ヴァッジ国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/10/23 19:35 UTC 版)

ヴァッジ国(パーリ語 वज्जि)あるいはヴリジ国(वृजि)は、古代インドの国名。初期仏教の聖典『アングッタラ・ニカーヤ』の中で、十六大国のひとつに数えられる。首都はヴァイシャーリー。
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位置
現在のビハール州北部にあたり、南北にはガンジス川北岸から現在のネパールまで広がり、西はガンダク川を挟んでマッラ国およびコーサラ国と隣接していた。また、東は現在のビハール州と西ベンガル州の州境付近を流れるマハーナンダ川近辺、あるいはビハール州を流れるコーシー川までで、アンガ国と接していたと考えられている。
民族
ヴァッジ国は、ヴァッジ族、リッチャヴィ族(離車族)、ジニャートリカ族、ヴィデーハ族など、8つの部族が連合して形成していたと伝えられている。
統治機構
ヴァッジ国王は、「ヴァッジ・サンガ」と呼ばれた代表議会の議長であったと考えられている。「ヴァッジ・サンガ」は、各地方からの代表者から成り、国政を取り仕切っていたものと考えられている。近年、このような古代インドの国家をガナ・サンガ国というようになっている。
宗教
リッチャヴィ族(離車族)は、ジャイナ教を信奉していたが、後に仏教に改めたと、仏典は伝えている。実際にブッダは、ヴァッジ国の首都ヴァイシャーリーを何度も訪問して説法していたし、仏教の修行者のための修行道場が設置されていたという記録がある。
したがって、ヴェーダの宗教に並び、ジャイナ教や仏教も盛んであったと考えられる。
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ヴァッジ国
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「ヴァッジ国」も参照 ガンジス川の北岸からネパールの丘陵地帯までの広い範囲に広がっていた国。 8部族の連合体として成立し、中でもヴィデーハ族、リッチャヴィ族(離車族)、ジニャートリカ族、ヴァッジ族の4つが有力であったが、他全てを圧倒しうる部族は存在しなかった。 王と言うような全体を統制する指導者は存在せず、集会によって国策が決定され、各部族毎に別の首都、別の集会を持っていた。こういった合議制の統治体制を持った国はガナ、サンガなどと呼ばれた。近現代の学者にしばしば共和国と呼ばれてきた。これはこの制度を伝えたギリシア人の学者がこれを共和制と呼んだことに由来するが、近年ではガナ・サンガ国という呼称が普及している。(詳細はガナ・サンガ国の項目を参照) リッチャヴィ族についての情報が特によく知られ、サンターガーラと呼ばれる集会堂を中心とした彼らの政治体制は仏教徒の賞賛するところであった。リッチャヴィ族は自らをクシャトリアと規定していたが、彼らが元来のアーリア系住民なのか、アーリア化した現地人なのかについては論争がある。 この国はマガダ国が拡大期に入った際、最も頑強に抵抗した国の1つとして記憶されているが、最後はマガダ王アジャータシャトルの攻撃によって征服された。
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