バラニャ県とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > バラニャ県の意味・解説 

バラニャ県

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/15 20:38 UTC 版)

座標: 北緯46度04分06秒 東経18度12分19秒 / 北緯46.06833度 東経18.20528度 / 46.06833; 18.20528

バラニャ県の位置

バラニャ県(バラニャけん、ハンガリー語: Baranya vármegyeクロアチア語: Baranjaセルビア語: Барања (Baranja) 、ドイツ語: Branau)は、ハンガリー南部の県。ハンガリー王国時代のバラニャ地方英語版の一部だった。県都はペーチ

クロアチア国境を接する。ドラヴァ川が南の境となり、ドナウ川が東の境となっている。バーチ・キシュクン県トルナ県ショモジ県と接する。

地理

南部に位置するヴィラーニー山地

県北部は広大な森林を擁する山地である。中央部はバラニャ丘陵とヴィラーニー山地に分けられる。東端部と南部は平坦な土地である。

県の標高最高地点はメチェク山地のゼンゲー(Zengő)で、682メートルである。

気候は地中海性気候で、日照時間が長い。バラニャ県は国内で最も降雨量が多い。また鉱物と温泉に富み、その他の資源としてハンガリー国内で産出される石炭の98%がここで見つかっている。

歴史

古代から人が定住していた。マジャル人によるハンガリー征服前は、スラヴ人が暮らしていた。ハンガリー王イシュトヴァーン1世がこの地に司教座をおいた。

1526年、バラニャを含む南部ハンガリーがオスマン帝国に占領され、1689年までその支配を受けた。中世に定められた国境は1919年まで変わらなかった。トリアノン条約によって、県南部1163平方キロメートルがルーマニアセルビアなどに割譲されて失われた。1950年の県再編成では、わずかな変更しかされなかった。

バラニャ県には、ハンガリー国内に住む少数民族が多数暮らしている(国平均の2倍以上である)。ハンガリーに住むドイツ系住民の34%、南スラヴ系住民の32%がバラニャ県に住んでいる。

統計

2001年の調査では、バラニャ県の人口は407,448人であった。[1]

地域の構成

ボルショド・アバウーイ・ゼンプレーン県と同じく、バラニャ県は一部の大都市と、小さな自治体とに分かれる極端な構成である。県都ペーチは国内第5位の大都市だが、県の自治体の2/3は人口500人未満の小村である。県人口の半数が県都かその周辺に暮らし、県人口の22%が人口1000人以下の村で暮らしている。

主な市町

Hosszúhetényの教会

2001年度の人口調査による

  • ペーチ (156,649人)
  • コムロー (27,462人)
  • モハーチ (19,085人)
  • シゲトヴァール (11,492人)
  • シクローシュ (10,384人)
  • セントローリンツ (7,265人)
  • ペーチヴァーラド (4,104人)
  • コザールミシュレニ (4,058人)
  • ボーイ (3,715人)
  • シャーシュド (3,570人)
  • ハルカーニー (3,519人)
  • セイェ (3,248人)
  • ヴィラーニー (2,793人)

ギャラリー




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「バラニャ県」の関連用語

バラニャ県のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



バラニャ県のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのバラニャ県 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS