スレイヤーとは? わかりやすく解説

slayer

別表記:スレイヤー

「slayer」とは、「殺害者」や「殺人者」「凶漢」といった暴力的な方法により人間動物あるいは架空生き物殺した人を意味する英語表現である。

「slayer」とは「slayer」の意味

「slayer」とは英語の名詞で、基本的に殺害者」「殺人者」「凶漢」、架空の生物の「討伐者」「退治者」といった意味を持つ。また「slayer」はスラングとして、「爆笑させる人」「成功する人」といった意味を指す。「slayer」は古い文語表現のため、日常会話使用されることはほとんどない。「slayer」の複数形は、「slayers」となる。「slayer」の覚え方として、「殺人者の声はかすれ(sla)、嫌(yer)がらせを受けた」などの語呂合わせ挙げられる

「slayer」の発音・読み方

「slayer」の発音記号は、「ˈsleɪə」と表記される。「slayer」の読み方は、カタカナで「スレイァ」と表記される。「スレイァ」の「ス」の部分アクセント付けて発音をする。

「slayer」の語源・由来

「slayer」は、「殺す」を意味する英語の動詞slay」に「行為者」を示す接尾辞er」が組み合わさって出来た。「slay」の語源は、ゲルマン語派起源とする「殺す」「襲う」といった意味の古英語動詞slēan」である。またオランダ語動詞「slaan」、ドイツ語動詞「schlagen」とも関連があるとされている。

「slayer」の使い方・例文

「slayer」の使い方として、以下の例文挙げられる

・I like fantasy novels like Dragon Slayer.(私はドラゴンを倒すようなファンタジー小説好みである)
・The slayer, who slew three people, is still on the run.(3人も殺した殺人者が、今なお逃亡している)
・He really is a slayer.(彼は本当に面白おかしい人である)
・The lyrics of Slayer's songs are quite radical.(スレイヤーの楽曲歌詞はかなり過激である)
Slayers has been animated many times.(スレイヤーズ何度もアニメ化されている)

「SLAYER(バンド)」とは

「SLAYER(バンド)」とは、アメリカのスラッシュ・メタルバンドである。日本では「スレイヤー」と呼ばれる1981年にアメリカカリフォルニア州で結成し1983年アルバム作品Show No Mercyショウ・ノー・マーシー)」でデビューを果たす。2007年・2008年にはグラミー賞の最優秀メタル・パフォーマンス部門獲得し、「メタリカ」「アンスラックス」「メガデス」と並んでBIG4」と称されている。その中でも「スレイヤー」は一貫して攻撃的な歌詞スピード感あるサウンド提供し続けた2019年をもって、「スレイヤー」は活動停止している。全米でのアルバム総売上350万枚超えている。

「スレイヤーズ(ライトノベル)」とは

スレイヤーズライトノベル)」とは、日本作家神坂一」によるライトノベルである。イラストは「あらいずみるい」が担当している。英語表記は「Slayers」である。女魔道士リナ=インバース」が相棒剣士ガウリイ=ガブリエフ」と一緒に各地旅しながら、様々な事件巻き込まれていく様子描いている。1989年に「富士見ファンタジア文庫」から刊行され、「スレイヤーズ」の小説本編外伝合わせて2,000部以上を売り上げている。また「スレイヤーズ」はメディアミックス展開盛んに行われ1995年テレビアニメ化をはじめ、漫画・ゲーム児童向け小説トレーディングカードなど様々な媒体取り扱われている。

「slayer」に関連する用語の解説

「dragon slayer」とは


小説ゲームなどで「ドラゴンを倒す者」「ドラゴンを倒す武器」といった意味を持つ。またドラゴン中国見立ててアメリカの政治家における「反中国派」をも意味する。さらに「dragon slayer」というタイトル映画多数作られていることに加え、「日本ファルコム」から販売されていたコンピューターゲームドラゴンスレイヤーシリーズ」がある。

「Demon Slayer」とは


小説ゲームなどで「悪魔を倒す者」「悪魔を倒す武器」といった意味を指す。また漫画家吾峠呼世晴」が、2016年から2020年まで連載して漫画鬼滅の刃」の英語表記が「Demon Slayer」である。「鬼滅の刃」は作中に「鬼(=demon)」が登場し主人公がそれを討伐する(=slayer)ことから「Demon Slayer」となった

スレイヤー

名前 Süreyya

スレイヤー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/17 08:44 UTC 版)

スレイヤー

オリジナル・ラインナップ(2007年)
基本情報
出身地 アメリカ合衆国
カリフォルニア州ハンティントンパーク
ジャンル スラッシュメタル[1]
エクストリームメタル
ヘヴィメタル[1]
スピードメタル
クロスオーバー・スラッシュ
活動期間 1981年 - 2019年
2024年 -
レーベル メタル・ブレイド・レコーズ
アメリカン・レコーディングズ
ニュークリア・ブラスト
公式サイト slayer.net (英語)
メンバー トム・アラヤ (Vo/B)
ケリー・キング (G)
ポール・ボスタフ英語版 (Ds)
ゲイリー・ホルト英語版 (G)
旧メンバー ジェフ・ハンネマン (G)
デイヴ・ロンバード (Ds)
ジョン・デッティドイツ語版 (Ds)
テンプレートを表示

スレイヤーSLAYER)は、アメリカ合衆国スラッシュメタルバンド

同時期にデビューした「メタリカ」「アンスラックス」「メガデス」と並び、スラッシュメタル"BIG4"と形容された一角として君臨し、デビュー以来ほとんど変化する事なくアグレッシブな音楽性を貫き通した。そのスタイルはエクストリームメタルの原点ともなっている[2]

2007年2008年グラミー賞』受賞。

概要

歌詞やアルバムのジャケットに用いられる、死、自殺、精神異常、死体、サタニズム、連続殺人犯、戦争などといったテーマがしばしば議論を呼び、アルバムの発売禁止及び延期、訴訟に発展し1980年代には音楽検閲推進団体『PMRC』の標的にもなった。また、後のデスメタルブラックメタルにも影響を与えた。1986年にリリースされたアルバム『Reign in Blood - レイン・イン・ブラッド -』などは英国ケラング!誌に"the heaviest album of all time by Kerrang!"と評された[3]

1983年のデビュー時から2枚のライヴ・アルバム、1つのボックスセット、4つの映像作品、2枚のEP、11枚のアルバムをリリースし、4枚のゴールドディスクを獲得している。グラミー賞には5回ノミネートされ(2017年現在)、その内2007年には『Eyes of the Insane』が、2008年には『Final Six』が最優秀メタル・パフォーマンスに選ばれた。全米でのアルバム総売上は350万枚を超え、『オズフェスト』や『UNHOLY ALLIANCE TOUR』などのロックフェスティバルではヘッドライナーを務めるほどの人気を有している。

来歴

結成期

1981年ケリー・キングデイヴ・ロンバードが意気投合し、Kerryが以前に「Quits」というバンド(その前は「Tradewings」という名前だった)で一緒にプレイしていたチリ出身のトム・アラヤと、ジェフ・ハンネマンを勧誘したことで結成に至る。最初は北カリフォルニアのクラブやパーティでアイアン・メイデンジューダス・プリーストなどのカヴァーを演奏していた。当初のバンド名は「ドラゴンスレイヤー(Dragonslayer)」。その由来が1981年公開の同名映画のタイトルという噂があったが、Kerryはこれを否定している。ロサンゼルスにある「Woodstock Club」にてヘヴィメタルバンド「Bitch」の前座としてライブ(全8曲、その内6曲はカヴァー)した際、アイアン・メイデンの「Phantom of the Opera」をプレイする姿を見たアメリカの名門メタルレーベル「メタル・ブレイド・レコーズ」の創設者「ブライアン・スレイゲル(Brian Slagel)」に見出される。その後バックステージで両者は出会い、BrianはSlayerに作曲を要請しバンドはそれを承諾した。

1983年メタル・ブレイド・レコーズによるコンピレーションアルバムの第三弾『メタル・マサカー3 - METAL MASSACRE 3 - 』(詳細は→メタル・ブレイド・レコーズ)に「Aggressive Perfector - アグレッシブ・パーフェクター」を提供し同レーベルと契約した。同年12月にデビュー作となる1stアルバム『ショウ・ノー・マーシー - SHOW NO MERCY - 』を発表。バンドには資金がなかったため、自分達で製作費用を捻出した(Tomは自身の稼ぎを充て、Kerryは父から金を借りた)。これによりメンバーはこの年の11月にスタジオ入りを果たす。

1984年には、アルバムのプロモーションを兼ねてライブツアーを行った。ツアーと言っても国内のクラブを回るもので、Tomの所有するカマロU-ホールから借りたトレーラーを引きながらの移動であった。このライブを足掛かりにバンドは知名度を上げ、アルバムはアメリカだけで2万枚、国外でも2万枚以上の売り上げを記録する。同年10月、3曲入りEPホーンティング・ザ・チャペル - HAUNTING THE CHAPEL - 』を発表。アルバムの幕開けとなる「ケミカル・ウォーフェアー - Chemical Warfare - 」はバンドの定番曲となった。アルバムリリース後、Slayerはバンド「UFO」の前座として、ライブ「Heavy Sounds Festival」においてヨーロッパデビューを果たす。アメリカに戻ってからは、ツアー「Haunting the West」を開始。ツアー後に、Kerryは「デイヴ・ムステイン(Dave Mustaine)」の新たなバンド「メガデス(MEGADETH)」へ加入するため一時バンドを離れている。Jeffはこれに関して「新しいギタリストを探そうか考えていた」と語っている。その後バンドはヴェノムエクソダスと共に「Combat Tour」を開始、ライブアルバム『Live Undead』をリリース。

1985年、初のライブ映像となる『Combat Tour: The Ultimate Revenge』をリリース。ヴェノムらと共にニューヨークの「Studio 54」にて出演したライブが取り上げられた。またこの年にはアルバム『SHOW NO MERCY』の売り上げが4万枚を突破、バンドは2枚目のスタジオアルバム製作が可能となった。メタル・ブレイドは製作費用をバンドに与え、収録に際しプロデューサーの「Ron fair」を迎えることができた。同年9月、2ndアルバム『ヘル・アウェイツ - HELL AWAITS - 』を発表。『Hell Awaits』の成功後、バンドはリック・ルービン率いるメジャー・レーベルデフ・ジャムからオファーを受け移籍する。

1986年、3rdアルバム『レイン・イン・ブラッド - REIGN IN BLOOD - 』を発表するが、「歌詞が過激過ぎる」という理由から(ナチスの虐殺者ヨーゼフ・メンゲレについて歌った『エンジェル・オブ・デス』が特に問題視された)、コロムビア・レコードがアメリカ国内の配給を拒否[4]。その後、当時ワーナーグループ傘下だったゲフィン・レコードからの配給が決定。無事発売(しかし議論の結果このレコード会社のリリース表にはこのアルバムの名は記載されていない)され、ラジオでのエアプレイがなかったにもかかわらずビルボード誌のアルバム・チャートで最高50位台を記録する。なお、イギリスでは、WEAが発売を拒否したため、ロンドンレコードから発売された。同年10月、Slayerはワールドツアー「Reign in Pain」をオーヴァーキルやMaliceと共に開始。また、バンド「W.A.S.P.」のツアーにおけるオープニングアクトも決定するが、その後1ヵ月を待たずドラマーのDaveが「家庭生活を優先したい」とし脱退。ツアー継続のため、元「ウィップラッシュ」の「Tony Scaglione」が参加するが、翌年には妻の説得によりDaveが復帰。

1987年コロムビア・レコードの創設者「Rick Rubin(リック・ルービン)」の独断により、バンド「アイアン・バタフライ」の代表曲『In-A-Gadda-Da-Vida』をカヴァーし、映画「Less Than Zero」のサウンドトラックへ提供。バンド側はこれを快く思っておらず、Jeffは「可哀相なSlayerの演出」と捉え、Kerryは「の塊」と語った。ちなみに、この楽曲はSlayerがラジオで流れた最初の曲の1つである。

1988年、4thアルバム『サウス・オブ・ヘヴン - SOUTH OF HEAVEN - 』を発表。構想段階で、前作『Reign in Blood』から一転し、曲のテンポを落とし、メロディアスな歌唱を取り入れると決定。Jeffはこれに関して「『Reign in Blood』を越えることができないのは分かっていた。だから曲のスピードを落としたんだ。リリースしたアルバムが皆『Reign〜』と比べられることが分かっていたからね。奇妙なことだった。この前にも後にも、こんなことは無いよ」と語っている。スタイルの変化はファンや評論家から様々な反響があったが、アルバムは当時最も商業的に成功する。ビルボードチャートで初登場57位(200位中)を記録し、2枚目のゴールドディスク授賞作品となった。アルバムに対する評価も様々で、「Allmusic」は「混沌としており力強い」とした一方、Kerryは「最も活気の無いアルバムだ」と評している。同年8月12日ロサンゼルスのハリウッド・パラディウム公演、8月31日ニューヨークのフェルト・フォーラム公演において、プロモーターのチケット販売過多が要因となり観客の暴動が発生。同会場での演奏が禁止される。

1990年に5thアルバム『シーズンズ・イン・ジ・アビス - SEASONS IN THE ABYSS - 』を発表。『クラッシュ・オブ・ザ・タイタンズ』ツアー(第一弾はスレイヤー、メガデス、テスタメントスイサイダル・テンデンシーズの4組による1990年のヨーロッパツアー、第二弾はスレイヤー、メガデス、アンスラックス、アリス・イン・チェインズの4組による1991年全米ツアー)を実施。ビルボード誌の総合チャートで40位内にランクイン。

デイヴ・ロンバード(Ds) 2009年

1991年、活動10周年を記念したライヴ・アルバム『ディケイド・オブ・アグレッション - DECADE OF AGGRESSION - 』を発表。

第二期

1992年にデイヴ・ロンバードが脱退。新ドラマーとして元フォビドゥンポール・ボスタフ英語版が加入。1994年、『ディヴァイン・インターヴェンション - DIVINE INTERVENTION - 』を発表。1995年、ビデオ『ライブ・イントゥルージョン - LIVE INTRUSION - 』発表。1996年パンク/ハードコアカバーアルバム『アンディスピューテッド・アティテュード - UNDISPUTED ATTITUDE - 』を発表。

第三期

1996年、ポールが脱退し、新ドラマーとして元テスタメントのジョン・デッティドイツ語版が加入するも、翌年の1997年、短期間のうちにポールが復帰。

第四期

1998年、7thアルバム『悪魔の鎮魂歌(レクイエム) - DIABOLUS IN MUSICA - 』を発表。

第五期

2001年、オリジナル・ドラマーのデイヴが復帰。8thアルバム『ゴッド・ヘイツ・アス・オール - GOD HATES US ALL - 』を発表。8月には日本のヘヴィロック・フェスティバル「BEAST FEAST 2001」にパンテラとのダブル・ヘッドライナーとして出演。 2002年、12月に再びヘッドライナーとして「BEAST FEAST 2002」に出演。2003年、DVD『ウォー・アット・ザ・ウォーフィールド - WAR AT THE WARFIELD - 』 、BOX-SET『サウンドトラック・トゥ・ジ・アポカリプス - SOUNDTRACK TO THE APOCALYPSE - 』発表。 2004年、DVD『スティル・レイニング - STILL REIGNING - 』発表。 2006年8月、約5年ぶりの9thアルバム、『クライスト・イリュージョン - CHRIST ILLUSION - 』をリリース。ビルボード初登場5位を記録した。10月には日本のヘヴィメタル・フェスティバル「LOUD PARK 06」への出演、単独公演を行った。

オリジナル・ラインナップ - マドリード公演 (2007年)

2007年、『クライスト・イリュージョン - CHRIST ILLUSION - 』のリイシュー盤、DVD『アンホーリー・アライアンス・ツアー:邪悪伝道同盟 - THE UNHOLY ALLIANCE - 』を発表。『CHRIST ILLUSION』に収録された楽曲『Eyes Of The Insane』が、第49回グラミー賞の最優秀メタル・パフォーマンス部門で受賞した[5]

2008年、『CHRIST ILLUSION』のリイシュー盤に収録された楽曲『Final Six』が、第50回グラミー賞の最優秀メタル・パフォーマンス部門で受賞した[6]

2009年、10thアルバム『血塗ラレタ世界 -WORLD PAINTED BLOOD- 』をリリース。10月には日本のヘヴィメタル・フェスティバル「LOUD PARK 09」への出演と単独公演を行った。

晩年期のジェフ・ハンネマン(G) 2010年

2011年、ジェフが右腕を毒蜘蛛に噛まれ、壊死性筋膜炎を発症したため、バンドを離脱。ツアーにはエクソダスで活動するゲイリー・ホルト英語版がサポートで参加することとなった。 2012年、10月にフェスティバル「LOUD PARK 12」のヘッドライナーとして来日[7]

第六期

2013年2月、デイヴがツアー不参加を表明[8]5月2日、復帰が待ち望まれていたジェフが肝不全により死去[9]。ゲイリーが正式メンバーとなる。5月30日、2月に脱退したデイヴの後任としてポールが復帰[10]

2015年9月11日、6年ぶりとなる11thアルバム『リペントレス -Repentless- 』をリリース。10月には、「LOUD PARK 15」のヘッドライナーとして来日[11]

2017年、10月にフェスティバル「LOUD PARK 17」のヘッドライナーとして来日[12]

バンドの終焉

2018年、今年から来年にかけて開催するツアーが最後になると宣言し「ファイナル・ワールド・ツアー」を開始[13]。年末、ゲイリー・ホルトが家庭の事情により一時離脱。代役はフィル・デンメル(元マシーン・ヘッド、元ヴァイオレンス)が務めた[14]

2019年3月、ロック・フェスティバル「DOWNLOAD JAPAN 2019」出演のため来日[15]。同11月末、当初の予定通り、地元カリフォルニア州の最終公演をもって解散。38年の歴史に幕を閉じた[16]

第七期(再結成)

2024年2月22日、約5年振りに再結成、復活しヘッドライナーとしてライヴを行なうことを正式に発表[17]。2024年9月22日に「ライオット・フェスト」で2019年の解散後初となるライヴを行い、その5日後に「ラウダー・ザン・ライフ」で2度目のライヴを行う[17]

2025年7月5日、英バーミンガムのヴィラ・パークにて開催された、オリジナル・メンバーによるブラック・サバスの、またオジー・オズボーンのソロのキャリアの締めくくる最後のコンサート『Back To The Beginning』にサポートアクトとして出演した。

メンバー

旧メンバー

作品

スタジオ・アルバム

来日公演

単独公演

フェス

脚注

  1. ^ a b Slayer|Biography”. オールミュージック. All Media Guide. 2015年6月19日閲覧。
  2. ^ スレイヤーの20曲:最も邪悪なスラッシュ・メタル四天王”. U discovermusic.jp (2018年5月7日). 2019年1月23日閲覧。
  3. ^ Kerrang! Awards
  4. ^ 『レイン・イン・ブラッド(日本盤)』におけるライナーノーツ(1995年1月24日 有島博志 記)より。
  5. ^ Winners / Best Metal Performance / 49th Annual Grammy Awards (2006)”. GRAMMY.com. 2019年4月13日閲覧。
  6. ^ Winners / Best Metal Performance / 50th Annual Grammy Awards (2007)”. GRAMMY.com. 2019年4月13日閲覧。
  7. ^ LOUD PARK 12 @ さいたまスーパーアリーナ”. rockin'on.com (2012年10月27日). 2019年4月13日閲覧。
  8. ^ “スレイヤーのデイヴ・ロンバード、オーストラリア・ツアーの不参加を発表”. amass. (2013年2月21日). https://amass.jp/18107/ 2015年9月13日閲覧。 
  9. ^ Slayer's statement about Hanneman's death”. フェイスブック|slayer. 2013年5月4日閲覧。
  10. ^ SLAYER Welcomes Drummer PAUL BOSTAPH Back To The Fold - May 30, 2013”. Blabbermouth.net. Roadrunner Records. 2013年5月30日閲覧。
  11. ^ LOUD PARK 15"で来日するSLAYER、6年ぶりとなるニュー・アルバム『Repentless』の国内盤が9/11にリリース決定!詳細も明らかに!”. 激ロック (2015年6月26日). 2019年4月13日閲覧。
  12. ^ LOUD PARK 17の初日をレポート!”. WeROCK EYES (2017年10月18日). 2019年4月13日閲覧。
  13. ^ 最後のワールドツアーが幕を開けたスレイヤー 野性を呼び起こすサウンドの秘密”. BARKS (2018年12月3日). 2019年1月23日閲覧。
  14. ^ スレイヤー、ゲイリー・ホルトが瀕死の父に付き添うためヨーロッパ・ツアーから離脱”. Rolling Stone Japan (2018年5月15日). 2019年1月23日閲覧。
  15. ^ 鋼鉄神の帰還、スラッシュメタルの帝王ファイナル……二万人が熱狂した『DOWNLOAD JAPAN 2019』完全レポート”. BURRN! ONLINE (2019年4月4日). 2019年4月12日閲覧。
  16. ^ スレイヤー、フェアウェル・ツアーの最後の公演でファンに別れを告げる映像がオンラインに”. NME JAPAN (2019年12月3日). 2020年1月2日閲覧。
  17. ^ a b SLAYERが再結成を発表! 9月に2つのフェスのヘッドライナーとして登場!”. シンコーミュージック・エンタテイメント (2024年2月22日). 2024年2月22日閲覧。

外部リンク


スレイヤー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 15:04 UTC 版)

アラド戦記」の記事における「スレイヤー」の解説

現状ダンジョンでの最難関難易度とてつもなく敵が強く並大抵装備では簡単に返り討ちに合う事も。

※この「スレイヤー」の解説は、「アラド戦記」の解説の一部です。
「スレイヤー」を含む「アラド戦記」の記事については、「アラド戦記」の概要を参照ください。

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