生い立ち、東京大学JSK時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 08:49 UTC 版)
「杉原知道」の記事における「生い立ち、東京大学JSK時代」の解説
中学生、高校生の時は合唱部や吹奏楽部で活動。国語が得意で、「人の思考メカニズムを理解したい」という夢を持っていた。埼玉県立浦和高等学校を卒業し、1997年に東京大学に進学。当初は人工知能を志していたが、人間の歩行のような複雑な運動を生み出す知能では、身体の力学が重要であると考え、機械系を目指す。工学部機械情報工学科に進む。 杉原は銅谷賢治のロボットや山崎信寿らの論文で示した「脳神経系・身体系・環境が相互作用した結果として二足歩行のような運動が生み出される」ということに影響を受ける。また、他の論文で見かけた「床反力が間接的な入力になっている」という考え方に感銘を受け、それに基づいたロボットを作るという目標を持つ。 井上博允の情報システム工学研究室(JSK)に所属し、ヒューマノイドロボット「H5」の開発に携わる。1999年3月に学部を卒業し、大学院工学系研究科機械情報工学専攻修士課程に進学。引き続き大学院でも同研究室に所属し、ヒューマノイドロボット「H6」や汎用動力学計算エンジン「Z-DYNAFORM」の開発に携わる。
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