毘婆尸仏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/09 21:14 UTC 版)
梵: Vipaśyin、巴: Vipassī、びばしぶつ。毘鉢尸などとも音写し、勝観、浄観と訳。姓を拘利若(巴: Koṇḍañña、コンダンニャ)で憍陳如と訳す。 過去91劫、人の寿命が8万4千歳の時、槃頭婆提(巴: Bandhumatî、バンドゥマティー)城に生れる。クシャトリア出身。姓は拘利若、父の槃頭婆多(巴: Bandhumata、バンドゥマター)、母は槃頭婆提。 波波羅樹下にて成道した。三会に説法し初会に16万8千人、第2会に10万人、三会に8万人を済度した(阿含経巻1・大本経の説、なお雑一阿含経巻44では、第2会は16万、第3会は10万となっている)。彼の中に騫荼(カンダ)と提舎(ティッサ)という2人の筆頭の弟子がいたという。
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