生い立ち、教皇就任まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/06 07:46 UTC 版)
「ハドリアヌス4世 (ローマ教皇)」の記事における「生い立ち、教皇就任まで」の解説
父のロバートは、ニコラスの生後、イングランド東部のセント・オールバンズの修道士となったが、ニコラス自身は修道院への入院を許されることはなかった。修道院長によって「学校での習得状況からふさわしいと思われる段階に達するまで入院を保留」(修道院伝)されたためである。ニコラスはフランスのパリへ渡り、その後南仏アルルに近いサン・ルフ修道院の律修司祭となった。続いて修道院次長となり、まもなく満場一致で修道院長に選ばれた。この時期は、通常1137年とみなされているが、同修道院の記録は1145年頃の可能性も示唆している。 サン・ルフの修道院長となったニコラスは強固な改革姿勢を示し、これに対する苦情もまたローマへ伝えられたが、それはかえって当時の教皇エウゲニウス3世(在位:1145年 - 1153年)の注目を引き、教皇により好意的に評価されたニコラスは1149年12月にイタリア中部のアルバーノの司教枢機卿に任命されることとなった。 さらにニコラスは、1152年から1154年にスカンジナビアへ教皇特使として赴任し、新しく設置されたニーダロス(Nidaros、現在のノルウェーのトロンハイム)の大司教区を任されてハーマル管区(ノルウェー南東部)を設定した。1153年にオスロ大聖堂学校(Schola Osloensis)を設立したのもニコラスであると伝えられている。また、ガムラ・ウプサラ(スウェーデン中部)の管区としての承認にも寄与している(スウェーデンの首都大司教管区は1164年に ウプサラ へ変更となった)。この決定によって領地が削減されたデンマークのルンド大司教(ルンドは現在はスウェーデン南部に所在)に対しては、代償として教皇特使と永年教皇代理の地位を与え、肩書きをデンマークおよびスウェーデンの首座主教に引き上げることとした。
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