水を鏡とするのは、それが静かだからだ。生鉄に姿を映さず、くもりのない鏡に映すのは、それが平らかだからだ)という一節がある。
1989年7月、宇野宗佑首相が退任会見において発言した「明鏡止水の心境であります」は世相語となった。
類義語に「虚心坦懐」があるが、「虚心坦懐」は先入観のないことを含意し、「虚心坦懐に話し合う」などと用いる一方、「明鏡止水」は単に心が落ち着いている状態をいう。また、「虚心坦懐」は形容動詞としても用いるが、「明鏡止水」は形容動詞にはならない。
例文:「明鏡止水の境地」「明鏡止水の心境に達する」「明鏡止水のように心を澄ます」
関連サイト:
莊子/德充符 - 維基文庫
淮南子/俶真訓 - 維基文庫
(執筆:稲川智樹)
めいきょう‐しすい〔メイキヤウ‐〕【明鏡止水】
明鏡止水
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/06 23:30 UTC 版)
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明鏡止水(めいきょうしすい)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/16 01:39 UTC 版)
「ゴッドガンダム」の記事における「明鏡止水(めいきょうしすい)」の解説
搭乗者であるドモン・カッシュが真の明鏡止水の境地に達することで発現し、機体が黄金色に輝く。最初は、ギアナ高地に出現したデビルガンダムとの戦闘中に、怒りに任せて戦おうとするドモンをマスター・アジアの攻撃からシュバルツが身を挺して救ったことで、己の未熟を悟ったドモンが明鏡止水の境地に到達し、シャイニングガンダムに発現した。
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