ガムラ・ウプサラとは? わかりやすく解説

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ガムラ‐ウプサラ【Gamla Uppsala】

読み方:がむらうぷさら

スウェーデン南東部都市ウプサラ北郊にある遺跡5世紀から6世紀にかけてスウェーデン王居住した政治宗教中心地とされ、王、子、孫の3代が眠ると伝えられる三つ連続した墳丘がある。

ガムラ‐ウプサラの画像

ガムラ・ウプサラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/04 13:42 UTC 版)

ガムラ・ウプサラは、考古学的な遺跡が数多い地域である。

ガムラ・ウプサラガムラ・ウップサーラとも)(Gamla Uppsala [ˈɡâmːla ˈɵ̂pːˌsɑːla])(「Old Uppsala、古ウプサラ」の意)は、スウェーデンウプサラ郊外にある町の名である。2016年の人口は17,973人であった。

歴史

3世紀から4世紀にかけて、そこは宗教面、経済面、政治面で重要な中心地であった。[1]

また、古い時代の文書の伝えるところでは、先史時代のガムラ・ウプサラは、神話伝説時代のユングリング王朝に属するスウェーデン王が居住する場所として、すでに北欧では有名だった。[2]

実際に、北欧についての最古記録、例えば『ユングリンガ・タル』(en:Ynglingatal)、『Westrogothic law[3]、『ギュータサガ』(en:Gutasaga)[4]は、スウェーデンの王を指して「ウプサラの王」といっている。[5]

中世の時代、そこはウップランド(Uppland)で最も大きな村落であった。その東部が、初期の頃にスウェーデン王家の地所の複合体の核を構成していただろうと考えられる。 そしていわゆるUppsala ödは、kungsgården、つまり国王の地所から成る地域であった。[6]

そこはまた、先史時代から中世にかけて、2月下旬から3月上旬に開催される総会「全スウェーデン集会」(en:Thing of all Swedes)の場所でもあった。[7] 集会は、Distingと呼ばれる盛大な市場とともに開催された。また、古い神々を信仰する人々の祝賀の祭はDísablót(女神への供犠)と呼ばれた。[8][9]

Upplandの法律(en:Law of Uppland)の伝えるところでは、王が夏の間のleidang(税として労働を提供するシステム)として戦争のために人々を召集すると宣言したのは、この集会でのことだった。 また集会において船の乗組員、漕ぎ手、指揮官が決定された。[10]

この場所が古い神々への信仰の中心地であったので、キリスト教化の進む中、1164年に最初のスウェーデン大司教座が置かれた。[11]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ Hadenius, Stig; Nilsson, Torbjörn & Åselius, Gunnar. (1996年). Sveriges historia. Centraltryckeriet, Borås. ISBN 91-34-51-857-6 p. 83:
      Uppsala, från 200- och 300-talen ett betydande ekonomiskt, religiöst och politiskt centrum i Mälardalen [...].   英訳の和訳: ウプサラは、3世紀から4世紀にかけて、メーラレン(Mälaren)盆地において経済的・宗教的・政治的に重要な中心地であった。
  2. ^ ナショナルエンスィークロペディーンの「Gamla Uppsala」の記事の細目「Historia」(1992年):
      Tidiga skriftliga källor visar att G. redan under forntiden var vittberömt i Norden som säte för sveakungarna av den mytomspunna Ynglingaätten.   英訳の和訳: 初期に書かれた文献により、先史時代という早い時期、G.は伝説的なユングリング王朝のスウェーデン王の居住地として北欧の国々では広く有名であったことが明らかとなった。
  3. ^ 13世紀に成立した、スウェーデンの一地方の法律。
  4. ^ 13世紀に成立した、ゴトランド島の歴史を扱うサガ。
  5. ^ Gamla Uppsalaスウェーデン国立歴史博物館のオフィシャルサイト内より2007年1月19日に検索された記事):
      Svearikets kung omtalas som kungen i Uppsala bl a i Ynglingatal, Gutasagan och Äldre Västgötalagens bihang om gränsdragning.   英訳の和訳: ユングリンガ・タルで、ギュータサガで、そして国境の確定に関するWestrogothic法の付表で、スウェーデン王は必ずウプサラの王として言及される。
  6. ^ ナショナルエンスィークロペディーンの「Gamla Uppsala」の記事の細目「Historia」(1992年):
      Under medeltiden var G. Upplands största by, vars östra del ursprungligen torde ha bildat kärnan i det s.k. Uppsala öd, kronans godskomplex, och vars västra del utgjorde själva kungsgården.   英訳の和訳: 中世の時代、G.はUpplandで最も大きな村であり、その東部の一部は初期は君主の地所の複合体、いわゆるUppsala ödの中心部であったはずで、また西部はその地域自体が国王の地所から成っていた。
  7. ^ スウェーデンの国立歴史博物館のオフィシャルサイト内の「Landsting」の記事。
  8. ^ Nordisk familjebok事典」の「Disatinget」に関する記事。
  9. ^ Nordisk familjebok事典」の「Disablot」に関する記事。
  10. ^ Söderberg, Werner. (1896年)。 「Samlaren」の「"Några studier rörande Disasagan"」、67頁。
  11. ^ "KG Hammar fick vänta", 新聞「Kyrkans Tidning」、2005年5月14日付。

参考文献(英語版)

関連項目



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