インドの記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/25 13:17 UTC 版)
古代インドの文献から、ガナ・サンガ制を採用していた国、或いは部族は数多く知られている。特にヴァッジ国(ヴァッジ部族連合)のガナ・サンガ制は記録が多く残されている。 ヴァッジ国の有力部族リッチャヴィ族(離車族)はヴァイシャーリーを首都とし、そこに住む7707人のラージャーと称する有力者によって政治が運営されていたという。ラージャーという語は一般的に「王」を意味する語であるが、この場合のラージャーはクシャトリヤ身分であるリッチャヴィ族の有力者を指すと考えられる。7707人という数は恐らく実数ではなく、日本語の八百万や八と同じく「多数」という程度の意味であると考えられる。 リッチャヴィ族の政治的中心はサンターガーラと呼ばれる集会所であった。ラージャーと呼ばれた有力者達はここに集まって定められた手続きに従って国政を論じた。この影響を受けた仏教教団の議事次第(律蔵の規定)から、整った制度が存在していたことがわかる。会議による決定は全会一致が原則であり、紛糾した場合には調停が試みられ、また多数決による決定も行われた。 この他、マッラ国もガナ・サンガ制を採用しており、集会所を中心とした政体を持っていたとされているが、ヴァッジ国と比較して残存記録が圧倒的に少なく詳細はよくわかっていない。釈迦の出身部族である釈迦族(シャーキヤ族)は後世の仏典では王政の国であり釈迦はその王子であったとされるが、最も初期の仏典の記録では釈迦族も隣接部族との戦争や外交問題に際して「ラージャーの集会」で行動を決定しており、ガナ・サンガ政体を持っていたと考えられている。
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