パッタダカル【Pattadakal】
パッタダカル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 07:12 UTC 版)
座標: 北緯15度50分58秒 東経75度48分57秒 / 北緯15.8494度 東経75.8159度
注釈
- ^ この時期は北インド全体を統一するような大帝国は出現せず、各地域政権のもとで独自の民族文化が開花した地方文化の時代であった[3]。特にドラヴィダ系においてはチャールキヤ朝やパッラヴァ朝に後続するチョーラ朝のもとで著しい地方文化の進展がみられた[3]。
- ^ 「ドラヴィダ様式」とも呼称する。
- ^ パッラヴァ朝やチャールキヤ朝では、北インドのグプタ朝のもとに完成されたヒンドゥー教的社会秩序を範とした統治がなされたものの同時代の北インドの諸地域に比較すれば柔軟性があり、シヴァ神やヴィシュヌ神についても儀礼に拘泥されないバクティ信仰のかたちで受け止められ、展開された[6]。これは逆に北インドのヒンドゥー思想のあり方へも多大な影響をあたえた[6]。
- ^ パッタダカルの寺院群に特徴的にみられる南北混淆を称して「デカン様式」と呼称する場合がある[7]。
出典
- 1 パッタダカルとは
- 2 パッタダカルの概要
- 3 「戴冠の都」パッタダカル
- 4 アクセス
- 5 外部リンク
固有名詞の分類
- パッタダカルのページへのリンク