アワド太守
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アワド太守(アワドたいしゅ、ヒンディー語: अवध के नवाब, ペルシア語: حکومت اود, 英語: Nawab of Awadh/Oudh)とは、ムガル帝国の北インド、アワド地方(現在のガンジス川中流域、現ウッタル・プラデーシュ州東部を指す)の地方長官、つまり太守(ナワーブ)のことである。1801年以降はアワド藩王国となる。首府はファイザーバード、ラクナウ。
- ^ a b Oudh 3
- ^ チャンドラ『近代インドの歴史』、p。18
- ^ チャンドラ『近代インドの歴史』、p.19
- ^ a b ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.256
- ^ Oudh 5
- ^ a b Oudh 6
- ^ チャンドラ『近代インドの歴史』、p.33
- ^ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.273
- ^ a b チャンドラ『近代インドの歴史』、p.68
- ^ a b 小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.278
- ^ a b c d e チャンドラ『近代インドの歴史』、p.74
- ^ Oudh 9
- ^ a b c d e f g メトカーフ『ケンブリッジ版世界各国史 インドの歴史』、p.109
- ^ Oudh 10
- ^ ムガル帝国の土地所有者単位のひとつ。アワドでは、ザミーンダールなどの領主は一括してタールクダールとして扱われた。
- ^ a b 辛島『新版 世界各国史7 南アジア史』、p.291
- ^ a b Oudh 15
- ^ ガードナー『イギリス東インド会社』、pp.325-326
- ^ a b c d e f g h チャンドラ『近代インドの歴史』、p.141
- ^ メトカーフ『ケンブリッジ版世界各国史 インドの歴史』、p.174
- 1 アワド太守とは
- 2 アワド太守の概要
- 3 歴史
- 4 イギリス併合後
- 5 歴代君主
- 6 外部リンク
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