ブクサールの戦いとディーワーニーの授与とは? わかりやすく解説

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ブクサールの戦いとディーワーニーの授与

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 13:37 UTC 版)

シャー・アーラム2世」の記事における「ブクサールの戦いとディーワーニーの授与」の解説

1761年以降シャー・アーラム2世アワド太守シュジャー・ウッダウラ保護を受け、同年から1762年 にかけてデリー進出図った失敗したそうしたなか、1763年末に前ベンガル太守ミール・カーシムイギリスとの争い敗れてアワド逃げてきた。 こうして、皇帝シャー・アーラム2世アワド太守シュジャー・ウッダウラ、前ベンガル太守ミール・カーシムの間に三者同盟結成され三者はまずミール・カーシム為にベンガル取り戻すことを決定した。 そして、1764年10月23日三者連合軍ビハールアワド州境にあるブクサール(バクサルとも)で、イギリス東インド会社の軍と会戦した(ブクサールの戦い)。だが、皇帝軍は内通者があり兵が動かずミール・カーシム軍は給料未払い兵士戦意がなかったため、実際アワド太守の軍とイギリス東インド会社軍との戦いであった。戦い一日終結し結果イギリス圧勝終わり連合軍大敗喫したその後イギリス東インド会社戦後処理として、アワド太守シュジャー・ウッダウラミール・カーシムを捕えさせ投獄し、翌1765年8月16日シャー・アーラム2世アラーハーバード条約締結したイギリスシャー・アーラム2世からベンガルビハールオリッサ3州のディーワーニー(収租)を獲得しその代わり260ルピーの債弊(年金)を皇帝に贈ることとなった。ディーワーニーとは、皇帝よりディーワーン呼ばれる各州財務長官与えられる職務・権限意味し、その権限は主に税の徴税支出を含むものであったイギリス1858年ムガル帝国滅亡するまでこの権限放棄しなかった)。 イギリス皇帝代理人として税の徴収にあたる「ディーワーン」の役職任命されただけだったが、彼らは事実上領有権主張し帝国与えたディーワーニーよってそれらの土地支配正当化されたと判断した。これにより、イギリスベンガルビハールオリッサ領有して事実上太守となり、皇帝地方太守もこれら地方権利失い、これ以降インドの植民地化をさらに押し進めるようになったまた、イギリスアワド太守アラーハーバードコラー年額280ルピー価値のある土地会社割譲させ、それを皇帝与えた

※この「ブクサールの戦いとディーワーニーの授与」の解説は、「シャー・アーラム2世」の解説の一部です。
「ブクサールの戦いとディーワーニーの授与」を含む「シャー・アーラム2世」の記事については、「シャー・アーラム2世」の概要を参照ください。

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