古代インドとは? わかりやすく解説

インドの歴史

(古代インド から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/28 04:44 UTC 版)

インドの歴史(インドのれきし、History of India)では、インダス文明以来のインドの歴史について略述する。


補注

  1. ^ 都市活動の停止の要因としては、このほか乾燥化によるとする考えやアーリヤ人の侵入の結果とする考えなどがあるが、現在これらの説は否定されている。2007年現在有力視されている説は、土地の隆起によるインダス川の洪水の頻発、ガッガル・ハークラー川の干上がり、これらの要因によるインフラと農業生産力の衰亡である。しかしながら、この環境変動説も考古学的・地質学的証明の裏付けが十分とは言えない[4]
  2. ^ 例えば、近代インドを代表する聖者であるラマナ・マハルシ[33] は、修練方法としてジュニャーナ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、ラージャ・ヨーガを勧めている。ラマナは、霊性の向上は「心」そのものを扱うことで解決ができるという基本的前提から、ハタ・ヨーガには否定的であった。また、クンダリニー・ヨーガは、潜在的に危険であり必要もないものであり、クンダリニーがサハスラーラに到達したとしても真我の実現は起こらないと発言している[34]
  3. ^ シングルトン 2014によれば、これらの行者のなかには、実際にかなり暴力的な方法で物乞いをする者達もいて、一般の人々から恐れられていたらしい。武装したハタ・ヨーガ行者たちは略奪行為を働くこともあった。略奪行為が統治者から禁止されるようになると、行者らはヨーガを見世物とするようになり、正統的なヒンドゥー教徒たちからは社会の寄生虫として蔑視されていた[35]
  4. ^ 伊藤雅之はこれを1920年代から1930年代のこととしているが、シングルトン 2014によれば、少なくともクリシュナマチャーリヤに関して言えば1930年代以降のことである。伊藤論文では西洋式体操から編み出された近代ハタ・ヨーガをひとりクリシュナマチャーリヤのみに帰しているような記述となっているが[36]、シングルトンによれば同時代のスワーミー・クヴァラヤーナンダとシュリー・ヨーゲーンドラも重要であり、クヴァラヤーナンダの活動はクリシュナマチャーリヤに先行している。また、伊藤は近代ハタ・ヨーガにはインド伝統武術に由来する要素もあるとしているが、シングルトンの著書にはそれを示唆する記述はない。

出典

  1. ^ 未解読のインダス文字を、人工知能で解析 (WIRED.jp)[リンク切れ]
  2. ^ 山崎&小西 2007, pp. 38–39.
  3. ^ 山崎&小西 2007, p. 39.
  4. ^ 山崎&小西 2007, p. 40.
  5. ^ Masica, Colin P (1993) [1991]. The Indo-Aryan languages (paperback ed.). Cambridge University Press. p. 36. ISBN 0521299446 
  6. ^ 山崎&小西 2007, p. 82.
  7. ^ 山崎&小西 2007, p. 83.
  8. ^ 山崎&小西 2007, p. 84.
  9. ^ a b 山崎&小西 2007, p. 85.
  10. ^ 山崎&小西 2007, pp. 81–83.
  11. ^ 山崎&小西 2007, p. 103.
  12. ^ 山崎&小西 2007, pp. 103–104.
  13. ^ 河合秀和訳『20世紀の歴史――極端な時代(上・下)』(三省堂、1996年)[要ページ番号]
  14. ^ 中村平治「独立インドの国家建設 -国民の政治参加の拡大-」内藤雅雄・中村平治編『南アジアの歴史 -複合的社会の歴史と文化-』有斐閣、2006年、p.204
  15. ^ a b c シングルトン 2014, p. 33.
  16. ^ a b 佐保田 1973, p. 23.
  17. ^ シングルトン 2014, pp. 33–34.
  18. ^ シングルトン 2014, p. 34.
  19. ^ 山下 2009, p. 69.
  20. ^ 山下 2009, p. 68.
  21. ^ a b 山下 2009, p. 71.
  22. ^ 佐保田 1973, p. 27.
  23. ^ a b 山下 2009, p. 105.
  24. ^ 『世界宗教百科事典』丸善出版、2012年。 p.522
  25. ^ 佐保田 1973, p. 36.
  26. ^ シングルトン 2014, p. 279.
  27. ^ a b シングルトン 2014, p. 35.
  28. ^ 佐保田 1973, p. 35.
  29. ^ 川崎 1993, p. [要ページ番号].
  30. ^ 佐保田 1973, p. 37.
  31. ^ 伊藤 2011, p. 96.
  32. ^ a b シングルトン 2014, p. 99.
  33. ^ ポール・ブラントン 著、日本ヴェーダーンタ協会 訳『秘められたインド 改訂版』日本ヴェーダーンタ協会、2016年(原著1982年)。ISBN 978-4-931148-58-1 [要ページ番号]
  34. ^ デーヴィッド・ゴッドマン編 著、福間巖 訳『あるがままに - ラマナ・マハルシの教え』ナチュラルスピリット、2005年、249-267頁。ISBN 4-931449-77-8 
  35. ^ a b シングルトン 2014, pp. 45–52.
  36. ^ a b 伊藤雅之「現代ヨーガの系譜 : スピリチュアリティ文化との融合に着目して」『宗教研究』84(4)、日本宗教学会、2011年3月30日、417-418頁、NAID 110008514008 
  37. ^ シングルトン 2014, p. 5.
  38. ^ Yoga India Inscribed in 2016 (11.COM) on the Representative List of the Intangible Cultural Heritage of Humanity Intangible Heritage UNWSCO



古代インド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 02:27 UTC 版)

常備軍」の記事における「古代インド」の解説

古代インドでは、戦争ヴェーダ時代から存在していた。しかし、その頃戦争は、主にさまざまな氏族王国の間で、クシャトリヤ階級によってのみ争われていた。インド真の常備軍は、年間通して有給プロ兵士基盤としていた十六大国の下で発展した十六大国の中で最も著名なのはマガダ王国だった。インド最初常備軍は、支配者ビンビサーラによってマガダ組織されたと認識されている。この時期常備軍使用は、パーニニ著作でも確認されている。 ナンダ帝国南アジア最初真の帝国形成したことが確認されており、大規模な常備軍維持することでそれを実現したプリニウスによればナンダ帝国ピーク時20歩兵、2騎兵、3,000頭の象、2,000両の戦車雇用していた。マウリヤ朝ナンダ朝倒し当時最大常備軍結成したプリニウスによれば、彼らは当初、多民族傭兵依存し最終的に60歩兵、3騎兵、9,000頭の象からなる大規模なプロ軍隊編成したマウリヤ朝時代カウティリヤ著作実利論常備軍構成役割詳述した実利論によればマウリヤ朝軍隊では、過去行われていたクシャトリヤカーストだけでなく、他のカースト人々も傭っていた。

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古代インド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 00:40 UTC 版)

身体尺」の記事における「古代インド」の解説

古代インドの単位文献によって長さ体系大幅に異なるので注意が必要である。 アングラ(aṅgula) - 指を意味しディジット相当する6世紀ヴァラーハミヒラによると1⁄24ハスタで、19.05ミリメートルハスタ(hasta) - 文字通りには手を意味するが、キュビット相当するヴァラーハミヒラによると457.2ミリメートル玄奘訳『倶舎論』で「肘」と訳す。 ヴィタスティ(vitasti) - スパンにあたる。ハスタ半分。 パーダ(pāda) - 足を意味しフィート相当するが、長さ文献による違い大きい。シュルバ・スートラでは15アングラ285ミリメートルプルシャ(puruṣa)またはヌリ(nṛ) - 人を意味し、人の背丈長さ由来する目的により84アングラ96アングラ108アングラなどのプルシャがあったとされるアーリヤバタによると8000ヌリが1ヨージャナにあたる。

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古代インド

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ディベート」の記事における「古代インド」の解説

古代インドにおいても、討論伝統はあった。それは、王が宮廷バラモン達を集め、牛などの賞品をかけて公開討論会を行うもので、『ウパニシャッド』に描かれているジャナカ王とヤージュニャヴァルキヤ等の話は特に有名である。 こうした伝統は、後にニヤーヤ学派によってまとめられインド論理学生み出した仏教また、特に中観派唯識派通して因明として、その伝統を引き継いでいる。

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古代インド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 03:18 UTC 版)

地球平面説」の記事における「古代インド」の解説

古典古代インドでは、大地スメール山須弥山)(サンスクリット語: Sumeru)の周囲花弁のように集まった四つ大陸から成る円盤であるという存在論優勢であった。さらに大陸周囲外海取り囲んでいると考えられた。この考え伝統的なジャイナ宇宙論仏教宇宙論練り上げられた。それらの存在論ではローカ空虚で(小さな惑星系並の大きさの)平たい円盤状の海であって山によって区切られておりその中に大陸小さな島々のように配置されているとされた。

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古代インド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 18:09 UTC 版)

「夜」の記事における「古代インド」の解説

古代インドの神話では、夜の女ラートリー(Rātrī)は太陽の母親であり、毎夜のこと太陽を身ごもって大切にはぐくみ出生させるが、太陽分娩されると同時にラートリー(夜)は消えなければならないので、彼女は自分愛児自分の乳を与えて育てることはできない。そこでその子代わりに育てるのが、彼女の妹にあたる曙の女神ウシャスであり、彼女はまた同時に闇の悪魔たちに激し攻撃加えて西の果て追い払い世界夜明けもたらす

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古代インド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 09:53 UTC 版)

宇宙論」の記事における「古代インド」の解説

ヴェーダ紀元前1000年頃から紀元前500年頃)の時代から、すでに無からの発生原初原人犠牲による創造苦行の熱からの創造、といった宇宙生成論がある、という。また、地上界空界天界という三界への分類もあったという。 後の時代繰り返し生成消滅している宇宙という考え方成立したという。これには業(ごう、カルマン)の思想関連しているという。 この無限の反復原因は、比較初期仏教においては、衆生の業の力の集積として理解されていたという。それが、ヒンドゥー教においては、創造神ブラフマー眠り覚醒周期として表象されるようになったという(ブラフマーは後にヴィシュヌに置き換わった)。

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古代インド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 07:45 UTC 版)

二元論」の記事における「古代インド」の解説

古代インドにおいては自我自己の内部追求し呼吸思考自意識背後心臓宿っている親指大きさプルシャ想定しアートマンとこれを呼び現象界背後にある唯一の実在ブラフマン呼んだアートマンブラフマン二元論)。だが、このアートマンブラフマン二元論は、小宇宙と大宇宙照応観念背景としたウパニシャッド神秘主義的なウパーサナ(upasana、同置)の直感のなかで、アートマン=ブラフマン梵我一如ぼんがいちにょ)として、一元論還元されることになったサーンキャ学派 は、人間内在するアートマン超越性強調し精神原理プルシャ物質原理プラクリティ抽出し体系的な二元論構築した。その体系は、普遍プルシャ結合したプラクリティから、統覚機能自我意識思考器官10器官、5微細元素、5粗大元素へと分かれる25原理図式備えている。これを今述べた順に降下する方向理解する宇宙論となる。反対に上る方向で辿ると、ヨーガ深化対応する人間存在備えている重層的主観/客観二元論構造を示すことになる。つまり、精神/外界思考/対象自我意識/表象意識/無意識自我/非自我といった二元論の広いテーマ内包している。さらに究極二元プルシャ解脱のために結合し世界開展するとされる目的論的結合する。この二元は、さらに高次存在により統合される一元論を内に孕んでいる。 『バガヴァッド・ギーター』においてはサーンキャ学派二元論ベースとしつつ、クリシュナ神が至高存在宣言されるまた、タントラにおいても、シヴァ神シャクティ神妃という二元合一し、一元となることで解脱する神秘主義神秘論)においては世界大きく二つ範疇分類)に分けて認識理解するという人間の性質を意味している。例えば、人が木を認識する際に、周りの木でないものと分かつものとして木を認識する、また世界自己分かつものとして、自己理解するということである。 「神秘主義」も参照

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