インドの歴史
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インドの歴史(インドのれきし、History of India)では、インダス文明以来のインドの歴史について略述する。
補注
- ^ 都市活動の停止の要因としては、このほか乾燥化によるとする考えやアーリヤ人の侵入の結果とする考えなどがあるが、現在これらの説は否定されている。2007年現在有力視されている説は、土地の隆起によるインダス川の洪水の頻発、ガッガル・ハークラー川の干上がり、これらの要因によるインフラと農業生産力の衰亡である。しかしながら、この環境変動説も考古学的・地質学的証明の裏付けが十分とは言えない[4]。
- ^ 例えば、近代インドを代表する聖者であるラマナ・マハルシ[33] は、修練方法としてジュニャーナ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、ラージャ・ヨーガを勧めている。ラマナは、霊性の向上は「心」そのものを扱うことで解決ができるという基本的前提から、ハタ・ヨーガには否定的であった。また、クンダリニー・ヨーガは、潜在的に危険であり必要もないものであり、クンダリニーがサハスラーラに到達したとしても真我の実現は起こらないと発言している[34]。
- ^ シングルトン 2014によれば、これらの行者のなかには、実際にかなり暴力的な方法で物乞いをする者達もいて、一般の人々から恐れられていたらしい。武装したハタ・ヨーガ行者たちは略奪行為を働くこともあった。略奪行為が統治者から禁止されるようになると、行者らはヨーガを見世物とするようになり、正統的なヒンドゥー教徒たちからは社会の寄生虫として蔑視されていた[35]。
- ^ 伊藤雅之はこれを1920年代から1930年代のこととしているが、シングルトン 2014によれば、少なくともクリシュナマチャーリヤに関して言えば1930年代以降のことである。伊藤論文では西洋式体操から編み出された近代ハタ・ヨーガをひとりクリシュナマチャーリヤのみに帰しているような記述となっているが[36]、シングルトンによれば同時代のスワーミー・クヴァラヤーナンダとシュリー・ヨーゲーンドラも重要であり、クヴァラヤーナンダの活動はクリシュナマチャーリヤに先行している。また、伊藤は近代ハタ・ヨーガにはインド伝統武術に由来する要素もあるとしているが、シングルトンの著書にはそれを示唆する記述はない。
出典
- ^ 未解読のインダス文字を、人工知能で解析 (WIRED.jp)[リンク切れ]
- ^ 山崎&小西 2007, pp. 38–39.
- ^ 山崎&小西 2007, p. 39.
- ^ 山崎&小西 2007, p. 40.
- ^ Masica, Colin P (1993) [1991]. The Indo-Aryan languages (paperback ed.). Cambridge University Press. p. 36. ISBN 0521299446
- ^ 山崎&小西 2007, p. 82.
- ^ 山崎&小西 2007, p. 83.
- ^ 山崎&小西 2007, p. 84.
- ^ a b 山崎&小西 2007, p. 85.
- ^ 山崎&小西 2007, pp. 81–83.
- ^ 山崎&小西 2007, p. 103.
- ^ 山崎&小西 2007, pp. 103–104.
- ^ 河合秀和訳『20世紀の歴史――極端な時代(上・下)』(三省堂、1996年)[要ページ番号]
- ^ 中村平治「独立インドの国家建設 -国民の政治参加の拡大-」内藤雅雄・中村平治編『南アジアの歴史 -複合的社会の歴史と文化-』有斐閣、2006年、p.204
- ^ a b c シングルトン 2014, p. 33.
- ^ a b 佐保田 1973, p. 23.
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- ^ 山下 2009, p. 69.
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- ^ 『世界宗教百科事典』丸善出版、2012年。p.522
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- ^ シングルトン 2014, p. 279.
- ^ a b シングルトン 2014, p. 35.
- ^ 佐保田 1973, p. 35.
- ^ 川崎 1993, p. [要ページ番号].
- ^ 佐保田 1973, p. 37.
- ^ 伊藤 2011, p. 96.
- ^ a b シングルトン 2014, p. 99.
- ^ ポール・ブラントン 著、日本ヴェーダーンタ協会 訳『秘められたインド 改訂版』日本ヴェーダーンタ協会、2016年(原著1982年)。ISBN 978-4-931148-58-1。[要ページ番号]
- ^ デーヴィッド・ゴッドマン編 著、福間巖 訳『あるがままに - ラマナ・マハルシの教え』ナチュラルスピリット、2005年、249-267頁。ISBN 4-931449-77-8。
- ^ a b シングルトン 2014, pp. 45–52.
- ^ a b 伊藤雅之「現代ヨーガの系譜 : スピリチュアリティ文化との融合に着目して」『宗教研究』84(4)、日本宗教学会、2011年3月30日、417-418頁、NAID 110008514008。
- ^ シングルトン 2014, p. 5.
- ^ Yoga India Inscribed in 2016 (11.COM) on the Representative List of the Intangible Cultural Heritage of Humanity Intangible Heritage UNWSCO
古代インド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 02:27 UTC 版)
古代インドでは、戦争はヴェーダ時代から存在していた。しかし、その頃の戦争は、主にさまざまな氏族と王国の間で、クシャトリヤ階級によってのみ争われていた。インドの真の常備軍は、年間を通して有給のプロの兵士を基盤としていた十六大国の下で発展した。十六大国の中で最も著名なのはマガダ王国だった。インドの最初の常備軍は、支配者ビンビサーラによってマガダで組織されたと認識されている。この時期の常備軍の使用は、パーニニの著作でも確認されている。 ナンダ帝国は南アジアで最初の真の帝国を形成したことが確認されており、大規模な常備軍を維持することでそれを実現した。プリニウスによれば、ナンダ帝国はピーク時に20万の歩兵、2万の騎兵、3,000頭の象、2,000両の戦車を雇用していた。マウリヤ朝はナンダ朝を倒し、当時最大の常備軍を結成した。プリニウスによれば、彼らは当初、多民族の傭兵に依存し、最終的には60万の歩兵、3万の騎兵、9,000頭の象からなる大規模なプロの軍隊を編成した。マウリヤ朝時代、カウティリヤは著作実利論で常備軍の構成と役割を詳述した。実利論によれば、マウリヤ朝の軍隊では、過去行われていたクシャトリヤのカーストだけでなく、他のカーストの人々も傭っていた。
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古代インド
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古代インドの単位は文献によって長さや体系が大幅に異なるので注意が必要である。 アングラ(aṅgula) - 指を意味し、ディジットに相当する。6世紀のヴァラーハミヒラによると1⁄24ハスタで、19.05ミリメートル。 ハスタ(hasta) - 文字通りには手を意味するが、キュビットに相当する。ヴァラーハミヒラによると457.2ミリメートル。玄奘訳『倶舎論』で「肘」と訳す。 ヴィタスティ(vitasti) - スパンにあたる。ハスタの半分。 パーダ(pāda) - 足を意味し、フィートに相当するが、長さは文献による違いが大きい。シュルバ・スートラでは15アングラで285ミリメートル。 プルシャ(puruṣa)またはヌリ(nṛ) - 人を意味し、人の背丈の長さに由来する。目的により84アングラ、96アングラ、108アングラなどのプルシャがあったとされる。アーリヤバタによると8000ヌリが1ヨージャナにあたる。
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古代インド
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古代インドにおいても、討論の伝統はあった。それは、王が宮廷にバラモン達を集め、牛などの賞品をかけて公開討論会を行うもので、『ウパニシャッド』に描かれているジャナカ王とヤージュニャヴァルキヤ等の話は特に有名である。 こうした伝統は、後にニヤーヤ学派によってまとめられ、インド論理学を生み出した。仏教もまた、特に中観派・唯識派を通して、因明として、その伝統を引き継いでいる。
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古代インド
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古典古代のインドでは、大地はスメール山(須弥山)(サンスクリット語: Sumeru)の周囲に花弁のように集まった四つの大陸から成る円盤であるという存在論が優勢であった。さらに大陸の周囲を外海が取り囲んでいると考えられた。この考えは伝統的なジャイナ宇宙論や仏教宇宙論で練り上げられた。それらの存在論ではローカは空虚で(小さな惑星系並の大きさの)平たい円盤状の海であって山によって区切られておりその中に大陸が小さな島々のように配置されているとされた。
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古代インド
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古代インドの神話では、夜の女神ラートリー(Rātrī)は太陽の母親であり、毎夜のこと太陽を身ごもって大切にはぐくみ出生させるが、太陽が分娩されると同時にラートリー(夜)は消えなければならないので、彼女は自分の愛児を自分の乳を与えて育てることはできない。そこでその子を代わりに育てるのが、彼女の妹にあたる曙の女神ウシャスであり、彼女はまた同時に、闇の悪魔たちに激しい攻撃を加えて西の果てに追い払い、世界に夜明けをもたらす。
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古代インド
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ヴェーダ(紀元前1000年頃から紀元前500年頃)の時代から、すでに無からの発生、原初の原人の犠牲による創造、苦行の熱からの創造、といった宇宙生成論がある、という。また、地上界・空界・天界という三界への分類もあったという。 後の時代、繰り返し生成・消滅している宇宙という考え方が成立したという。これには業(ごう、カルマン)の思想が関連しているという。 この無限の反復の原因は、比較的初期の仏教においては、衆生の業の力の集積として理解されていたという。それが、ヒンドゥー教においては、創造神ブラフマーの眠りと覚醒の周期として表象されるようになったという(ブラフマーは後にヴィシュヌに置き換わった)。
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古代インド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 07:45 UTC 版)
古代インドにおいては、自我を自己の内部に追求し、呼吸や思考や自意識の背後に心臓に宿っている親指の大きさのプルシャを想定し、アートマンとこれを呼び、現象界の背後にある唯一の実在をブラフマンと呼んだ(アートマンとブラフマンの二元論)。だが、このアートマンとブラフマンの二元論は、小宇宙と大宇宙の照応観念を背景としたウパニシャッドの神秘主義的なウパーサナ(upasana、同置)の直感のなかで、アートマン=ブラフマン(梵我一如、ぼんがいちにょ)として、一元論に還元されることになった。 サーンキャ学派 は、人間に内在するアートマンの超越性を強調し、精神原理のプルシャと物質原理のプラクリティを抽出し、体系的な二元論を構築した。その体系は、普遍のプルシャと結合したプラクリティから、統覚機能、自我意識、思考器官、10器官、5微細元素、5粗大元素へと分かれる、25原理の図式を備えている。これを今述べた順に降下する方向で理解すると宇宙論となる。反対に上る方向で辿ると、ヨーガの深化に対応する、人間存在が備えている重層的な主観/客観の二元論構造を示すことになる。つまり、精神/外界、思考/対象、自我意識/表象、意識/無意識、自我/非自我といった二元論の広いテーマを内包している。さらに究極の二元はプルシャの解脱のために結合し、世界を開展するとされる。目的論的に結合する。この二元は、さらに高次の存在により統合される一元論を内に孕んでいる。 『バガヴァッド・ギーター』においては、サーンキャ学派の二元論をベースとしつつ、クリシュナ神が至高の存在と宣言される。また、タントラにおいても、シヴァ神とシャクティ神妃という二元が合一し、一元となることで解脱する。 神秘主義(神秘論)においては、世界を大きく二つの範疇(分類)に分けて認識・理解するという人間の性質を意味している。例えば、人が木を認識する際に、周りの木でないものと分かつものとして木を認識する、また世界と自己を分かつものとして、自己を理解するということである。 「神秘主義」も参照
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「古代インド」の例文・使い方・用例・文例
- ジョンは二年間古代インドの文化について勉強した。
- 聖なるヴェーダ、ブラーフマナ、ウパニシャッドに規定されている古代インドの宗教
- 山とホエールウォッチング、古代インドの銅山があるアラスカの国立公園
- 古代インドのサンスクリット文字
- 転変説という,古代インドの哲学思想
- 古代インドの暦法における,白月という期間
- 本生譚という古代インドの仏教説話
- クシャトリアという古代インド社会の身分のひとつ
- ナクシャトラという,古代インドで暦に用いられた星
- パーリ語という古代インドの言語
- 古代インドのバラモン種族が学習すべき五つの学問としての五明
- 古代インドの暦法における白月という期間
- マウリア朝という,古代インドの王朝
- マヌ法典という,古代インドの法典
- 梵語という,古代インドの標準文章語
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