大聖堂とは? わかりやすく解説

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だい‐せいどう〔‐セイダウ〕【大聖堂】

読み方:だいせいどう

カテドラル


大聖堂(カセドラル)

作者レイモンド・カーヴァー

収載図書THE COMPLETE WORKS OF RAYMOND CARVER 3 大聖堂
出版社中央公論社
刊行年月1990.5

収載図書Carver's Dozenレイモンド・カーヴァー傑作選
出版社中央公論社
刊行年月1994.12

収載図書ニュー・ミステリ―ジャンル越えた世界作家42
出版社早川書房
刊行年月1995.10

収載図書CARVER'S DOZENレイモンド・カーヴァー傑作選
出版社中央公論社
刊行年月1997.10
シリーズ名中公文庫


大聖堂

作者レイモンド・カーヴァー

収載図書大聖堂
出版社中央公論新社
刊行年月2007.3
シリーズ名村上春樹翻訳ライブラリー


大聖堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/29 02:39 UTC 版)

大聖堂(だいせいどう)は、キリスト教の宗教建築の種別のひとつ。語義には教派によって差がある。日本のカトリック教会では「カテドラル」との片仮名表記も頻繁に用いられるが、日本の他教派ではこれはあまり用いられない。


  1. ^ 仙台ハリストス正教会の聖堂は生神女福音聖堂であり、主教座聖堂であっても大聖堂の呼称は用いられていない。
  2. ^ 御茶ノ水の泉通信 - 主教座大聖堂であるニコライ堂の正式名称を「東京復活大聖堂」と表記している。なお、ロシア語による表記は Собо́р Воскресе́ния Христо́ва 、直訳すれば「ハリストス復活大聖堂」。
  3. ^ 東方正教リンク集 - アレクサンドル・ネフスキー大聖堂ブルガリア語: Храм-паметник Свети Александър Невски 、直訳すれば「聖アレクサンドル・ネフスキー記憶聖堂」)を「聖アレクサンドル・ネフスキー総主教座大聖堂」と表記している。
  4. ^ 事例:聖イサアク大聖堂公式サイトにもあるようにИсаакиевский соборとも呼ばれるが、同サイト内のこちらのページではКафедральный храм Российской Империиと表記されている。
  5. ^ 日本正教会では該当する訳し分けがこの語について存在しない。「小礼拝堂」の訳語出典:『ロシア語ミニ辞典』416頁、白水社(2008年2月10日第8刷) ISBN 9784560000670。但し同辞典は全てについてではないが、479頁の項目別語彙集「教会」等において、比較的日本正教会の訳語を尊重している。
  6. ^ ただし司教座聖堂であっても、幟町教会(世界平和記念聖堂広島司教区)や大名町教会福岡司教区)、浦上天主堂長崎大司教区)など慣習的に「大聖堂」とはほとんど呼ばれないものもある。
  7. ^ ブダペスト聖イシュトヴァーン大聖堂(Szent István-bazilika)など。なお、バチカンサン・ピエトロ大聖堂イタリア語では Basilica di San Pietro と呼ばれる。
  8. ^ 世界文化遺産に登録されているケルン大聖堂(Kölner Dom)、神聖ローマ皇帝の選帝侯であったマインツ大司教のマインツ大聖堂(Mainzer Dom)等、枚挙にいとまがない。
  9. ^ ドイツ南西部にあるフライブルク大聖堂(Freiburger Münster)等。
  10. ^ 出典:日本聖公会 東京教区
  11. ^ 聖パトリック大聖堂は19世紀後半よりアイルランド聖公会において、アイルランド島全体のカテドラルと位置づけられており、首席司祭(Dean)の下に島内の12の主教管区から派遣された聖堂参事が置かれるという体制となっている。
  12. ^ 僅かな例外は存在しており、エヴァンジェリカル・オーソドックス教会には主教が存在する。


「大聖堂」の続きの解説一覧

大聖堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/08 14:13 UTC 版)

聖デイヴィッド大聖堂」の記事における「大聖堂」の解説

1115年ノルマン朝支配する地域において、イングランド王ヘンリー1世は、セント・デイヴィッズ主教英語版)としてノルマン人主教ベルナルドBernard、1115-1147年)を任命した彼は始めに修道院内の活動改善し、そして新し大聖堂の建設着手した1123年教皇カリストゥス2世は、セント・デイヴィッズ教皇特権英語版)を授け教皇は、そこを西洋巡礼中心として、「セント・デイヴィッズ2度巡礼ローマバチカン)への1度巡礼等しく3度巡礼エルサレムへの1度同等である」と布告した新しい大聖堂は直ち建設され、それは1131年主教ベルナルドにより奉献された。

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大聖堂(チャペル)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 04:47 UTC 版)

トリニティ・カレッジ (オックスフォード大学)」の記事における「大聖堂(チャペル)」の解説

大聖堂(チャペル)はヘンリー・オルドリッチ(英語版)がクリストファー・レン助言得ながら設計したもので、1694年聖別された。トリニティ・カレッジ大聖堂聖歌隊(英: The Trinity College Chapel Choir)は、8人までの聖歌隊スカラーと、30人以上のボランティア唱歌隊で構成されている。この聖歌隊大学随一人数誇りメンバー大半はカレッジ関係者である。聖歌隊は、毎週日曜日夕べ祈り英語版)で歌うほか、2、3週に1回歌唱し、カレッジ行事にもなっている。音楽監督カレッジにおらず、オルガン・スカラー(英語版)が演奏責任を持ち、またチャプレンがこれを監督する聖歌隊毎年ツアー行っており、2008年にはダブリンコンサート聖パトリック大聖堂での聖餐式(英: Sung Eucharist)で歌ったほか、2009年夏にはローマ2010年にはパリ2011年にはバルセロナ2012年にはウィーン訪れている。2009年には "A Voice from Afar"と銘打っCDをリリースし、当時のオルガン・スカラーだったキャサリン・ウォレス(英: Catherine Wallace)が監督務めた

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大聖堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/25 03:36 UTC 版)

ノワイヨン」の記事における「大聖堂」の解説

ノワイヨンには大聖堂があり、1150年着工された。1144年サン・ドニ献堂式以降の最初に着工され初期ゴシックの大聖堂である。しかしリブ支えるのはサン・ドニのアン・デリの添柱ではなく控え壁一体化された石積み付柱で、違うである。一方周歩廊外縁並んでいる部屋サン・ドニ用いられ添柱みられる。この大聖堂は内陣から建設はじめられ続いて西へ建設進められていった奥行きの深い2階廊を取り入れていること、袖廊両腕先端丸くなっている、3層からなる立面などの特徴あげられる尖頭アーチの垂直と多層構成される平の間の初期ゴシックバランス表現しているまた、付加的な第4番目の層のトリフォリウムという低い壁の間の通り路の導入により、生き生きとした様を呈することになった後の1236年着工ヘッセン州ラーン川沿岸マールブルクにあるザンクト・エリザベート教会堂には、ノワイヨンによって鼓舞されゴシック表現なされている

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大聖堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 00:32 UTC 版)

シエナ大聖堂」の記事における「大聖堂」の解説

シエナ大聖堂は、内外ともに大理石象嵌張り飾られ平らに切られ東端部、六角形交差部ドーム堂内組み込まれた鐘塔特色とする。建築としては一貫性に欠ける教会堂なのだが、内部横縞模様はとても印象的で、特に多色大理石モザイク装飾されファサード西正面)はイタリア最美といわれる

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大聖堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 15:59 UTC 版)

ダブリン大主教」の記事における「大聖堂」の解説

中世以来ダブリン大司教座クライストチャーチ大聖堂にある。しかし、多くの時代においてその地位もうひとつの大聖堂である聖パトリック大聖堂分有した状態にあった過去にかなりの対立があったものの、ダブリン大司教フェリングスの時代6つ協定 (Pacis Compositio) が結ばれ法的に1870年代まで有効であったこの協定に従って地位分有していた。 主教座があるクライストチャーチは、16世紀身廊滑って一部倒壊し以来19世紀までダブリン大主教の大聖堂は双方とも悲惨な態で放置され本格的な修理行われていなかったが、19世紀末大規模改修行い現在の姿にいたる。また、同時期聖パトリック大聖堂復元が行われた。

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大聖堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 23:44 UTC 版)

クライストチャーチ大聖堂 (クライストチャーチ)」の記事における「大聖堂」の解説

英国国教会流れを汲む大聖堂として、年間70万人を超える来場者訪れニュージーランド象徴する観光名所である。 大聖堂内部多くのステンドグラス彫刻品など装飾品飾られている。多言語による礼拝大小さまざまな礼拝執り行われる宗教儀礼のほか、各種催し会場としても利用されるクライストチャーチ交響楽団主催によるクライストチャーチ大聖堂シリーズ時にはコンサートホールとして使用される有料券を購入することで大聖堂の一部塔(階)に登るともできる。大聖堂内部見学してまわる無料ガイドツアー開催されている。 2011年の地震により北側尖塔部分崩壊その後6月13日起きた余震により正面ステンドグラスの窓や西側の壁が75%まで崩壊するなどの被害受けた2012年2月修復には5,000NZドル1億NZドル(約3468億円)の費用必要で内部はまだ危険な状態今後地震起き恐れがあり、修復再建断念し解体決まったことが発表された2013年8月に大聖堂跡の近くに紙管使った聖堂オープンした設計日本人建築家坂茂で、少なくとも10年間は紙の聖堂使用される計画である。

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大聖堂(Cathedral, ID 367-008)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 08:08 UTC 版)

トリーアのローマ遺跡群、聖ペテロ大聖堂、聖母聖堂」の記事における「大聖堂(Cathedral, ID 367-008)」の解説

トリーアの大聖堂は、ドイツ最古の大聖堂にしてこの都市の司教座聖堂である。全体登録名にもあるように、聖ペテロ大聖堂とも呼ばれる建築様式時代ごとの付け足し結果様々な様式混ざり合っている。

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大聖堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 01:15 UTC 版)

アナーニ」の記事における「大聖堂」の解説

アナーニの大聖堂は、聖母マリア捧げられロマネスク様式の教会堂である。1071年から1105年にかけて建設され13世紀半ばゴシック様式付け加えられた。大聖堂で特筆すべき部分はその地下で、この町守護聖人であるアナーニの聖マグヌス (Magnus of Anagni) や、聖セクンディナの墓がある。自然哲学黙示録旧約聖書にある契約の箱などを表現したフレスコ画すべての壁や部屋覆っており、イタリアにおけるロマネスク・ビザンチン芸術傑作とされている。 大聖堂 大聖堂内部 大聖堂内部 契約の箱を描く壁画

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大聖堂(ドゥオモ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 07:06 UTC 版)

ピサのドゥオモ広場」の記事における「大聖堂(ドゥオモ)」の解説

詳細は「ピサ大聖堂を参照 大聖堂(ドゥオモ)は、緑の芝生生え広場中央にそびえる。都市国家であったピサが、1063年パレルモ沖でサラセン艦隊破ったことを記念して建築を始めといわれる建物の構造は、奥行きが約100m、幅約30mで、上から眺めるとラテン十字の形をしている。内部は、円柱密に並び、五廊式となっている。使用され円柱多く戦利品としてパレルモモスクから運ばれたものともいわれ、内装ビザンティン様式影響見える。建造物自体ロマネスク建築考えられている。 建物内部にはピサ人々愛された、聖ラニエリ (Rainerius) とハインリッヒ7世の墓がある。 ガリレオランプは、身廊のほぼ中央に吊り下がっているブロンズ製のランプで、ガリレオがこのランプ揺れをみて振り子の等時性発見した伝わっているが、これも事実ではないと考えられている。 説教壇は、14世紀始め頃に作られた、イタリア・ゴシック様式代表する彫刻として知られているガリレオランプ 説教壇

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大聖堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/11 09:37 UTC 版)

パルマ大聖堂 (イタリア)」の記事における「大聖堂」の解説

外観基本的にロマネスク様式のまま保たれているため、後世派手さ無縁な落ち着いた雰囲気であるが、一旦内部に入ると一面ルネサンス期フレスコ画覆われており、この対比について言及されることもある。以下にその外観と内部解説する

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大聖堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 14:05 UTC 版)

ソールズベリー」の記事における「大聖堂」の解説

詳細は「ソールズベリー大聖堂を参照 最初の大聖堂は1075年から1092年にかけ、司教オズモンドの代にオールド・セーレム建てられた。1120年、同じ場所にさらに大きな建物建てられた。しかし、同じ場所に大聖堂をつくる決定オールド・セーレム渡したことから聖職者と軍の関係が悪化したそのため、1220年出来た市の部分ソールズベリーではニュー・セーレムで知られ司教リチャード・プーアによる新大聖堂建設同じ年始まった主たる骨格はわずか38年完成、これは初期イングランド建築傑作とされる[誰によって?]。オールド・セーレムから大聖堂は一部を石で、また一部小さな船でナッダー川で運ばれてきたシルマーク・カリーズ(後のウィルトシャー)の石で作られた全長123メートル尖塔後で建てられ、これはイギリス最長の尖塔である。『蠅の王』などで1983年ノーベル文学賞受賞したウィリアム・ゴールディングは大聖堂のすぐそば学校で20年近く教師をしていて、この尖塔建築関わった神父たちをモデルにした小説尖塔 ザ・スパイア』を書いている。 大聖堂は、木を束にしたものの上18インチ一風変わった浅い基礎を伴う砂利敷き上に建てられた。この場所オールド・セーレムから放った矢によって選ばれた仮定されている。これは以前の場所から3キロ以上離れていることから伝説みなされている。また別の話では、矢は白いシカ射てシカ走り続けたが大聖堂が今ある所で絶命したという。 大聖堂の図書館にはマグナ・カルタ現存する4つ写本のうち、最良の状態のものが保管されている。 1386年大きな機械時計が大聖堂に設置された。これは現存しブリテン諸島では最も古い機械時計となっている。

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大聖堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 02:27 UTC 版)

クレムリン」の記事における「大聖堂」の解説

クレムリン大宮殿東側には、ロシア正教会伽藍林立する広場があり、大聖堂広場寺院広場、ソーボルナヤ・プロシチャージ)の名で呼ばれる聖天使首大聖堂アルハンゲリスキー大聖堂1505年から1509年にかけて建立設計はイタリア・ミラノ出身建築家アルヴィン・ヌオヴォ。5個の丸屋根持ち内陣にはタタールのくびきからロシアが解放された絵やイコンによって飾られるイワン雷帝歴代皇帝納骨保管所となっている。 生神女就寝大聖堂ウスペンスキー大聖堂1475年から1479年にかけて建立設計イタリア建築家アリストートル・フィオラヴァンティによる。大聖堂広場北側・グラノヴィータヤ宮の隣に位置する5つドームを持つ。全高38メートル内陣フレスコイコンによって飾られる帝政時代には皇帝戴冠式挙行された。現在でもロシア連邦大統領就任式ロシア正教会による祝福が行われる場所である。 生神女福音大聖堂ブラゴヴェシチェンスキー大聖堂クレムリン大宮殿東に隣接する瀟洒な聖堂1484年から1489年にかけて、ロシア・プスコフの建築家たちによって建立される。現在丸屋根は9個だが、建立当初は1個だった(直ぐに3個に増やされた)。皇帝皇后私的な参拝礼拝所として使用された。 この他、大聖堂広場クレムリン大宮殿には、総主教宮殿、ヴェルホスパスキー聖堂祭服教会)、テレムノイ宮殿付属教会、リゾポロジェーニエ教会十二使徒教会、ラザーリ教会がある。 大聖堂広場中心には、高さ81メートルイワン大帝鐘楼屹立している。1505年から1508年イタリア人建築家ポノフリアツィンによって建設され1532年鐘楼増築される21個の鐘があり、その一つウスペンスキーの鐘は、総重量70トンイワン雷帝鐘楼前には、全高6.1メートル直径6.6メートル重量200トン鐘の皇帝(鐘の王様ツァーリ・コロコル)が置かれている。さらに鐘楼の裏手、イワノフスカヤ広場面して大砲の皇帝大砲王様ツァーリ・プーシュカ)が置いてあるこの中世における世界最大カノン砲は、1586年ロシア兵器工アンドレイ・チョーホフによって鋳造され大砲である。砲身全長5.3メートル厚さ15センチ口径89センチ重量40トン怪物級である。但し、この大砲一度も発射されたことは無い。

※この「大聖堂」の解説は、「クレムリン」の解説の一部です。
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大聖堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/18 21:25 UTC 版)

ルッカ」の記事における「大聖堂」の解説

ルッカ大聖堂正式名称サン・マルティーノ大聖堂(cattedrale di San Martino))は、南城壁の近くに立地しており、その起源は6世紀で、現在の聖堂1070年アレクサンデル2世献堂よる。ファサード13世紀初頭のもので、後述サン・ミケーレ・イン・フォロ教会のそれと同じ人物グイデット・ダ・コモによる製作でルッカ様式見せる。 この聖堂は聖マルティーノの名を冠すだけに、ファサードには聖マルティーノ彫像が、またポーチ奥にその生涯の場面を描いた彫刻がある。 内部に様々な名物があり、ティントレット板絵最後の晩餐』、ヤコポ・デッラ・クエルチャによる、石棺の上に配置された『イラリア・デル・カッレットの彫像』、ドメニコ・ギルランダイオによる『聖母子聖人たち』などがあるが、1070年献堂当時に大聖堂に収められ中世に多くの巡礼集めた『ヴォルト・サント(イタリア語版)(聖顔)』は外せない。これは身廊建っている、マッテオ・チヴィターリ作の礼拝堂のさらに中に安置され木彫りキリストの磔刑像で、イエス遺体引き取って埋葬したニコデモの作といういわくつき聖遺物である(画像は「外部リンク」節の"Una scheda sul Volto Santo"を参照)。

※この「大聖堂」の解説は、「ルッカ」の解説の一部です。
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大聖堂(Munsterkerk)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 21:36 UTC 版)

ルールモント」の記事における「大聖堂(Munsterkerk)」の解説

後期ロマネスク様式の大聖堂。

※この「大聖堂(Munsterkerk)」の解説は、「ルールモント」の解説の一部です。
「大聖堂(Munsterkerk)」を含む「ルールモント」の記事については、「ルールモント」の概要を参照ください。

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