結婚、恋愛、子供
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 04:30 UTC 版)
「エリザベス・テイラー」の記事における「結婚、恋愛、子供」の解説
テイラーは7人の相手と8回結婚した。結婚離婚を繰り返す理由を聞かれたテイラーは「分からない。私にもさっぱり分からないの」と応えている。また、別の機会には「私は両親から、誰かを本当に好きになったのなら結婚しなさいと教えられたのよ。多分私は古風な女なんでしょうね」と話したこともある。 テイラーは以下の男性たちと結婚した。 コンラッド・ヒルトン・ジュニア (en:Conrad Hilton, Jr.)ホテル王コンラッド・ヒルトンの息子。1950年5月6日 - 1951年1月29日) テイラーはこのホテル王の若き相続者を愛していると信じていたが、実際には母親のもとから逃げ出したかっただけだった。ヒルトンの「ギャンブル癖、飲酒癖、粗暴な振る舞い」はテイラーとテイラーの両親を怯えさせ、エリザベスの流産の原因となった。二人の結婚はわずか9ヵ月で終わった。 マイケル・ワイルディング (en:Michael Wilding) (イギリス人俳優。1952年2月21日 - 1957年1月26日) 「紳士」ワイルディングはテイラーよりも20歳年長で、ヒルトンと離婚したばかりで傷心のテイラーを慰撫した。ワイルディングと離婚した後にテイラーは「たぶん私は彼に辛い体験をさせてしまったのでしょう。少しばかり私が彼を尻に敷いていたところがあり、彼にしてみれば落ち着いた暮らしではなかったのかも知れません」と語っている。 マイク・トッド (en:Mike Todd) (アメリカ人舞台、映画プロデューサー。1957年2月2日 - 1958年3月22日) テイラーにとって、トッドとの結婚が離婚ではなく唯一の死別となった。二人の結婚生活は穏やかとはいえないものだったが、後年テイラーはトッドのことを、リチャード・バートンそして宝石とともに、生涯でももっとも深く愛した三つのうちの一つだと語っている。 エディ・フィッシャー(アメリカ人歌手。1959年5月12日 - 1964年3月6日) フィッシャーはテイラーの前夫トッドの親友で、トッドの死後にはテイラーを慰める関柄だった。二人は関係を持つようになっていったが、当時のフィッシャーには妻デビー・レイノルズがいたために、大きなスキャンダルとなった(p226)。しかしながら最終的にはレイノルズはテイラーを許し、テイラーが『バターフィールド8』でアカデミー主演女優賞にノミネートされたときにはテイラーに投票しており、さらに後年の『だって女優ですもの!』では共演を果たしている。 リチャード・バートン(イギリス人俳優。1964年3月15日 - 1974年6月26日) 両者共に結婚していたテイラーとバートンの不倫は、ヴァチカン教皇庁からも「みだらがましい浮浪」だと非難された。テイラーとバートンは10年間の結婚中も離婚後もマスコミから大きな注目を集めていた。これは一般大衆が「(バートンが)世界一有名な俳優で、その世代のなかで最もすばらしい俳優だと信じていた」ことによる。テイラーは女優としてのキャリアよりも二人の結婚生活を重視し、映画の配役が回ってこないように体重を増やすことさえ厭わなかった。 リチャード・バートン(1975年10月10日 - 1976年7月29日) 1974年にテイラーと離婚したバートンはその6ヵ月後に「いつ爆発するかもしれないのに、二本のダイナマイトをぶつけ合わせ続けるなんて出来ないよ」と語っている。しかしながら二人は離婚後一年もしないうちに再婚し、そして一年も経たずに離婚した。 ジョン・ウォーナー(アメリカ人政治家。1976年12月4日 - 1982年11月7日) テイラーと結婚していたときと同様に、テイラーはウォーナーとの結婚生活においても自身が、ヴァージニア州から選出された共和党の上院議員の妻という立場でしか見られていないと感じていた。ワシントンD.C.での暮らしに馴染めずに落ち込んでいったテイラーは、病院ベティ・フォード・センター (en:Betty Ford Center) に入院している。 ラリー・フォーテンスキー (en:Larry Fortensky) (アメリカ人土木作業員。1991年10月6日 - 1996年10月31日) ジョン・ウォーナーと結婚していたときとは別の時期に、ベティ・フォード・センターに入院中のテイラーはこの病院でフォーテンスキーと出会い、マイケル・ジャクソンの邸宅であるネバーランド・ランチで結婚式を挙げた。 テイラーは結婚以外にも多彩な恋愛遍歴を持っている。最初の夫であるヒルトンと結婚する前に、ハイズマン賞の受賞経験があるアメリカン・フットボール選手グレン・デイヴィス (en:Glenn Davis) と婚約していた。デイヴィスは婚約が解消されるまで、テイラーの母サラが二人の婚約をテイラーの宣伝活動に利用していたことを知らなかった。また、デイヴィスのほかにも、駐ブラジル大使ウィリアム・D・パウリー (en:William D. Pawley) の子息と婚約していたこともある。億万長者で映画プロデューサーのハワード・ヒューズは、テイラーの両親にテイラーとの結婚を応援してくれるのであれば、テイラーのための映画スタジオ創設に資金協力することを申し出た。母サラはこの申し出に応じたが、テイラーがヒューズとの結婚を拒否している。テイラーとヒルトンとの離婚後に、ヒューズは突然ヘリコプターで姿を見せテイラーにダイアモンドを贈って結婚を申し込んだこともあった。ほかにもテイラーは、人気歌手フランク・シナトラ、外交官ヘンリー・キッシンジャー、億万長者マルコム・フォーブスと浮名を流したことがある。2007年には、当時付き合っていたジェイソン・ウィンタースと9回目の結婚をするのではないかという噂を否定したが、ウィンタースのことを「今まで出会ったなかで最高の男性の一人」と語っている。 テイラーにはマイケル・ワイルディングとの間に、マイケル・ハワード(1953年1月6日生)とクリストファー・エドワード(1955年2月27日生)の二人の息子がいる。また、マイケル・トッドとの間には娘エリザベス・フランシス(1957年8月6日)がいる。エディ・フィッシャーと結婚していたときに、マリア(1961年8月1日)というドイツ出身の当時2歳の女児を養女にしようとしたことがあるが、1964年にフィッシャーと離婚したために、この養子縁組の話はなくなった。後にリチャード・バートンが、エリザベス・フランシスとマリアを養女にしている。 1971年にテイラーは39歳で祖母となった。テイラーが死去する2011年時点で、マリアも含めて4人の子供たちは存命で、テイラーの孫が10人、曾孫が4人いた。
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