マガダ王国
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「マガダ国」も参照 ガンジス川の下流域(現在のビハール州辺り)に位置し、ラージャグリハ(王舎城)を首都とした国。仏典上の摩訶陀国。紀元前800年頃までにはこの地域にもアーリア系の住民が浸透していた。インドにおいてちょうど鉄器時代が始まった時期だったこともあり、当時インド最大の鉄鉱石の産地であり、かつガンジス川を介した水運と森林資源が存在したこの地方は急激に発達した。 マガダ地方は身分制度が緩い地域(言い換えれば無秩序)であったことが知られ、しばしばガンジス川上流域地方のバラモンなどの知識人達から身分制度の乱れを批判され軽蔑された。これはマガダ地方が当時のアーリア系住民にとっては新天地であり、伝統的なバラモン教の習慣や権威の影響力が小さかったことと関係すると考えられる。マガダは古いバラモン教系文献ではキーカタとも呼ばれている。マガダという名もバラモン教文献に早い時期から登場するが、どちらの名も強い軽蔑の念を込めて使われている。 マガダ国の起源についてはバラモン教系文献に伝説的な説話が残されている。クル族の大王ヴァスが5人の息子に領土を分割した時、長男ブリハドラタ(英語版)がマガダ国の統治者となった。プリハドラタが創設した王朝はバールハドラタ朝と呼ばれる。この王朝のジャラーサンダ王やサハデーヴァ王等の王達はインドの二大叙事詩の1つといわれる『マハーバーラタ』の主要な登場人物である。 そして、この時期のマガダ王の中でも特に名の知られているのは釈迦にまつわる説話でも登場するビンビサーラ王やアジャータシャトル王(阿闍王、あじゃせおう)であり、隣国アンガ国や、ヴァッジ国、マッラ国、カーシー国、コーサラ国をはじめ北インド国家を支配下に入れ、ガンジス川中流域の覇権を掌握した(B.C.5C)。 続いてシシュナーガ(英語版)王によってシシュナーガ朝が建てられたが、この王朝も仏教系の文献などで非常に重要視される。その後もマガダ国は周辺の大小の国々を次々と征服、従属させていき紀元前4世紀に成立したナンダ朝、そしてその後を受けたマウリヤ朝のアショーカ王(阿育王)の時代にはインド亜大陸のほぼ全域を支配するまでになった。
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