セーケシュフェヘールヴァールとは? わかりやすく解説

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セーケシュフェヘールヴァール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/30 11:35 UTC 版)

セーケシュフェヘールヴァール


紋章
愛称: 
Fehérvár
Hungarian Crowning City
City of Kings
City of Churches
セーケシュフェヘールヴァール
セーケシュフェヘールヴァール
座標:北緯47度11分20秒 東経18度24分50秒 / 北緯47.18877度 東経18.41384度 / 47.18877; 18.41384
 ハンガリー
フェイェール県
政府
 • 市長 チェル=パルコヴィチ・アンドラーシュ (Fidesz-KDNP)
面積
 • 都市 170.89 km2
標高
118 m
人口
(2014年)
 • 都市 97,617[1]
 • 順位 9位
 • 密度 571.23人/km2
 • 都市部
272,474 (9位)[2]
族称 székesfehérvári, fehérvári
等時帯 UTC+1 (CET)
 • 夏時間 UTC+2 (CEST)
郵便番号
8000 to 8019
市外局番 (+36) 22
ウェブサイト www.szekesfehervar.hu
テンプレートを表示
旧市街の市庁舎広場

セーケシュフェヘールヴァール (Székesfehérvár) は、ハンガリー中西部の都市である。ドイツ語ではシュトゥールヴァイセンブルク (Stuhlweißenburg) 。

かつて、ハンガリーの歴代国王が戴冠・埋葬された都市として知られる。ハンガリー語名 (Székes-fehér-vár) 、ドイツ語名 (Stuhl-weißen-burg) ともに「椅子(王座?)・白い・城」を意味する。白はハンガリーで王室を象徴する色である。

歴史

ローマ帝国時代の集落がその起源で、11世紀からはハンガリー王国の王宮がおかれた。以降、16世紀前半までこの地で国王の戴冠式も行われた。16世紀から17世紀にかけて、オスマン帝国の支配下で一時荒廃したが、17世紀末よりハプスブルク家の支配下に入ると、再び発展していった。第二次世界大戦後は、急速な工業化が進んだ。戦後まもなくは3万人程度だった人口も、70年代までには10万人に成長している。

地勢・産業

約60キロほど北東に首都ブダペスト、約250キロほど南西にクロアチアの首都ザグレブが位置しており、両都市を結ぶ鉄道の通過点に当たる。南西約30キロの所にバラトン湖がある。第二次世界大戦後、工業都市として急速に発展した。その他、ワインの醸造も盛ん。

文化

イシュトヴァーン博物館では、ハンガリーの初代国王イシュトヴァーン1世についての関連物のみならず、鎧や馬具、装飾品などが展示されている。

出身者

姉妹都市

交通

セーケシュフェヘールヴァール駅
セーケシュフェヘールヴァールバスターミナル

鉄道

  • セーケシュフェヘールヴァール駅

バス

  • セーケシュフェヘールヴァールバスターミナル

脚注

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