唯我独尊
唯我独尊
「唯我独尊」とは、「自分は誰よりも優れている」「自分だけが尊い存在である」という意味で用いられる表現である。本来は釈迦の誕生にまつわる言葉であるが、今日では不遜な思い上がった態度を揶揄する意味合いで用いられることが多い。
「唯我独尊」は「天上天下唯我独尊」の略である。さらに略して「独尊」と表現されることもある。
「唯我独尊」とは・「唯我独尊」の意味
「唯我独尊」を字面通りに解釈すると「我ただ一人だけが尊い者である」ということである。釈迦は生誕した直後に歩き、7歩前進して「天上天下唯我独尊」という言葉を発した、と伝えられている。要するに本来の「唯我独尊」は、釈迦牟尼の尊さを伝えるエピソードである。
「唯我独尊」は「自分だけが優れている」という意味で日常的に使われているが、実は本当の意味はそうではない。そもそも「唯我独尊」は仏教用語で、釈迦が生まれた時に発した言葉だ。「私たち人間は、ただ一つの命として唯一無二の存在であり、尊いものだ」という意味である。すなわち、本来の「唯我独尊」の意味は、一般的に認識されている意味とはほぼ真逆だ。
また、「唯我独尊」という文字は人気アニメ「東京リベンジャーズ」にも登場して大変話題となった。東京卍會の特攻服の両胸の所に、刺繍文字で「唯我独尊」と入れられている。このアニメの影響で「唯我独尊」という言葉が若者の間に浸透し、「唯我独尊」という印字が施された数珠ブレスレットが販売されて人気を博した。
「唯我独尊」の熟語・言い回し
唯我独尊な人とは
「唯我独尊な人」とは、この世で自分ほど偉い人間はいないとばかりに傲慢で我儘に振る舞う人を意味する言葉である。ネガティブな意味で用いられることが多い。例えば、「彼は私が今まで出会った人の中でとりわけ唯我独尊な人なので、本当に苦手だ」というように使われる。
天上天下唯我独尊とは
「天上天下唯我独尊」とは、釈迦が生まれた際に発した言葉だ。「すべての存在は尊く、財産、名誉や地位など何一つ加える必要もなく大切な命を与えられている」という意味である。読み方は、「てんじょうてんがゆいがどくそん」「てんじょうてんげゆいがどくそん」の2通りある。そもそも釈迦はどんな人かというと、ゴータマ・シッダールタという仏教の創始者のことだ。そのような偉い人が、生まれてすぐに七歩歩いて、右手を上にあげて左手で地を指すというポーズで「天上天下唯我独尊」と唱えたと伝えられている。
「唯我独尊」の使い方・例文
「唯我独尊」とは、人間の態度や性格が傲慢で良くないことを表現したい場合に使われる。ネガティブなニュアンスの言葉なので、むやみに使わない方がいい。・高校の同じクラスに唯我独尊な同級生が一人いて、周りの人間は心の底から辟易している。
・子供の頃から次期社長として周囲から甘やかされて育てられたせいで、彼はかなり唯我独尊で社員の意見を一切聞き入れようとしない。
・自分は偉いとばかりに唯我独尊な振る舞いをずっと続けていると他人から嫌われてしまうから、絶対に気を付けた方がいい。
・自分が特別に優秀だと勘違いしている唯我独尊な人は、周囲からは冷たい目で見られていることが多い。
・自分が優秀ではないと思われるのが怖いためなのか、唯我独尊な人は周囲から間違いを指摘されただけで過剰に反応することが多い。
・「天上天下唯我独尊」というと悪い意味で使われることが多いが、本当の意味は全く異なる。
・先日、人生で初めてお見合いに参加したのだが、紹介された男性が女性に対して常に横柄で傲慢な態度で接してくるような唯我独尊な人だった。
・「天上天下唯我独尊」は釈迦が生まれてすぐに発したものなので、とてもありがたい言葉だと思う。
・クラスのガキ大将はクラスメートに対して自分の家来であるかのように命令を下していて、まさに唯我独尊といった感じである。
・自分の思うように事が進まないと部下に文句を言いまくったり、嫌なことがあると大声で喚き散らしたりと、彼の性格は本当に唯我独尊だと言える。
唯我独尊
唯我独尊とは、唯我独尊の意味
唯我独尊とは、世の中で自分が最も優れていると自惚れること。「我」は自分を表し、「独尊」は自分1人だけが尊いという意味である。したがって、唯我独尊でただ自分だけが尊いという意味となる。基本的には周囲を顧みず、自尊心が高い人を指すために用い、良い意味で使われることはほとんどない。唯我独尊の語の由来・語源
唯我独尊の由来は、仏教の祖である釈迦が生まれた時に発したとされる言葉である。釈迦は生まれた直後に7歩歩き、「天上天下唯我独尊」と唱えたとされている。これは天と地の両方、つまり世の中において、自分よりも尊い者はいないという意味である。ただ、これは本来悪い意味ではなく、誰しも生きているだけで、代わりのいない尊い存在だという意味であった。それが現代では解釈が変わり、自惚れているという意味で使われるようになった。唯我独尊の語の使い方(用法)、例文
唯我独尊は原則として、自尊心が高い人を対象に使用する。そのため「あの社長は常に唯我独尊な態度を取っている」「唯我独尊な人は他人から好かれにくい」といった使い方となる。そして、対象は他人だけでなく、「あの頃は唯我独尊ぎみだった」「上の立場になったからといって、唯我独尊になってしまわないように注意する」という風に、自身の自惚れを諫めるために使用することもできる。また、釈迦の言葉として、人は誰もが尊いという意味合いで使用する場合もある。唯我独尊の類語と使い分け方方
唯我独尊の代表的な類語としては、「独り善がり」や「独善」が挙げられる。どちらも自分が正しいと信じて疑わないという意味であり、唯我独尊と共通する部分がある。ただ、唯我独尊は自分を持ち上げるようにしているのに対して、独り善がりや独善は他人の意見を寄せ付けないというように、若干ニュアンスが異なる。また、独り善がりや独善は一時的な状態を示すことができるが、唯我独尊は人となりを表すことが多い。したがって、独り善がりや独善的な態度が続いた挙句、唯我独尊な人だと扱われるようになると考えると良いだろう。 そして、代わりのいない尊い存在という意味の唯我独尊は、唯一無二が類語となり、意味は大きく変わらない。そのまま置き換えても問題なく伝わるだろう。ただ、一般的に唯我独尊は、独り善がりや自己中心的など悪い意味で使用されることがほとんどである。したがって、他に代わりがいないという意味を示したいのであれば、唯一無二の方が伝わりやすいだろう。唯我独尊の英語
唯我独尊を英語で表現するとself-conceitやself-righteousとなる。仏教用語として使用する場合は、天上天下唯我独尊を意味するI alone am the world honored oneが適している。唯我独尊
唯我独尊は「自分が最も優れた唯一の者である」という意味の語である。「天上天下唯我独尊」の略であり、さらに略して「独尊」ともいう。今日では「自分が誰よりも優れている」と考える、思い上がり・自惚れ・独りよがりを指す意味で用いられることが多い。
「天上天下唯我独尊」は、元々は仏教における頌偈(じゅげ)のひとつであり、釈迦牟尼の尊さを頌える言葉である。釈迦の誕生偈では、釈迦が生まれるやいなや七歩ばかり歩いて天地を指差し「天上天下唯我独尊」と唱えた、と伝えられる。道元は「正法眼蔵」において「仏法は天上天下唯我独尊である」と述べている。つまり、釈迦その人だけではなく、仏教の教えそのものも、「この世で最も優れた尊ぶべき対象である」と解釈しうるわけである。
仏教とは関係のない文脈では、「宇宙一偉い」くらいの意味で「唯我独尊」の語が用いられる場合がある。たいてい「そう思っているのはお前だけだ」というような皮肉や非難の意味を込めて用いられる。
ゆいが‐どくそん【唯我独尊】
ゆいがどくそん 【唯我独尊】
天上天下唯我独尊
(唯我独尊 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/27 01:36 UTC 版)
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天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん[1][2][3][4]、または、てんじょうでんがゆいがどくそん)とは、釈迦が誕生した際に宣言したとされる言葉。
古い漢訳仏典には「天上天下唯我為尊」との表記が見られる[5]。
形成過程


仏教の教義では、兜率天にいた釈迦は白象に化して母マーヤーの胎内に宿り、産みの苦しみを与えないためマーヤーの産道を通らず右の脇腹より生まれ出たとされる[6]。そして生誕した釈迦は七歩歩いて右手で天を指し、左手で地をさして「天上天下唯我独尊」と宣言したとされる。釈迦は生誕時には過去世の記憶を保っており上記の宣言をしたが、その後普通の人間と同じく過去世の記憶を失った。時は流れて釈迦が悟りを開いてブッダになると六神通を得て、六神通の一つである宿命通によって釈迦は過去世の記憶を全て取り戻した、と説明される。
大乗非仏説では、大乗仏教は上座部仏教よりも後発の宗派であると説明される。大乗非仏説では、釈迦の直説は、恐らく上座部仏教の教義に近い内容だったと考えられており、釈迦は輪廻転生の存在を事実と認め、苦に満ちたこの世界で輪廻転生を繰り返すのは生に対する執着があるからで、欲や執着を絶ちこの世界に再び生まれ出ることがなければ苦を受けることはない、輪廻から解脱して涅槃に入るべきだと説いた。すなわち釈迦が目指したのは「死後に天界を含めて二度と生まれ変わらないこと」だったと説明される[7]。佐々木閑は「釈迦はこの世を一切皆苦ととらえ、輪廻を断ち切って涅槃に入ることで、二度とこの世に生まれ変わらないことこそが究極の安楽だと考えた」「(釈迦の説く涅槃とは)悟りを開いた者だけが到達できる特別な死であり、二度とこの世に生まれ変わることのない完全なる消滅を意味する」と論じている[8][9]。
上座部仏教の『パーリ仏典』希有未曾有法経では釈迦の生誕時の言葉について「私はこの世界で最上の者である。これが最後の生まれであり、もはや二度と生まれることはない」、すなわち私は前世で功徳を累積し誰も到達したことのない悟りに最も近い者である、これまで輪廻転生を繰り返してきたが、今世の生で悟りを得て解脱し涅槃に入ってみせるという釈迦の決意表明として説明されている[10]。上座部では、釈迦は六道輪廻の中で善行を積み天界(兜率天)に転生していたが、成道のため現世に降下したと解釈する[11]。
しかし大乗仏教では三身説や久遠常住などの教義が生まれ「釈迦は衆生を救うため法身仏に遣わされた仏である、または法身仏の化身である」「応身の釈迦は80歳で肉体を捨てて法身として仏界に帰った」というような教義解釈、例えるならばキリスト教の両性説のような解釈をとるようになった[12]。つまり釈迦は入滅後も法身仏として存在していると解釈している。こうした理由によるためか後半の「これが最後の生まれであり、もはや二度と生まれることはない」が省かれて前半のみの「天上天下唯我独尊」となり意味合いが分かりにくくなっている、と説明される[13]。
『ブッダチャリタ』では生誕した釈迦の誕生時の言葉について「天上天下唯我独尊」ではないが、「私のこの生は仏に成るための生であり、現世での最後の生である。私はただこの一度の生で全ての衆生を救済してみせよう」と伝えている。意味合いとしては、これまで私は輪廻転生を繰り返してきたが、今回の生で悟りを開いて仏陀になり、苦に苦しむ衆生に輪廻から解脱する方法を教授したのち、自らも涅槃に入ってみせるという釈迦の決意表明になっている[14][15]。『ブッダチャリタ』は上座部仏教寄りの立場から描かれており、涅槃に入った者は生まれ変わらなくなると解釈するため、釈迦は「現世での最後の生」だと宣言している[14][15][16]。
仏典等での既述
『大唐西域記』(646年成立)の中に記載されている、釈迦の誕生当時を伝える誕生偈と呼ばれる偈文には、
天上天下 唯吾獨尊
今茲而往 生分已盡[17]
という一節が記されている。 これを訳すと
- この世界の中で我のみが尊い。
- 今ここに生まれてきたが、再び生まれ変わることはない。
つまり誰も到達したことのない悟りに最も近い者であるから「唯我独尊」であり、今世の生で悟りを得て解脱し涅槃に入ってみせるという釈迦の決意表明になっている。
釈迦の誕生を伝える漢訳仏典には、『佛本行集経』卷八・樹下誕生品下、『佛説太子瑞應本起経』卷上など様々あるが、代表的な『修行本起経』卷上・菩薩降身品第二には、
天上天下唯我為尊 三界皆苦吾当安之
欲界・色界・無色界の三界の迷界にある衆生はすべて苦に悩んでいる。私はこの苦の衆生を安んずる(解脱させる)ために誕生したのだから、尊いとしている。
現代の解釈
伝統的には「この世で自分こそが尊い」と解釈されるが、「この世のすべてが尊い」とする解釈もある[18]。後者の解釈は、仏教学者の中村元や、浄土宗・真宗大谷派・浄土真宗本願寺派などの出版物が提示している[18]。同様の解釈は前近代からあったが、広まったのは近代からとされる[19]。
天台宗尼僧の露の団姫は、「この広い世界のなかで、私たち人間にしかできない尊い使命がある」と解釈している[20]。
日本語の慣用句としての「唯我独尊」は、「この世で自分ほど偉いものは居ない」といううぬぼれの意味で用いられる[21]。
脚注
- ^ 天にちあ、やおらあり、たつやおま、用語 | 読むページ | 大谷大学
- ^ 禅語「天上天下唯我独尊」: 臨済・黄檗 禅の公式サイト
- ^ 禅語に親しむ 平成26年度: 天上天下唯我独尊(著・木村文輝)
- ^ コトバンク:故事成語を知る辞典 「天上天下唯我独尊」の解説
- ^ 門川徹眞「佛傳における誕生偈の形成過程」『印度學佛教學研究』第15巻第2号、日本印度学仏教学会、1967年、614-615頁、doi:10.4259/ibk.15.614、ISSN 0019-4344、 NAID 130003828683。
- ^ 梶山 2021, p. 31-35.
- ^ 佐々木閑『ブッダ 最期のことば』NHK出版 2016年、p22-24
- ^ 佐々木閑『ブッダ 最期のことば』NHK出版 2016年、p22-24
- ^ 佐々木閑『いかにして多様化したか 部派仏教の成立』NHK出版 2025年、p85-86
- ^ “新興宗教からマンガまでを貫く心性とその出離|仏陀再誕はあり得ない ②”. 佐藤哲朗(日本テーラワーダ仏教協会編集局長). 2025年8月20日閲覧。
- ^ “新興宗教からマンガまでを貫く心性とその出離|仏陀再誕はあり得ない ②”. 佐藤哲朗(日本テーラワーダ仏教協会編集局長). 2025年8月20日閲覧。
- ^ 植田重雄「宗教学的見地における仏身論」(1976年)
- ^ “新興宗教からマンガまでを貫く心性とその出離|仏陀再誕はあり得ない ②”. 佐藤哲朗(日本テーラワーダ仏教協会編集局長). 2025年8月20日閲覧。
- ^ a b 平川 1998, p. 15-17.
- ^ a b 石上 1993, p. 65.
- ^ “新興宗教からマンガまでを貫く心性とその出離|仏陀再誕はあり得ない ②”. 佐藤哲朗(日本テーラワーダ仏教協会編集局長). 2025年8月20日閲覧。
- ^
玄奘 (中国語), 大唐西域記/06, ウィキソースより閲覧。)
- ^ a b 清水俊史『ブッダという男 初期仏典を読みとく』筑摩書房〈ちくま新書〉、2023年。 ISBN 978-4480075949。161頁。
- ^ 西義人「近代における「天上天下唯我独尊」の説示(発表要旨)」日本仏教学会、2018年
- ^ 「人生が100倍オモシロくなる仏の教え」露の団姫
- ^ 。新明解四字熟語辞典(三省堂)
参考文献
- 梶山雄一『大乗仏教の誕生 「さとり」と「廻向」』講談社、2021年。 ISBN 978-4065237823。
- 石上善應『佛典講座5 仏所行讃』大蔵出版、1993年。 ISBN 978-4804354330。
- 平川彰『仏陀の生涯『仏所行讃』を読む』春秋社、1998年。 ISBN 978-4393132937。
関連項目
唯我独尊 (転用)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 05:43 UTC 版)
「天上天下唯我独尊」の記事における「唯我独尊 (転用)」の解説
後に、「この世で自分ほど偉いものは居ない」といううぬぼれることの意味に誤用された。
※この「唯我独尊 (転用)」の解説は、「天上天下唯我独尊」の解説の一部です。
「唯我独尊 (転用)」を含む「天上天下唯我独尊」の記事については、「天上天下唯我独尊」の概要を参照ください。
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