イェン・ヨケフンとは? わかりやすく解説

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イェン・ヨケフン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/26 06:54 UTC 版)

イェン・ヨケフン

葉 玉芬
生誕 葉 玉芬
(Yeng Yoke Fun)

1954年/1955年(70歳 - 71歳)
失踪 1978年8月20日(23歳)
失踪から47年2か月と6日
シンガポール
国籍 マレーシア
職業 エスコートガール会社
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イェン・ヨケフン(Yeng Yoke Fun、葉玉芬、1954/55 - )は、北朝鮮による拉致被害者[1][2]マレーシア国籍[2]

拉致事件

1978年8月20日シンガポールで5人の女性が北朝鮮工作員によって拉致された[2]。「日本人」を名乗る2人組の男性が、シンガポールのエスコートガール会社に船上パーティーへの女性の派遣を依頼し、派遣された19歳から24歳の女性たち5人が船ごと失踪した[2]。5人の女性のなかで、

  • イェン・ヨケフン(Yeng Yoke Fun、葉玉芬、23歳)
  • ヤップ・メレン(Yap Me Leng、葉美玲、22歳)
  • シートー・タイテム(Seetoh Tai Thim、司徒戴琴、19歳)
  • マーガレット・オン・グアットチュー(Margaret Ong Guat Choo、王玉珠、19歳)

の4人はマレーシア人であった[2][3][注釈 1]

2005年米国人脱走兵で長期にわたり北朝鮮に抑留されたチャールズ・ジェンキンス(拉致被害者曽我ひとみの夫)は、5人の写真を見て、そのうちのイェン・ヨケフンについて「1980年から1981年にかけて目撃した平壌遊園地の売店で働いていた女性に似ている」と証言した[2]

イェン・ヨケフンの兄は2005年12月16日クアラルンプールのマレーシア華人協会(MCA)の会館で記者会見をひらき、妹の救出を公式に訴えた[2]

脚注

注釈

  1. ^ 残る1人の女性は、シンガポール国籍のダイアナ・ヌン・クム・イン(Diana Ng Kum Yim、黃錦瑛、24歳)であった[2]

出典

  1. ^ 04_世界に広がる拉致被害者”. <基礎知識-めぐみさんたちは生きている!「8人死亡」という嘘>. 北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会 (2006年6月5日). 2022年4月20日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h 世界に広がる拉致問題”. 国際会議「北朝鮮による国際的拉致の全貌と解決策」全記録. 北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会 (2006年12月14日). 2022年4月20日閲覧。
  3. ^ 「救う会」8ページパンフレット(2009年作成)

外部リンク

関連項目




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