結婚・忠龍里での生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 21:28 UTC 版)
「金正男」、「加藤久美子 (拉致被害者)」、および「蓮池薫」も参照 北朝鮮当局によれば、こののち1986年(昭和61年)に平壌へ転居、同年、韓国人拉致被害者の金英男(当初は北朝鮮人のキム・チョルジョンと説明)と結婚し、翌年の1987年に娘のキム・ヘギョン(キム・ウンギョン)を出産したという。 安明進の記憶によれば、1988年(昭和63年)から1990年(平成2年)にかけて、金正日政治軍事大学内で加藤久美子(1970年8月拉致)らと一緒にいるところを何度も目撃したという。彼女は加藤久美子同様、対日工作員の日本語教官をさせられていた。安によれば、初めて安が彼女を目撃したのは1988年10月9日のことで、朝鮮人教官たちが全員軍服姿だったのに対し、日本人教官7名は私服であり、「ひときわ綺麗な女性」だったこともあり、すぐに印象に残ったのだという。このとき、丁順権が「私が70年代の後半に新潟から拉致してきた」と安にささやいたという。安は何度も彼女を見かけており、身長は160センチ少々、当時20歳代半ばくらい、髪はストレート、未婚のようにみえたという。安は自著に「特に彼女が笑うと深く窪んだえくぼは、見る人に心優しい印象を与えていた」と記した。安は、彼女がいつもハイヒールを履いていたこともよく記憶している。安は日付のわかるもの(公式行事、式典)では、1988年12月31日、1989年1月30日にも横田めぐみを目撃している。 その後、日本に帰還した人々の証言によれば、1994年(平成6年)頃までは地村保志・浜本富貴恵の夫妻や蓮池薫・奥土祐木子の夫妻と同じ忠龍里地区で暮らしていたという。横田早紀江は帰国した拉致被害者女性からも「めぐみさんは体が弱く、預かっていたことがあった」ことを聞いている。彼女は拉致された時に持っていたバドミントンのラケットカバーを大切そうに持っていて、幼い娘にはきれいな服を着せて一緒に散歩をしていたという。また、彼女は特に語学に堪能で、朝鮮語をきれいな発音で話していたという。 韓国の情報機関は、1995年から1997年にかけての横田めぐみは、金正日の子どもたちに日本語を教えていたという情報をつかんでおり、この情報源は金正日書記室の幹部からのものとされ、安明進は「極めて信憑性が高い」としている。
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