佐々木悦子 (拉致被害者)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/14 04:07 UTC 版)
佐々木 悦子(ささき えつこ、1963年〈昭和38年〉12月6日 - )は、北朝鮮による拉致被害者と考えられる日本女性。特定失踪者問題調査会でも「拉致濃厚」(1000番台リスト)としている[1]。1991年(平成3年)4月22日朝、失踪した[2]。彼女については、北朝鮮の元国家安全保衛部指導員だった人物による北朝鮮国内での目撃情報がある[3]。
注釈
- ^ 彼女の両手はふっくらとしていたが、指先は細かったという[2]。
- ^ 権革は、斉藤裕(1968年に失踪)、大屋敷正行(1969年に失踪)、松本賢一(1970年に失踪)、遠山文子(1973年に失踪)、国広富子(1976年に失踪)、山本美保(1984年に失踪)も北朝鮮領内で目撃したと証言している[3]。
- ^ 権革によれば、5454部隊は在日米軍空軍基地を攻撃対象とする部隊で頻繁に落下訓練を行っていた[3]。また、当時の権革の職務は57軍校や5454部隊などにおいてスパイや不満分子、脱走兵、あるいは不正を摘発することで、ゲシュタポのような秘密警察任務に就いていたという[3]。
- ^ 通信局には当時、20名から30名程度の日本人が働いており、朝鮮人と一緒に仕事をしていたので「あいのこ部隊」と呼ばれていた[3]。
出典
- ^ “失踪者リスト”. 特定失踪者問題調査会. 2022年4月29日閲覧。
- ^ a b c d e “失踪者リスト「佐々木悦子」”. 特定失踪者問題調査会. 2022年4月29日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k “インタビュー「権革元国家安全保衛部指導員 2003年5月12日」”. 辺真一のコリア・レポート. 辺真一 (2003年6月23日). 2021年9月23日閲覧。
- ^ “佐々木悦子さん”. 拉致問題を考える川口の会. 2022年4月29日閲覧。
- ^ a b c “街頭から上げる声(3)「日本に帰るまで頑張って」 埼玉”. 産経新聞 (2014年8月15日). 2022年4月29日閲覧。
- 1 佐々木悦子 (拉致被害者)とは
- 2 佐々木悦子 (拉致被害者)の概要
- 3 外部リンク
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