マールワー・スルターン朝とは? わかりやすく解説

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マールワー・スルターン朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/01 02:47 UTC 版)

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マールワー・スルターン朝
مالوہ سلطنت
1401年 - 1531年
公用語 ペルシア語ウルドゥー語
首都 ダール
マーンドゥー
スルターン
1401年 - 1405年 ディラーワル・ハーン
1405年 - 1435年 フーシャング・シャー
1436年 - 1469年 マフムード・シャー1世
変遷
成立 1401年
滅亡 1531年
通貨 ルピー
現在 インド

マールワー・スルターン朝(マールワー・スルターンちょう、ペルシア語: مالوہ سلطنت‎)は、インドマールワー地方に存在したイスラーム王朝1401年 - 1531年)。マールワー王国とも呼ばれる。首都はダールマーンドゥー

歴史

ジャハーズ・マハル

ゴール朝

1398年デリー・スルターン朝トゥグルク朝末期、ティムールの北インド侵略によりデリーでは100000人が虐殺され、トゥグルク朝の権威は地に落ちた[1]

その後、マールワー総督ディラーワル・ハーン・ゴーリーは独立の動きを見せ、1401年にトゥグルク朝への忠誠と納税を拒否し、マールワー・スルターン朝を創始した[2]

1405年、創始者ディラーワル・ハーンは治世4年で死亡し、その息子フーシャング・シャーが新たな王となった[3]。 フーシャング・シャーはその治世、ヴィンディヤ山脈あった首都マーンドゥーに全長40キロメートルにわたる巨大な城壁を築き、ダールからここに首都を移した[4][5]。その治世、宗教的寛容策がとられ、この時代に建てられたラリトプル寺院の碑文からはヒンドゥー寺院の建設に制限が掛けられたことはなかったという[6]

しかし、1435年にフーシャング・シャーが死ぬと、1436年にその息子ムハンマド・シャーは宰相マフムード・ハーン・ハルジーに殺害され、ゴール朝は滅亡した[7]

ハルジー朝

1436年、宰相マフムード・ハーンは最後の王ムハンマド・シャーを殺害してゴール朝を滅ぼし、新たにハルジー朝を創始した[8]。この王朝の名は創始者がハルジー族出身だったことに由来する。

マフムード・シャーはデリーのサイイド朝の政治に介入し、グジャラート・スルターン朝とその治世を通して戦い続けた[9]。また、デカンのバフマニー朝、オリッサのガジャパティ朝ゴンドワナの諸国とも戦った[10]

しかし、その死後、マールワー・スルターン朝の勢力は徐々に衰退し、1531年グジャラート・スルターン朝に首都マーンドゥーを落とされて滅亡した[11]

歴代君主

ゴール朝

ハルジー朝

  • マフムード・シャー1世(在位:1436年 - 1469年)
  • ギヤースッディーン・シャー(在位:1469年 - 1500年)
  • ナーシルッディーン・シャー(在位:1500年 - 1510年)
  • マフムード・シャー2世(在位:1510年 - 1531年)

脚注

  1. ^ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.160
  2. ^ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.160
  3. ^ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.160
  4. ^ チャンドラ『中世インドの歴史』、p.174
  5. ^ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.160
  6. ^ チャンドラ『中世インドの歴史』、p.175
  7. ^ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.160
  8. ^ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.160
  9. ^ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.160
  10. ^ チャンドラ『中世インドの歴史』、p.176
  11. ^ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.160

参考文献

  • フランシス・ロビンソン、月森左知訳 『ムガル皇帝歴代誌 インド、イラン、中央アジアのイスラーム諸王国の興亡(1206年 - 1925年)』 創元社、2009年。 
  • サティーシュ・チャンドラ、小名康之、長島弘訳 『中世インドの歴史』 山川出版社、2001年。 

関連項目




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