生い立ち、少年期、青年期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/12 03:01 UTC 版)
「ヴァルグ・ヴィーケネス」の記事における「生い立ち、少年期、青年期」の解説
ヴィーケネスには、自身の経歴についての書籍(公認・非公認問わず)はない。しかしながら、ヴィーケネスのインタビューでの受け答えやヴィーケネスのウェブページでの情報を統合できる。『ブラック・メタルの血塗られた歴史』(Lords of Chaos)の著者の一人であるマイケル・モイニハン(英語版)は、「ヴィーケネスを助ける情報交換のプロパガンダは、非常に精力的だ」と述べている。 『ブラック・メタルの血塗られた歴史』に掲載されたインタビューで、ヴィーケネスは自身の生い立ちや少年期について語っている。また、同書にはヴィーケネスの母、ヘレーネ・ボーレ (Helene Bore)のインタビューも掲載されている(彼の母の名前はしばしば"レーネ" (Lene)と書かれるが、ヴィーケネス自身のウェブサイトではヘレーネと記載されている)。2004年のインタビューでは、ヴィーケネスは「彼女(母)は大きな石油会社で働いていた」と語っている。また父親については、「電気技師」であり、自身の兄については、「1歳半年上」で「大卒土木技師」であると述べている。 『ブラック・メタルの血塗られた歴史』のインタビューで、ヴィーケネスは少年時代の出来事を思い出しながら語っている。ヴィーケネスが6歳のころ、ヴィーケネス一家は約1年イラクのバグダードに住んでいた。これは、ヴィーケネスの父がサッダーム・フセインの下で、ソフトウェア開発に従事するためであった。バグダードには英語学校が無かったため、幼少のヴィーケネスはイラクの小学校に通うこととなった。ヴィーケネスのインタビューによれば、この学校でヴィーケネスは「人種問題への意識」を持つようなったという。その学校では体罰は特別なことではなく、ある時には教師と口論となった挙句、彼を「猿」と呼んだ。しかし、ヴィーケネスは教師たちが「自分が白人であるからといって、俺を攻撃することはなかった」と認めている。ヴィーケネスの母は、「イラクで過ごした1年」を思い出し、「息子のクラスにいた他の子どもたちは、教師たちに平手打ちをされていたが、息子はされたことがなかった」と述懐している。彼女によれば、この扱いが原因で問題が発生したという。しかしながら、概していえば彼女は息子・ヴァルグがどのように彼の思想を発展させたのか「十分な説明ができなかった」。ヴィーケネスはインタビューの中で、自身の過去についてもう少し明かしている。彼の父親について問われると、ヴィーケネスは父について「スワスティカの旗を自宅に持っていた」と述べ、父親はそれについてヒステリックだったという。しかしながら、ヴィーケネスは父は偽善者であると感じていた。それは、父がヴィーケネスについて「ネオナチになる」と心配していた一方で、父は「街で見る有色人種全てに対して激しい怒りを抱いていた」。母についてヴィーケネスは、彼女は「とても人種を意識している人だった」と述べている。特に、ヴィーケネスが「黒人の女性を家に連れてくるつもりではないか」という点を恐れていたという。1995年のインタビューにおいては、ヴィーケネスは母親とは未だにいい関係だが、父親とは「ほとんど連絡を取ることはない」と答えている。彼の両親は離婚しており、ヴィーケネスの父はヴィーケネスが12歳の頃、「約10年前(1985年頃)に家を出て行った」とされる。 ブラックメタルシーンに入る前から、ヴィーケネスはベルゲンのスキンヘッド族シーンに入っていたとされる。グッドリック=クラークは、バーズムを「元スキンヘッド族」ヴィーケネスの「音楽媒体」であると紹介している。『Encyclopedia of White Power』によれば、「ヴィーケネスは青春時代の間、最初からナショナル・ソーシャリストのスキンヘッド族の極右勢力に参加していた」。『ブラック・メタルの血塗られた歴史』のインタビューにおいてベルゲンでスキンヘッド族に参加していたのかどうか問われると、ヴィーケネスは「ベルゲンにスキンヘッド族なんていなかったよ」と堂々と答えている。もっとも、ヴィーケネスはその時期に短髪であったと述べているし、ドイツに親近感を、イギリスとアメリカに嫌悪感を持ち、それを武器としていたとも述べている。 少年時代には、特にピョートル・チャイコフスキーなどのクラシック音楽に影響を受けていたが、12歳の頃からヘヴィメタルを聞くようになる。特に、アイアン・メイデンから最も大きなインスピレーションを得たと述べている。後に、ヴィーケネスはクリーターやセルティック・フロスト、バソリー、デストラクション、メガデス、スレイヤー、ペスティレンス、ディーサイド、ヴォンのようなバンドから影響と受けることとなったと述べている。ヴェノムは、初期ブラックメタルに影響を与えたと考えられているが、ヴィーケネスは常にヴェノムからの影響を否定している。また、同時にヴェノムのことを「話にならないもの (a joke)」と述べている。ヴィーケネスは、ブラックメタルの宣伝のためにヴェノムのアルバム『ブラック・メタル(英語版)』のジャケットの描かれたTシャツを一度だけ着たことがあるが、後にその行いについて強く後悔しているという。
※この「生い立ち、少年期、青年期」の解説は、「ヴァルグ・ヴィーケネス」の解説の一部です。
「生い立ち、少年期、青年期」を含む「ヴァルグ・ヴィーケネス」の記事については、「ヴァルグ・ヴィーケネス」の概要を参照ください。
- 生い立ち、少年期、青年期のページへのリンク