碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件の意味・解説 

碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/19 02:56 UTC 版)

碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件(へきなんし パチンコてんちょうふうふ さつがいじけん)とは、1998年平成10年)6月28日夜から6月29日未明にかけ、愛知県碧南市油渕町4丁目の民家[注 1]で発生した強盗殺人事件[2]


  1. ^ a b c 事件現場となった住宅の所在地は、『中日新聞』(1998年および2012年)では「碧南市油渕町4丁目」とされている[1][2]ほか、ゼンリン住宅地図(1998年版)によれば、被害者Xの住宅(事件現場)の住所は「碧南市油渕町4丁目28番地1」である[3]。同宅は1989年(平成元年)末に新築され[4]、前には飲食店などが並んでいた[5]。事件後、X宅は2011年(平成23年)秋ごろまで空き家だったが[6]、後に解体され、2012年時点で跡地には新しい住宅が建っている[7]
  2. ^ a b c d e 堀は1975年昭和50年)4月29日生まれ[10]。本事件の被疑者として逮捕された2012年8月3日当時は、無期懲役刑(闇サイト殺人事件の刑事裁判で確定)の受刑者として、名古屋拘置所に収監されていた[11]
  3. ^ 守山区(Xのパチンコ店があった尾張旭市に隣接)やその周辺[4]。『中日新聞』 (2012) は、当時の3人について「守山区内のアパートに頻繁に集まっていた」と述べている[23]
  4. ^ 堀の次兄は同月ごろ、堀(5人兄弟の末っ子)に対し、「6月末までに、(堀が滞納して)自分が肩代わりしているローンの残金百数十万円を全額払え」と強く求めてきた[24]
  5. ^ 『中日新聞』 (2012) は、「Aは堀から『300万円の借金がある』と言われ、犯行に誘われた旨を述べている」と報じている[23]。当時、堀は飲み台で月に二十数万円 - 60万円を遣っていたほか、妻とは別の女性と浮気関係にあり、憤慨した妻によって家を追い出されたが[25]、その後もクレジットカードキャッシングや消費者金融からの借金を繰り返し[26]、遊興費欲しさに同居していた浮気相手の財布から現金を盗むこともしていた[24]
  6. ^ 共犯者A(2016年に無期懲役が確定)は1976年(昭和51年)生まれ[29]
  7. ^ Aは堀に対し、「人を殴り殺したことがある」と話していたが、これは実際にはAの先輩がやったことだった[28]
  8. ^ Xは生前、同店を経営する会社の営業部長を務めており、(堀らが目をつけた)尾張旭市内の店舗に責任者として派遣されていた[1]。堀は自著 (2019) で「一部報道では、自分がこの(Xが店長を務めていた)パチンコ店の客だったとされているが、一度も店に入ったことはない。店舗の下見と、Xの尾行のために(少なくとも5回)行ったにすぎない」と述べている[31]
  9. ^ a b 共犯者B(2018年に無期懲役が確定)は1969年(昭和44年)生まれ[29]。Bは鹿児島県枕崎市出身で、地元の職業訓練校を卒業後、17歳で名古屋へ働きに出たが、本事件後の2001年(平成13年)にパチンコで借金を抱えるなどして生活が荒れたため、両親によって枕崎へ連れ戻された[32]
  10. ^ Bは堀やAと同じく金に困っていた一方、堀とは旧知の仲かつ口下手だったため、堀は「Bなら、もし誘いを断られても口外しないだろう」と考えた[33]。また、堀・Aの両名とも当時は運転免許を持っていなかったため、免許を持っているBは好都合な存在だった[34]
  11. ^ Xは普段、パチンコ店の寮で寝泊まりしていたが、休日の前日は自宅に帰っていた[35]
  12. ^ レクサスブランドの日本上陸は事件後の2005年。
  13. ^ ポリバケツは粘着テープとビニール紐を入れた状態でAが持ち、Bは釣り竿を持った[45]。また、堀は包丁の入ったバッグを持ってX宅に向かった[45]
  14. ^ a b X宅の数十 m南には高浜川が流れていた[53]
  15. ^ 事件当日、現場付近を流れる大きな河川[注 14]には釣り人が多くいた[45]。また、事件当時には実際に、「事件当日(6月28日)の昼ごろ、不審な3人組が釣り竿とバケツを持ってX宅周辺を歩いていた」という目撃証言があった[42]
  16. ^ Bはこの間、子供2人と遊んだりしていた[48]
  17. ^ ただし、堀は自著 (2019) で、「Yから軍手を外すよう勧められた。その言葉で軍手を外したかどうかまでは記憶がないが、逃走時に自分たちが飲食に用いた食器や煙草の吸殻を持ち帰ったことからすれば、軍手を外した可能性はある」と述べている[48]
  18. ^ 事件現場に近い碧南市油渕町1丁目12番地には碧南警察署の西端駐在所がある[50]
  19. ^ 堀は「Xを脅した後ですぐに行動できるよう、クラウンをもっとX宅に近い場所へ移しておこう」と考え、クラウンを堤防道路に移動した[54]
  20. ^ 20時過ぎごろ、YはX宅(自宅)に掛かってきた電話[40](碧南市内の男性からの電話)に応答しているが、この時は通常(すぐ電話に出ていた)とは異なり、10回ほど呼び出し音が続いていた[56]
  21. ^ 名古屋地裁 (2015) によれば、堀は23時23分ごろ[57](23時20分過ぎ)[56]、Yの生存を偽装するため、X宅の固定電話を利用して電話を掛けた[57]。また、堀も自著で「自分はYを殺害した後、(Xの帰宅を待ち伏せている間)、リビングの電話を使い、PTAの名簿にあった電話番号のうち1つに電話を掛けた。捜査記録によれば、発信時刻は23時23分ごろで、通話時間は14秒間だった。なぜこのような行動を取ったかはわからないが、(Yの生存を偽装して)捜査を撹乱しようとしたのかもしれない」と述べている[58]。その通話先の市外局番「0566-48」は碧南市の一部地域と安城市東端町で使われている番号だった[56]
  22. ^ 堀は「実際に(財布に)入っていた現金は5万数千円だ。A・Bが20,000円ずつ受け取り、残る1万数千円を自分のものにした」と述べている[59]
  23. ^ a b c Xが襲撃された時、父Xに起こされた長男は父とともに1階に降り、堀たち3人に襲われている父を目撃したが、3人のうち、Xに馬乗りになっていた大柄な男から「寝てていいよ」と言われ、寝かしつけられた[60]。名古屋地裁 (2015) では、その馬乗りになっていた男は体格や、共犯者Aの証言から「堀であると推認できる」とされている[61]
  24. ^ 小型耐火金庫で、堀はその鍵を探したが、発見できなかった[59]
  25. ^ この時はまず、2人の遺体を玄関まで運び、堀がXの車(レクサス)を玄関前に横付けしてから、3人で遺体をレクサスのトランクまで運んだが、人目を気にして遺体にバスタオル(堀が「Xを死なせた凶器」と主張している)をかぶせていた[62]
  26. ^ 堀は「自分とAは和室で、枝豆を食べたり、箸を使ったりする際に片手の軍手を外していたが、ハンバーグの皿はもう片方の(軍手を嵌めたままの)手でしか触っていなかった。事件当時の自分の知識では、箸でつついただけで皿にDNA型が残るなどとは考えられなかっただろう。枝豆の殻も、そこから指紋が検出されるとは思わなかった」と述べている[65]
  27. ^ この時は堀がXのレクサスを運転し、同車にAが同乗していた[67]
  28. ^ 碧南市大久手町を通る県道は愛知県道295号道場山安城線のみで、同町内の交差点を左折して北上すると、愛知県道47号岡崎半田線(主要地方道/西方に進むと高浜市方面へ向かう)に突き当たる。
  29. ^ 遺棄現場(高浜市湯山町4丁目)[68]は、X宅(碧南市油渕町4丁目)[1]から車で約10分ほどの場所に位置する[67]。愛知県警の捜査により、犯人(=堀たち)はまずX宅周辺の道路を何周かした後、畑の間を抜ける路地を経由し、碧南市大久手町の交差点で県道を左折[注 28]した上で、主要地方道を通るなどして遺棄場所に着いたとされる[56]
  30. ^ a b 事件解決時点で死体遺棄罪は公訴時効(3年)が成立していた[2]
  31. ^ 3人はパチンコ店の通用口から侵入を試みたが、通用口には鍵以外に防犯装置が設置されており、その解除方法がわからず、侵入を断念した[69]。また、堀は「Xから奪った鍵束の鍵を使って店のドアを解錠しようとしたが、どの鍵も店の錠に合わなかったので侵入に失敗した。しかし、取調官から『奪った鍵束の中に店の鍵があったようだ』と聞かされた」と述べている[67]
  32. ^ 堀 (2019) は「Z宅は年配の女性の1人暮らしで、『年配女性が家を新築するぐらいだから、それなりに財産がありそうだ』と考えて標的に選んだ。住民に危害を加えるつもりまではなかった」と述べている[74]
  33. ^ ただし、堀は自著 (2019) で、「自分は2006年7月当時、生活に困窮するほど金銭に困っていたわけではなかった。Aが自分に対し『カネに困っている。何か(犯罪を)やらないか』と持ちかけてきた。自分は碧南事件(本事件)のことを思い出して躊躇いを感じたが、碧南事件は自分の都合が発端になっていたことを考えると、Aの誘いを断ることはできず、誘いに乗った。その翌日、自分が約2年前に外壁工事をした現場(Z宅)を思い出し、そこに押し入り強盗しようと決めた」と述べている[75]
  34. ^ Zは「堀が点検を終えて、見送ろうとしたところ、Aが玄関への通路に立ちふさがり、紙袋から出した包丁を脇腹に突きつけてきた。そして寝室に連れて行かれ、Aによってガムテープを目や首に何重か巻かれた」と供述している[76]
  35. ^ a b 守山事件で、AはZに対し「ごめん」などと言うことがあったほか、Zが「目の手術をしたばかりなので、目にガムテープを貼るのはやめて」と言うと、顔からガムテープを外したりした[73]。名古屋地裁 (2015) は、Zが一貫してこのようなAに有利な内容の供述をしている点から、「Zの供述は信用性が高く、AがZへの殺意を有していなかったことを窺わせる事情とも合う」と指摘している[77]。一方、Zは「キャッシュカードの暗証番号を訊かれた記憶はないが、『娘が管理しているので分からない』と言ったことがあった」という旨を述べている[73]
  36. ^ Aは12時40分過ぎごろにZ宅の駐車場に軽自動車を駐車したが、その後はZ宅に入らず、少なくとも4, 5分は運転席に座っていた[78]
  37. ^ Zが首を絞められたのは、堀とAが「(近くに駐車したAの)車を取ってこようか」という会話を交わしてから、2人がZ宅を立ち去るまでの間である[78]。また、名古屋地裁 (2015) はZの搬送先病院の主治医の証言や、搬送時のZの写真から、「Zは細い紐状の物で、かなり強い力により3 - 5分程度にわたり、首を絞められ続けた」と認定している[78]
  38. ^ 堀がかつてZ宅の工事の際に使った現場の手配書・図面などの書類[74]
  39. ^ 堀 (2019) は「その時点では、まだZは気を失っていたようだった」と述べている[79]
  40. ^ しかし、金庫の中に金目のものはなかった[79]
  41. ^ 現金の引き出しはAが行おうとしたが、暗証番号がわからず失敗した[80]
  42. ^ 入院加療56日間を要する両肩関節運動障害などの傷害[82]
  43. ^ Aが「処分できない」と言ったため[80]
  44. ^ 中日新聞』 (2012) は、堀が起こした本事件と闇サイト事件について「闇サイト事件の際、堀は無期懲役が確定した共犯者と(被害者を拉致する3日前に)知り合ったが、この時は堀が以前から面識のあったパチンコ店の常連客を『大金を持っていそうだ』として尾行し、襲う計画だった。しかし防犯カメラが多いため中止し、女性の拉致計画に変わった」と述べ、「闇サイト事件の経緯には、本事件との類似点がある」と指摘している[86]
  45. ^ 近藤は2007年4月以降、名古屋地裁刑事第6部で部総括判事(合議体の裁判長)を務めていた[93]
  46. ^ 闇サイト事件の共犯者のうち、事件直後に自首した1人は、強盗殺人など(3被告人共通の罪状)のほか[21]、殺害前に被害者を強姦しようとしたとして強盗強姦未遂罪などにも問われ、堀ら2人とともに死刑を求刑された[21]。しかし、第一審では「刑事責任は(死刑を適用された)堀ら2人と比べ、量刑上、特に景趣の選択を分かつほどの差異を設けるべき事情は見い出せない」[94]とされたが、「当事件は犯罪の発覚・逮捕が困難であり、自首によって共犯者の逮捕や、その後に起こり得た犯罪も阻止した」とされ、無期懲役(求刑:死刑)を言い渡された[21]。検察官および被告人の双方が控訴したが、控訴審でも(双方の控訴棄却により)無期懲役が維持され[95]、確定した[96]。一方、堀とともに死刑を宣告された1人はいったん控訴したものの、後に自ら控訴を取り下げた[97]ため、死刑が確定した(2015年に名古屋拘置所で死刑執行)[98][99]
  47. ^ 名古屋地裁 (2009) は、「闇サイトで集まった匿名性の高い集団による犯行は、発覚や逮捕が難しく、社会の安全にとって重大な脅威だ。厳罰で臨む必要性が高い」と判断した[94]
  48. ^ 刑法第51条「併合罪について二個以上の裁判があったときは、その刑を併せて執行する。ただし、死刑を執行すべきときは、没収を除き、他の刑を執行せず、無期の懲役又は禁錮を執行すべきときは、罰金、科料及び没収を除き、他の刑を執行しない」(参照)に基づく。執行事務規程第32条において、「第11条第1項の場合において、死刑確定者が自由刑の執行中であって刑法第51条第1項ただし書の適用があるときは、刑執行取止指揮書により自由刑の執行を取りやめる旨を指揮(中略)する。」と規定されており[103]、検察官が同規定に則ってその指揮を行う[104]
  49. ^ その後、同月5日には男性の遺体の身元はXと断定され[105]、6日には女性の遺体の身元もYと断定された[106]
  50. ^ Xが生前、ほとんど週末にしか帰宅していなかったことや、その仕事柄から、県警は「パチンコ絡みの犯行」として捜査していた[107]。また、遺体の入ったレクサス[63]が住宅地の袋小路に放置されていたことから、「犯人は土地勘のある人物である可能性が高い」として捜査していた[107]が、実際に逮捕された堀ら3人はいずれも事件現場周辺への土地勘はなかった[108]
  51. ^ 2010年(平成22年)4月27日に公布・施行された改正刑事訴訟法により、人を死亡させた罪で、(法定刑の最高が)死刑に当たる罪(殺人罪強盗殺人罪など)については公訴時効が廃止された。
  52. ^ 「未解決事件専従捜査班」とする報道もある[112]。特命捜査係は本事件が解決した2012年8月時点で、21人体制で33事件の再捜査を行っていたが、被疑者逮捕は本事件が初の事例だった[113]
  53. ^ 堀のDNA型は闇サイト事件で逮捕された直後に採取され[114]警察庁のデータベース(2005年より運用開始)に記録されていた[112]
  54. ^ 碧南事件の発生当時、堀と交友関係のあった人物は数十人に上、居場所の特定に時間を要した[111]。また、県警は捜査状況を共犯者に知られないよう、慎重に捜査した[111]
  55. ^ Aは2009年、群馬県本籍地)にて覚醒剤取締法違反容疑で逮捕された[23]。その後、覚醒剤取締法違反・大麻取締法違反の罪により、同年7月14日に前橋地方裁判所で懲役3年6月+罰金50万円の判決を受け(同月29日に確定)[115]、碧南事件で逮捕された当時は関東地方刑務所に服役していた[11]
  56. ^ 県警は同日、守山警察署に特別捜査本部を設置した[17]
  57. ^ 地検は堀については「被害者への殺意があった」と判断した[119]一方、Aについては「殺意が認められない」として、強盗致傷罪で起訴した[18]
  58. ^ なお、この統計では被害者の中に強盗殺人ではなく、殺人の被害者が含まれる場合もある[125]
  59. ^ そのうち、6件は「当初は窃盗ないし強盗の目的であったが、犯行現場における様々な経緯により強盗殺人を犯した事案」で、5件は「家人等に気づかれて殺害に及ぶ場合(同一機会に2名が殺害されている)」である[127]
  60. ^ うち2件は「殺害方法が特に残虐であって極めて強固な殺意に基づく犯行」(「事件一覧表」17番:寝屋川夫婦殺害事件など)で、もう2件(同96番:宮代事件など)では放火を、残り1件では強姦を伴っている[128]
  61. ^ 例 - 「事件一覧表」128番(京都・大阪連続強盗殺人事件)、137番(中村橋派出所警官殺害事件)、332番(大阪姉妹殺害事件)など[129]
  62. ^ それらの例には、犯行前に何名と認識していたわけではないが、犯行場所にいる者を殺害して金品を奪う目的で犯行に及び、2名に対する強盗殺人を犯した場合も含まれる[130]
  63. ^ 第2回公判(11月4日)[133]では、被害者夫婦の長男が証人として出廷[134]。その後、11月5日[135]および6日の公判では検察官の証人としてAが出廷し[136]、11月9日[137]・10日の公判では堀への被告人質問が行われた[138]。同年11月11日以降は守山事件の審理が開かれ[139]、11月16日の公判ではAが証人として出廷[140]。11月17日には(守山事件に関する)堀への被告人質問が行われ[141]、11月19日の第12回公判(中間論告・弁論)をもって、碧南事件および守山事件の証拠調べは終了した[142]。その後、第13回公判(12月3日)では[143]、情状面の審理が行われ、検察官・弁護人のほか[144]、被害者夫婦の長男の代理人弁護士による被告人質問や、情状証人(当時78歳の堀の母親)への尋問が行われた[143]
  64. ^ また、堀は警察官の取り調べに対し、警察官が準備した複数の紐を実際に手に取って確かめ、(太さ・形状・材質・感触から)殺害に使用した紐とほぼ同じ物と思った紐を選び出していた[145]
  65. ^ Yらが警察などに通報したり、逃走したりしないよう監視するため[153]
  66. ^ 抵抗を排除して強盗を遂行し、犯行の発覚も防ぐため[153]
  67. ^ 名古屋地裁 (2015) は「仮に堀の与り知らないところで、AやBがYを絞殺したのならば、何か突発的な事態が生じた場合と思われる」とした[152]上で、「Yは殺害された当時、見知らぬ男2人(A・B)とともに居宅内にいたため、自分や幼い子供2人を監視されている状態だった。そのような状況下、Yは自分たちに危害がおよぶことを回避するため、堀たちの意に反さないような行動を取らざるを得ない状況であり、何らかの行動を起こすことは考えにくい」と指摘し、「突発的な事態が生じたことにより、AらがYの殺害を決意した可能性は極めて低い。また、もしそのようなことが起きた場合、当然堀はAたちを咎めたりするはずだが、そのようなことはなく、むしろその状態を冷静に利用し、強盗の目的を遂げるための行動に出ている」と結論づけた[156]
  68. ^ 弁護人は「堀らの計画上、Xから店の鍵を奪うだけでなく、鍵の開け方やセキュリティシステムの解除方法などを訊き出す必要があり、仮にXを殺害してしまえば計画が頓挫するため、殺害の共謀はありえない」と主張したが、名古屋地裁 (2015) は「堀らはYの死体を和室に放置したまま、Xの帰宅を待ち伏せている。XがYの死を知れば、容易に情報を得られないことは想像に難くないため、堀らは『Xから鍵さえ奪えればいい』と安易に考えていたと思われる。実際、堀らは犯行後、奪った鍵を持って店に赴いている」として、その主張を退けた[146]
  69. ^ 堀は「Z宅のインターホン(モニター付き)には、録画機能があるかもしれない」と考えたため、インターホンを強引に取り外した[161]
  70. ^ リビングダイニングは玄関の東側にあり、寝室はリビングダイニングの北側に隣接していた[73]
  71. ^ 名古屋地裁 (2015) はこのほか、Aが被害者の目隠しとなるガムテープを外すなど、関与に消極的だったことを挙げた上で、「堀とAがいったんZ宅を出た後、再びZ宅に戻ろうとしたこと(仮にZが生きていれば、意識を取り戻したZや通報で駆けつけた警察官と鉢合わせする危険性がある行為)を取っていたことなどから、堀はZが死亡したことを前提に行動していたと見るべきである」と指摘した[165]
  72. ^ 判決公判後、審理に関わった裁判員の1人は記者会見で「闇サイト事件と本事件・守山事件を切り離して考えた」と述べた[182]一方、刑事法を専門とする只木誠中央大学法科大学院教授)は「裁判員らは本事件および守山事件だけで死刑の結論を導き出したが、堀の性格や経歴を推知する資料として、闇サイト事件を参考にした可能性はある」と指摘している[183]
  73. ^ 第一審判決前に『朝日新聞』の取材に対し、検察幹部は「碧南事件だけでも極刑に値する。8年後に守山区でも(強盗殺人未遂)事件を起こしており、犯情は悪質」と、弁護側は「闇サイト事件を理由に(裁判員は)死刑を選択してはならない」と述べていた[187]
  74. ^ 『中日新聞』 (2012) は「2人は事件後、愛知県岡崎市内の親類宅に引き取られた」と報道している[214]
  75. ^ 2000年(平成12年)ごろ。次男は中学生時代、図書館のパソコンで新聞記事を検索したことにより、それまで周囲から「海外旅行に行っている」「仕事が忙しい」と聞かされていた両親が殺害されたことを知っている[215]が、『読売新聞』は「(事件のことを知る以前から)両親がこの世にいないことを感じ取っていた」と報じている[216]


「碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件」の関連用語

碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS