ラージプーターナー
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ラージプーターナー(राजपूताना)とは、「ラージプート(राजपूत)族の地」の意味で、おおむね西北インド、現在のラージャスターン州に相当する地域。
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ラージプーターナー
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ラージプーターナーとは、「ラージプート族の地」の意味で、おおむね西北インド、現在のラージャスターン州に相当する地域。 この地で興った王朝には以下のものがある。 チャンデーラ朝 チャンデーラ朝とは、10世紀前半から13世紀末まで北インド、マディヤ・プラデーシュの東部、ブンデールカンド地方にあった王朝。この王朝は、「月」から生まれたクシャトリアの家系とする伝承をもつラージプートの王朝であることと、世界遺産にもなっているカジュラーホーの寺院群を築いたことで世界的に知られる。 プラティーハーラ朝 プラティーハーラ朝(プラティーハーラちょう、英語:Pratihara dynasty)とは、8世紀後半から11世紀初頭まで、北西インドを支配したラージプートのヒンドゥー王朝(750年頃 - 1018年あるいは1036年)。首都はカナウジ。 パラマーラ朝 パラマーラ朝は、10世紀後半頃?〜13世紀末まで北インド、ナルマダー川北岸、現マディヤ・プラデーシュ州の西部、マールワー地方に割拠したラージプートの王朝。 チャーハマーナ朝 チャウハーン朝は10世紀末から12世紀末まで北インドを支配していたラージプート族の王朝。首都はデリー。プリトヴィーラージ・チャウハーン3世の治世の頃に最盛期であったが、ゴール朝の侵入に対抗し1192年に滅亡した。後継者がランタンボールに逃れて、再興した。 そのほかのラージプート諸国 アンベール王国、マールワール王国、メーワール王国など 13世紀末まで、ラージプーターナー地方(ほぼ現ラージャスターン州にあたる)に、ゴール朝のシハーブッディーン・ムハンマドにタラーインの戦いに敗れた後に、チャウハーン朝の後継者が再興したランタンボールをはじめ、メーワール王国など版図は小さいが強力な王国を築いていたが、ハルジー朝に征服された。しかし、その後のデリー・スルターン朝の弱体化に伴って徐々に独立した。ラージャスターンという州名も「ラージプートの土地」が語源となったもの。イスラーム勢力と勇敢に戦ったヒンドゥー戦士、ラージプート族の本拠地にもなった。ムガル帝国のアクバルの統治方針は、ラージプートなどの在地勢力を自らの支配層に取り組むために、彼らが所有する領地からの収入を認めるとともに、ヒンドゥーであるラージプート出身の女性を妻とした。ムガル帝国の初期に尚武の気風とヒンドゥー教徒の独立を守るために激しく抵抗したことで知られる。特に、その中でも、メーワール王国だけはムガル帝国に最後まで抵抗して独立を維持し、その王プラタープ・シングの戦いは後世にまで語り継がれている。
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