結婚、松任谷由実として活動とは? わかりやすく解説

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結婚、松任谷由実として活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 09:41 UTC 版)

松任谷由実」の記事における「結婚、松任谷由実として活動」の解説

1976年11月29日松任谷正隆横浜山手教会にて結婚その後松任谷由実として音楽活動続行するブレッド&バター松田聖子小林麻美などへの楽曲提供傍ら1978年から1983年オリジナルアルバム毎年2枚リリースした。「埠頭を渡る風「DESTINY」恋人がサンタクロース」「カンナ8号線」「真珠ピアス」「ダンデライオン」などはこの頃作られた。また、リゾート地でのコンサートスタイルをこの時期確立した1981年6月シングル守ってあげたい」が1981年シングル年間ランキング10位のヒットとなり、第二次ブーム到来。その年のアルバム昨晩お会いしましょう以降オリジナルアルバム17連続オリコン1位を獲得。特に1987年アルバムダイアモンドダストが消えぬまに』が78万枚大ヒット皮切りに、翌1988年Delight Slight Light KISS』は159万枚セールス倍増1990年発売の『天国のドア』では史上初のアルバム200万枚出荷記録以降1995年の『KATHMANDU』までの80年代後半から90年代半ばにかけてオリジナルアルバム8作連続ミリオンセラー獲得する1979年以降コンサート大規模化始まり本物の象を登場させた「OLIVE」、マジック取り入れたMAGICAL PUMPKIN」、エレベータ設置したBROWN'S HOTEL」、噴水ショーSURF & SNOW」、30メートルの竜に乗った水の中のASIAへ」など年々エスカレートしていった。当時インタビューでも「レコード儲けた分、コンサートで夢と一緒にファン方にお返しするのが役目」と語っていた。 詳細は「松任谷由実のコンサート一覧」を参照

※この「結婚、松任谷由実として活動」の解説は、「松任谷由実」の解説の一部です。
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