結婚・日活退社とは? わかりやすく解説

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結婚・日活退社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 02:05 UTC 版)

浦辺粂子」の記事における「結婚・日活退社」の解説

その後も粂子は村田監督の『金色夜叉』、溝口監督の『曲馬団女王』『乃木大将熊さん』、三枝源次郎監督の『愛の岐路』『吉岡大佐』、阿部豊監督『人形の家』などに出演性格女優としてだけでなく、人気スターとしても酒井米子沢村春子に次ぐ存在となる。1928年昭和3年10月23日京都資産家息子である上野興一と結婚、これを理由に翌1929年昭和4年)に日活退社する。しかし、夫婦競馬狂いになり、結婚生活1年破綻1930年昭和5年4月離婚する日活企画部にいた波多野身の振り方相談する池永所長に会うように言われ日活太秦撮影所へ行くと、粂子の腕を惜しんでいた池永即座に復帰求め、ただちに日活に再入社する復社初出演入江たか子主演の『未果てぬ夢』で、溝口監督の『唐人お吉』では発狂して死ぬお松、『しかも我等は行く』では男を渡り歩いた女の若い時と中年2つ年代演じ心理的表現巧みさを評価された。 1932年昭和7年)、日活争議発生し伊藤大輔内田吐夢らと「七人組」で退社した村田監督に同脚して日活退社し入江ぷろだくしょん入社阿部監督の『光・罪と共に』『須磨仇浪』などに助演し、溝口監督の『瀧の白糸』では、女水芸一座下座三味線弾き夜鷹になるお銀という悪女演じ本領発揮する1933年昭和8年7月新興キネマ太秦撮影所入社し多数作品助演、やがて東京撮影所作品にも出演する1942年昭和17年)、新興キネマ戦時下企業統合大映となり、粂子も引き続き大映所属となった

※この「結婚・日活退社」の解説は、「浦辺粂子」の解説の一部です。
「結婚・日活退社」を含む「浦辺粂子」の記事については、「浦辺粂子」の概要を参照ください。

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