マガダ王国とは? わかりやすく解説

マガダ王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 05:21 UTC 版)

十六大国」の記事における「マガダ王国」の解説

マガダ国」も参照 ガンジス川下流域現在のビハール州辺り)に位置しラージャグリハ王舎城)を首都とした国。仏典上の摩訶陀国。紀元前800年頃までにはこの地域にもアーリア系住民浸透していた。インドにおいてちょう鉄器時代始まった時期だったこともあり、当時インド最大鉄鉱石産地あり、かガンジス川介した水運森林資源存在したこの地方急激に発達したマガダ地方身分制度が緩い地域言い換えれば無秩序であったことが知られ、しばしばガンジス川上流域地方バラモンなどの知識人達から身分制度乱れ批判され軽蔑された。これはマガダ地方当時アーリア系住民にとっては新天地であり、伝統的なバラモン教習慣権威影響力小さかったことと関係する考えられるマガダは古いバラモン教文献ではキーカタとも呼ばれている。マガダという名もバラモン教文献早い時期から登場するが、どちらの名も強い軽蔑の念を込めて使われている。 マガダ国起源についてバラモン教文献伝説的な説話残されている。クル族大王ヴァスが5人の息子領土分割した時、長男ブリハドラタ(英語版)がマガダ国統治者となった。プリハドラタが創設した王朝はバールハドラタ朝と呼ばれる。この王朝ジャラーサンダ王やサハデーヴァ王等の王達インドの二大叙事詩1つといわれる『マハーバーラタ』主要な登場人物である。 そして、この時期マガダ王の中でも特に名の知られているのは釈迦まつわる説話でも登場するビンビサーラ王やアジャータシャトル王(阿闍王、あじゃせおう)であり、隣国アンガ国や、ヴァッジ国マッラ国カーシー国コーサラ国をはじめ北インド国家支配下入れガンジス川中流域覇権掌握した(B.C.5C)。 続いてシシュナーガ(英語版)王によってシシュナーガ朝建てられたが、この王朝仏教系文献などで非常に重要視されるその後マガダ国周辺大小国々次々と征服従属させていき紀元前4世紀成立したナンダ朝、そしてその後受けたマウリヤ朝アショーカ王阿育王)の時代にはインド亜大陸のほぼ全域支配するまでになった

※この「マガダ王国」の解説は、「十六大国」の解説の一部です。
「マガダ王国」を含む「十六大国」の記事については、「十六大国」の概要を参照ください。

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