丁順権
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チョン・スンゴン
丁 順権
정순권 |
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生誕 | 1955年(69 - 70歳) |
国籍 | ![]() |
丁順権(チョン・スンゴン、정순권、1955年-)は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の工作員。清津連絡所所属[注釈 1]。朝鮮労働党中央委員会直属政治学校11期生[3]。1977年(昭和52年)11月15日、新潟県新潟市において当時13歳だった中学1年生の横田めぐみがバドミントンの部活動を終えて学校から帰宅するところを拉致した実行犯のひとり。
経歴
1977年、北朝鮮の指導者金正日は、工作員たちに対し「マグジャビ」(手当たり次第)に外国人を誘拐するよう命令した[4]。この指令を受けて同年11月15日午後6時半すぎ、丁順権は工作員辛光洙らとともに横田めぐみを北朝鮮に連れ去った[4][5][注釈 2]。北朝鮮の工作員だった安明進が丁順権から直接聞いた話によれば、拉致にかかわった工作員は丁順権と辛光洙を含む3名であった[1]。日本で活動する工作員との接触を終え、北朝鮮に帰る際、丁ともう1人が海岸から少し離れた人けの少ない場所で無線機を通じて小型船到着の連絡が入るのを待っており、もう1人のリーダー工作員が海岸付近で待機していた[1]。2人は、無線機を持ち、日没まで海岸の工作員からの通信を待っていたが、日本人女性が一定の距離を歩いているのに気づき、さらに無線機を持って小声で話すのも目撃されたので、海岸のリーダー工作員の許可なしに拉致したのだという[1]。それが横田めぐみだった[1]。めぐみが泣き叫んで抵抗したため、約40時間もの間、清津港に向かう船の船倉に閉じ込めたという[1][7][8]。彼女は「お母さん、お母さん」と泣き叫び、北朝鮮に到着した時、出入口や壁などを爪が剥がれそうになるほど引っ掻いたため、手は血まみれだったという[1][7][8][9]。丁は横田めぐみ拉致の時点では独身だったが、その後、結婚した[1]。
大韓航空機爆破事件(1987年11月)後の1988年3月、丁順権は金正日政治軍事大学での再教育を命じられ、学生と一緒に講義を受ける一方、訓練や日常生活の面では教官の役割を担わされた[3]。丁順権は、1988年(昭和63年)10月9日の朝鮮労働党創立記念式典の際、横田めぐみを指して「あの女性は自分が新潟から連れてきた日本人だ」と学生であった安明進に話しかけてきたという[10][11]。丁順権は北朝鮮に拉致した後、何度かめぐみに話しかけたが無視されて寂しかったと語っている[10]。拉致してみたら彼女が大人ではなく少女だったことで責任者から問い詰められ、自身も気がとがめたこと、日本に再入国した際、街に貼られているめぐみのポスターを1枚はがして持ち帰ったことなども安明進に話している[12]。丁は安に日本人を拉致したことがめぐみも含め2度ある、もう1人は「年を取った男」だとも話している[3]。安明進は、1988年頃、30代後半の北海道出身の拉致被害男性を金正日政治軍事大学で見かけており、丁順権にその素性を訪ねると、「丁の同僚の工作員が、頼まれた電気製品と領収書をオートバイに乗って届けに来たが、その領収書に拉致の暗号が書いてあったので拉致した」という答えが返ってきたという[13]。
丁順権が安明進が語った横田めぐみの拉致目的は、工作員が脱出しようとする、まさにその場面を彼女が目撃したためという偶発的なものであったとの前提に立っており、2002年9月にも北朝鮮側はそのような説明をしている[14]。しかし、実際はそうではなく、一定の目的をもった計画的なものではなかったかという見解もある[14]。拉致現場は当時街灯もなく、拉致時刻を考慮するとほとんど何も見えない状態だったということと、横田めぐみが拉致される30分ほど前、近くの通りで1人の女子高校生が2人の不審な男性に追い回され、からくも自宅に逃げ込んで難を逃れた事件が起きていたからである[14]。この前提に立てば、北朝鮮工作員が若い女性を拉致することを目的に侵入し、一度失敗した後、横田めぐみを連れ去った可能性が高くなる[14][注釈 3]。
脚注
注釈
- ^ 清津連絡所は日本への侵入を専門とする連絡所[1]。2000年時点で工作員300人を擁する[2]。
- ^ 辛光洙は、1978年8月から80年にかけて招待所で同居していた横田めぐみと曽我ひとみ(1978年8月拉致)の教育係だった[6]。辛はひとみに「めぐみちゃんを日本から拉致してきたのは自分だ」と話している[6]。
- ^ 自身拉致被害者でもある蓮池薫は、めぐみを船倉のようなところに閉じ込めたいわば準備不足な点、11月中旬という海上航行に危険をともなう時期だった点を考慮して、当初は偶発的なものだと考えていた[14]。しかし、2023年、鳥取県米子市の松本京子(1977年10月21日拉致)の拉致現場を案内された際、横田めぐみの事件とあまりにも共通点が多いことに気づき、これは偶発的なものではなく、最初から計画されたものではなかったかと考えるに至った[14]。拉致目的としては、若い女性を長期にわたって教育し、北朝鮮のために活動する工作員にすることだったとし、そして、この流れのなかで翌1978年夏の一連の拉致(アベック失踪事件など。北朝鮮による日本人拉致事件も参照)が実行されたものと推論している[14]。
出典
- ^ a b c d e f g h 安(2000)pp.149-151
- ^ 安(2000)p.138
- ^ a b c 安(2005)pp.116-118
- ^ a b 「ニューズウィーク日本版」2006年2月22日(通巻993号)pp.32-34
- ^ “救う会全国協議会ニュース「金日成が韓国人拉致、金正日は外国人も拉致を指令-拉致の全貌」(2007年8月9日)”. 救う会(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会). 2021年9月11日閲覧。
- ^ a b 阿部(2018)p.194
- ^ a b 『家族』(2003)pp.25-26
- ^ a b “拉致された13歳の少女 横田めぐみさん” (PDF). 外務省. 2021年5月16日閲覧。
- ^ 『祈り 北朝鮮・拉致の真相』(2004)pp.66-69
- ^ a b 安(2000)pp.143-146
- ^ 安(2005)pp.118-119
- ^ 安(2000)pp.151-153
- ^ 安(2005)pp.162-163
- ^ a b c d e f g 蓮池(2025)pp.47-50
参考文献
- 阿部雅美『メディアは死んでいた - 検証 北朝鮮拉致報道』産経新聞出版、2018年5月。ISBN 978-4-8191-1339-7。
- 安明進『北朝鮮拉致工作員』徳間書店〈徳間文庫〉、2000年3月。 ISBN 4-19-891285-8。
- 安明進『新証言・拉致 横田めぐみを救出せよ!』廣済堂出版、2005年4月。 ISBN 4-331-51088-3。
- 北朝鮮による拉致被害者家族連絡会 著、米澤仁次・近江裕嗣 編『家族』光文社、2003年7月。 ISBN 4-334-90110-7。
- 新潟日報社・特別取材班『祈り 北朝鮮・拉致の真相』講談社、2004年10月。 ISBN 4-06-212621-4。
- 蓮池薫『日本人拉致』岩波書店〈岩波新書〉、2025年5月。 ISBN 978-4-00-432064-7。
関連項目
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