結婚、松任谷由実として活動
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1976年11月29日、松任谷正隆と横浜山手教会にて結婚、その後は松任谷由実として音楽活動を続行する。ブレッド&バター、松田聖子、小林麻美などへの楽曲提供の傍ら、1978年から1983年はオリジナルアルバムを毎年2枚リリースした。「埠頭を渡る風」「DESTINY」「恋人がサンタクロース」「カンナ8号線」「真珠のピアス」「ダンデライオン」などはこの頃作られた。また、リゾート地でのコンサートのスタイルをこの時期に確立した。 1981年6月のシングル「守ってあげたい」が1981年のシングル年間ランキング第10位のヒットとなり、第二次ブームが到来。その年のアルバム『昨晩お会いしましょう』以降のオリジナルアルバムは17枚連続でオリコン1位を獲得。特に1987年のアルバム『ダイアモンドダストが消えぬまに』が78万枚の大ヒットを皮切りに、翌1988年『Delight Slight Light KISS』は159万枚とセールスが倍増。1990年発売の『天国のドア』では史上初のアルバム200万枚出荷を記録。以降、1995年の『KATHMANDU』までの80年代後半から90年代半ばにかけてオリジナルアルバム8作連続のミリオンセラーを獲得する。 1979年以降はコンサートの大規模化が始まり、本物の象を登場させた「OLIVE」、マジックを取り入れた「MAGICAL PUMPKIN」、エレベータを設置した「BROWN'S HOTEL」、噴水ショー「SURF & SNOW」、30メートルの竜に乗った「水の中のASIAへ」など年々エスカレートしていった。当時のインタビューでも「レコードで儲けた分、コンサートで夢と一緒にファンの方にお返しするのが役目」と語っていた。 詳細は「松任谷由実のコンサート一覧」を参照
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