生い立ち、新聞社時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 06:48 UTC 版)
1954年、3人兄弟の長男として大阪府に生まれる。小学生のころから男性であることに違和感を持ち、「男は男らしく」と言う父とは確執があった。早稲田大学に進学し、親元を離れる。女性服を買ったり化粧をするようになり、新宿のゲイバーではじめて自分と同じ悩みを持つ人に会えたとという。 卒業後は読売新聞社に就職。大阪本社経済部で新聞記者として仕事に励み、後に編成部に異動。岡山、および神戸勤務し、神戸では自宅を構えた。記者時代はスーツとネクタイ姿が苦痛で、家で女装や化粧をしたりゲイバーで仲間といると落ち着いたという。また、会社では自分の悩みをひた隠しにしていた。 1991年、慰安旅行で青岸渡寺を訪れたことをきっかけに、西国三十三所めぐりを始め、四国八十八箇所や近畿三十六不動尊霊場、西国薬師四十九霊場にも赴くようになる。1995年の阪神・淡路大震災では、柴谷自身は大阪府寝屋川市の実家にいて無事だったが、神戸市東灘区の自宅が被災自宅が倒壊。自宅から掘り起こした納経帳を見て、お大師様が助けてくれたと感じたという。柴谷は1998年から四国遍路巡礼を再開し、1999年には四国八十八ヶ所霊場会公認先達の資格を得る(のちに公認大先達)。
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