ラージプート時代とは? わかりやすく解説

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ラージプート時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/09 08:48 UTC 版)

ラージプート」の記事における「ラージプート時代」の解説

7世紀から13世紀までの、群雄割拠の時代をラージプート時代と呼ぶ。ラージプート諸王朝として知られているのはプラティハーラ朝、パラマーラ朝チャウハーン朝チャンデーラ朝などがあるが、その中で8世紀から11世紀初頭まで北インド広範に支配した大きな王朝が、プラティーハーラ朝(都カナウジ)である。 プラティーハーラ朝は、インド北部交易路とする東西貿易の富を独占し村落共同体基礎とした封建制度をもとにした強固な中央集権的国家機構戦士階級中心とする強大な軍事力広範な版図維持した8世紀から10世紀にかけて、北インド支配したプラティーハーラ朝ベンガル地方パーラ朝デカン高原ラーシュトラクータ朝三つの国が抗争展開する。 また同時期にイスラーム勢力インド進攻711年から始まる。ウマイヤ朝サーマーン朝ホラズム朝などのイスラム王朝が、何十回もインド進攻してくるが、ラージプート諸国はよく戦い、その東進阻んだが、次第ラージプート諸侯独立によって衰退したアフガニスタンから侵攻したイスラム教国ガズナ朝によって、プラティーハーラ朝1019年滅ぼされた。次にラージプート諸国チャーハマーナ朝北インドで有力となったが、1192年アフガニスタンから侵攻したイスラーム教国ゴール朝敗れて1206年奴隷王朝成立してラージプート時代は終わったプラティーハーラ朝は、インド北東部パーラ朝デカンラーシュトラクータ朝とよく争ったが、この王朝インド史において果たした最大役割は、イスラーム勢力シンド以東への進出ほぼ300年にわたって阻止し続けてきたことである、という研究者もいる。

※この「ラージプート時代」の解説は、「ラージプート」の解説の一部です。
「ラージプート時代」を含む「ラージプート」の記事については、「ラージプート」の概要を参照ください。

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