インドの独立とネルー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 04:27 UTC 版)
「インド国民会議」の記事における「インドの独立とネルー」の解説
1947年8月にインドがパキスタンと分離して独立すると国民会議は議会政党として与党となった。ネルーが首相となり、政治的には左右両派を内包した包括政党としての地位を背景に一党優位体制「コングレスシステム」と政教分離主義(セキュラリズム、世俗主義)を、経済的には社会主義型の開発を、国際的には反米親ソの非同盟中立外交を展開した。以後、ネルーが1964年に現職首相のまま死去するまで同党を基盤に強大な権力を振るった。ネルーの後はラール・バハードゥル・シャーストリーが首相となった。
※この「インドの独立とネルー」の解説は、「インド国民会議」の解説の一部です。
「インドの独立とネルー」を含む「インド国民会議」の記事については、「インド国民会議」の概要を参照ください。
- インドの独立とネルーのページへのリンク