守山事件
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2006年(平成18年)7月20日、堀(当時31歳)はAとともに、当時69歳の女性が1人で暮らしていた名古屋市守山区脇田町の住宅を訪れ、かつてこの家をリフォームした建築会社(堀が勤めていた会社)の名前を騙り、定期点検を装って玄関から侵入。被害者を脅迫し、顔や首にガムテープを巻きつけたりしたほか、堀またはAが単独で、あるいは両名で被害者の首を絞め、被害者に入院加療56日間の怪我を負わせたほか、現金25,000円および耐火金庫など12点(時価合計約38万円相当)を奪った。 丙から家を追い出された後、堀は3歳年上の女性乙(27歳 - 28歳)に連絡を取り、名古屋の中心部にある彼女の家に通うようになり、やがて彼女と亡父の内妻、その母親とともに4人で生活するようになった。当時、堀は四兄の下で働きながら生活していたが、乙の実家の周辺に数件のパチンコ店があったことから、やがてパチンコ店に入り浸り、腰痛も相まって仕事の量も減るようになった。そのため、四兄から給料を前借りしたり、乙の貯金に手を付けたりするようになった。一方で同棲を開始してから約2年後、乙の妊娠が判明したが、後に乙は流産してしまい、パニック症を発症したほか、堀とともにパチンコやスロットに没頭しするようになった。 2004年(平成16年)夏ごろ、堀(当時29歳)は乙(当時32歳)とともに乙の実家を出て、名古屋の中心部にあるマンションで2人暮らしをするようになった。このころから堀はパチンコなどのギャンブルをしなくなった一方、乙の行きつけだった飲み屋の店主がダーツバーを初めたことをきっかけに、ダーツに熱中し、ダーツのプロを目指すようになった。しかし、約1年ほどして生活に慣れてくると再びパチンコ店に出入りするようになり、2006年6月ごろには兄との確執や腰痛の悪化で仕事をしなくなった。また、同年7月7日ごろには中学校の同級生だった女性・丁と再会し、彼女と頻繁に会って交際するようになり、肉体関係も持った一方、かつて自身が工事を手掛けた「守山事件」の現場となった住宅について、「高齢女性の1人暮らしで、金銭的に余裕がありそうだ」と考え、同宅に強盗に入ることを思いついた。そしてAに対し、同宅へ強盗に入ることを提案し、事件を起こすに至ったとされるが、堀は被害者への殺意を否定し、「Aが単独で被害者の首を絞め、自分が制止したらようやくやめた。被害者の供述調書(特に事件直後のもの)は、自分の主張とほぼ一致している」と主張している。 守山事件後、堀は被害者宅から奪ったブランド物の財布や貴金属などを質入れして換金したほか、残ったネックレス1個を丁にプレゼントした。その後もパチンコ店やダーツバーに通う生活を続けていたが、丁への不満が積み重なったことから、同年10月11日には丁が長男(当時7歳程度)のために管理していた預金(約67万円)に手を付け、同月19日には長女(当時5歳程度)の預金(約39万円)にも手を付けた。堀はそれらの金(約110万円)をギャンブルや乙の生活費として遣っていたが、2007年(平成19年)1月にそれが丁に露見し、返済するために大工見習いとして働こうとした。しかし、最終的には堀自身が仕事を断り、さらに同年2月20日には偶然丁のキャッシュカードの暗証番号を知ったことから、同日から27日にかけて計170万円を引き出した。そして3月2日にはこれが露見し、丁から「毎月10万円づつ返済する」と約束を取り付けられた上で家を追い出された。『中日新聞』 (2012) によれば、堀はこのころ「同居女性(=丁)から440万円の借金を背負い、同居を解消した」とされている。
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