結婚・独立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 16:46 UTC 版)
中学校卒業後の1991年(平成3年)、慶末は「もう少し学校生活を楽しみたい」と定時制の高校に通学するようになったが、学校生活が楽しめなかったことから、1学期途中に退学した。ちょうどそのころ、四兄が独立して仕事を始めるようになったため、彼の下で働くようになったほか、16 - 17歳ごろには頻繁に出入りしていた地元のスナックのホステス甲(3歳年上)と交際するようになった。やがて甲が妊娠したことから、慶末は母の反対を押し切って結婚。出産予定日は慶末が18歳になる直前だったが、甲は妊娠中毒で体調を悪化させたため、予定より数か月早く帝王切開で長男を出産した。1993年(平成5年)のことだったが、同年の忘年会で慶末はコンパニオンとして訪れた3歳年上の女性・乙と意気投合し、不倫関係になった。 一方で慶末は17歳のころ、Bとともに、長兄を除く兄3人が資金を出し合って設立した有限会社の社員になったが、しばらくして四兄との関係が悪化し「会社を辞める」と言うようになった。しかし、独立を志すようになった次兄(取締役)から「自分の仕事を手伝ってくれ」と申し出を受け、それを受け入れた。翌1994年(平成6年)、慶末(当時19歳)は「ヨシトモハウス」という屋号で兄たちの会社から独立し、妻・甲の弟(義弟)とともに兄たちの会社の下請けとして働くようになったほか、仕事上車が必要になったことから、兄たちの会社の名義でローン(約130万円)を組んでワンボックス車を購入。しかし、慶末は自動車教習所に通う時間がなかったことや、「今更(運転免許を取得するのは)面倒だ」と考えたことなどから、運転免許は取得せず、普段から車を無免許運転していた。1995年(平成7年)、慶末が20歳になった直後に甲は第2子を妊娠したが、慶末はこのころに自宅近くのスナックに入り浸り、同店に勤めていた10歳年上の女性・丙(離婚歴あり)と交際するようになった。一方でこのころ、男A(碧南事件・守山事件の共犯者/群馬県出身)と出会い、次兄からAに仕事を教えるよう頼まれていた。 慶末は次男が出生した当初、妻・甲に毎月生活費を渡し、残った工賃はほとんど飲み代や丙との交際費に充てていたが、やがて丙との交際を深め、腰痛の悪化も相まって義弟に仕事を押し付けて外泊をするようになり、1996年(平成8年) - 1997年(平成9年)ごろにはこれに憤慨した甲によって家を追い出された。甲は当時、「(慶末は)家から追い出せば、そのうち頭を冷やして戻ってくるだろう」と考えていたが、これで自暴自棄になった慶末は兄たちの会社で寝泊まりするようになり、仕事もあまりしなくなった。やがてクレジットカードのキャッシングや消費者金融で借金をするようになった一方、丙の家で寝泊まりするようになったが、金遣いの荒さは治らず、最終的には遊興費欲しさに丙の財布から現金を盗むようになった。
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