アベック失踪事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/08 06:42 UTC 版)
アベック失踪事件(アベックしっそうじけん)とは、1978年(昭和53年)夏に日本で起きた、多数のアベックが行方不明となった一連の事件を指す。その多くは、 北朝鮮による日本人拉致であったことが後に判明した。
注釈
- ^ 地村保志は当時23歳の大工見習い、富貴恵は当時22歳の店員だった[1]。
- ^ 蓮池薫は当時20歳で帰省中の中央大学学生、祐木子は当時22歳の美容指導員だった[2]。
- ^ 市川修一は当時23歳で鹿児島市の日本電信電話公社勤務、増元るみ子は当時24歳の事務員だった[3]。
- ^ 男性は当時20歳の会社員、女性は当時20歳の家事手伝いで2人は婚約していた[5]。
- ^ 地村夫妻の拉致は辛光洙が主犯、蓮池夫妻の拉致はチェ・スンチョル、ハン・クムニョン、キム・ナムジンらによるものと判明した。
- ^ 市川・増元のカップルについては、韓国に亡命した北朝鮮の元工作員安明進が平壌の金正日政治軍事大学で何度も目撃したという証言をしており、亡命者である金国石も2人を馬東煕偵察大学で見かけたと証言している[4]。安明進の目撃証言は1990年から1993年のことであり[4]、1990年の8月か9月には市川修一と直接、話もしたという[12]。北朝鮮による死亡の宣告は、安の証言をあえて否定しようという目論見があるものと推定できる[4]。逆言すれば、安明進がたとえば日本に帰国できた拉致被害者を目撃したと証言したら、その被害者は「死亡したことにされていた」可能性がある[2]。
出典
- ^ a b 荒木(2005)pp.188-189
- ^ a b c 荒木(2005)pp.189-190
- ^ a b 荒木(2005)p.190
- ^ a b c d 荒木(2005)pp.36-39
- ^ a b c d e f g 西岡(1997)pp.8-10
- ^ a b c 「音声ドキュメント 北朝鮮拉致報道 /第2話 怪しげな男たち」 - 産経新聞社制作(原作:阿部雅美『メディアは死んでいた - 検証 北朝鮮拉致報道』(2018))
- ^ a b 荒木(2005)pp.191-192
- ^ a b 西岡(2002)pp.14-21
- ^ a b 荒木(2005)pp.3-5
- ^ 西岡(2002)巻末資料pp.33-36
- ^ 西岡(2002)巻末資料pp.29-30
- ^ 西岡(2002)p.42
- ^ 西岡(2002)巻末資料pp.29-30, 32-36
- ^ a b c d e 西岡(2002)pp.154-157
- 1 アベック失踪事件とは
- 2 アベック失踪事件の概要
- 3 アベック拉致の目的
- 4 脚注
- 5 関連項目
固有名詞の分類
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