インドの菜食主義の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 05:38 UTC 版)
「インドの菜食主義」の記事における「インドの菜食主義の歴史」の解説
インドにおける菜食主義は紀元前5-6世紀にさかのぼる。当時インド北部を支配していたアーリア人は半農耕・半牧畜の民族で、日常的に肉食をしていた。また彼らの宗教であるバラモン教は、司祭階級であるバラモンが神に対し動物や、時に人間の「犠牲」をささげる祭祀(動物供儀)を行っていた。当時都市の商人などに広まった仏教やジャイナ教は、動物供儀を否定しバラモンを批判した。この後バラモンは積極的に不殺生・菜食主義に移行してゆき、バラモン教もさまざまな外部要素を取り入れて現在のヒンドゥー教へと変貌して行った。ヒンドゥー教徒の生活規範を示したマヌ法典は紀元前2世紀から後2世紀にかけて編纂されたもので、供儀のための肉食は容認しているが無害の生き物を殺すことを否定している。 バラモンを批判したジャイナ教は自身も非暴力を徹底し極端な菜食主義を続けているが、仏教では厳密には肉食を禁止しなかった。バラモン階級はインドのカーストの最上位に位置し菜食主義についても厳格に対応しているが、バラモンに続く上位階層も菜食主義を模倣している。なお一部のヒンドゥー教寺院、例えばコルカタのカーリーガート寺院では現在でも毎日ヤギが生贄として捧げられている。 「インド哲学#比較」も参照
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