らいはい‐どう〔‐ダウ〕【礼拝堂】
れいはい‐どう〔‐ダウ〕【礼拝堂】
礼拝堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/03 00:35 UTC 版)
礼拝堂(れいはいどう)は、主にキリスト教建築の用語であり
- ^ a b c カトリック教会では、教会構内で主たる聖堂とは別個に存在する礼拝空間は「小聖堂」と呼ばれることが多い。カトリック河原町教会 「都の聖母」小聖堂、カトリック仙台司教区 元寺小路教会など。
- 1 礼拝堂とは
- 2 礼拝堂の概要
- 3 プロテスタントの礼拝空間
- 4 関連項目
礼拝堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/08 14:13 UTC 版)
「聖デイヴィッド大聖堂」の記事における「礼拝堂」の解説
内陣の東には、主教ヴォーンによる扇形ヴォールトのある聖三位一体礼拝堂 (Holy Trinity chapel) が隣接し、その祭壇および祭壇上の装飾は中世の断片により復元されたものである。また、ここに見られるオークの小箱(カスケット、casket)には、聖デイヴィッドと聖ユスティニアンの遺骨が納めらていると長らく信じられていた。 北翼廊 (North transept) 付近にある聖トマス・ベケットの礼拝堂 (St Thomas Becket's chapel) には、聖デイヴィッドを描いたステンドグラス(20世紀)がある。南翼廊 (South transept) には、カラスに食べ物を与えられたエリヤ(列王記第一17章6節)の17世紀のクレタ島のイコンがある。 大聖堂の東端の南側には、証聖者聖エドワードの礼拝堂 (Chapel of St Edward the Confessor) がある。ここに安置された墓(石棺)は、主教ジェンキンソン(John Banks Jenkinson、1825-1840年)の孫娘であるメイドストーン伯爵夫人のものである。ここからすぐ、1901 年に修復された聖母礼拝堂(英語版)に通じている。 聖三位一体礼拝堂 聖トマス・ベケット礼拝堂 証聖者聖エドワード礼拝堂 聖母礼拝堂(英語版)
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礼拝堂(らいはいどう)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 02:42 UTC 版)
創立60周年を記念して1985年(昭和60年)に造られた。平成29年まで巣鴨校舎にあった。本尊として平安時代の作品とされる国指定重要文化財である木造阿弥陀如来坐像が安置されていた。しかし、キャンパス再開発に伴い解体。令和2年9月、新8号館4階に礼拝ホールとしてオープンした。本尊の蓮台は新調された現代風のものに変更されている。 礼拝堂で使用されていた宮殿と須弥壇は、埼玉県美里町の真言宗智山派真東寺に譲渡された。
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礼拝堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 22:48 UTC 版)
大学は城内の2つの礼拝堂を広範囲に渡り使用している。1つは1078年頃建てられたノルマン様式のノルマン礼拝堂、もう1つは1540年に建てられたタンストールズ礼拝堂(ヘンリー8世時代のダラム司教カスバート・タンストールにちなむ)である。 ノルマン礼拝堂は、城の中で入れる部分としては最古の物である。現実にはアングロサクソン建築だが、礼拝堂を建てようとしてアングロサクソン人労働者が建設を強いられたためである。15世紀、礼拝堂内の3つの窓は、要塞部分拡張のため全てふさがれた。要塞部分から出入りする通廊として使われ出した1814年まで廃棄されたままだった。第二次世界大戦中、礼拝堂の元来の使用法を理解したうえで、礼拝堂はイギリス空軍の司令部と監視所として使われた。 戦後すぐに礼拝堂は聖化され、今も大学によって週課の場として使用されている。 タンストールズ礼拝堂は、先のノルマン礼拝堂よりも大きいことから頻繁に使われている。コジン司教とクルー司教は17世紀後半に礼拝堂を拡張した。礼拝堂後方には、16世紀の数席ある特免室(教会内で飲食の許された場所)がある。これらは、長時間立ったままの人が、上方にカーブした席の出っ張り上で休むことができるよう設計されている。
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礼拝堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 10:04 UTC 版)
チャーチ・ストリートは1803年に建設された、パラマタ最古のオーストラリア聖公会の教会である聖ヨハネ大聖堂より名付けられている。しかし、現在の建物はマッコーリー植民地総督時代、彼の妻であったエリザベスの勧めにより、イングランドのリカルヴァー(英語版)にあった教会をモデルとして建設された当初の大聖堂の位置にはない。聖ヨハネ墓地はオコンネル・ストリート付近にある。 聖パトリック大聖堂 (カトリック教会) はオーストラリアで最も古いカトリック教会の一つである。1836年に建設が開始され、1837年に完成した。1854年から改修工事が行われ、1880年にほぼ完成、1883年に尖塔の建築が完了した。この大聖堂は増加する入植者の要望に応える形で建設された。しかし1996年に火事により石壁部分を残してすべて焼失したため、2003年11月29日に新しい大聖堂が建設された。以前の聖パトリック大聖堂は北パラマタに位置していた。 オーストラリア連合教会の教会としては、リー記念教会 (Leigh Memorial Church) がある。 パラマタ救世軍は、オーストラリアにおける最古の救世軍である。 パラマタにはユダヤ教の会堂であるシナゴーグもあり、西シドニーにおけるユダヤ人コミュニティを形成している。 カウパー・ストリートには仏教寺院がある。 パラマタ市内のモスクはマーズデン・ストリートにある。 ヒンドゥー教の寺院はローズヒルのエレナー・ストリートにあり、ムルガンを祀る寺院がグレート・ウェスタン・ハイウェイを降りたメイズ・ヒルにある。
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礼拝堂
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「火焔聖母 〜The Virgin on Megiddo〜」の記事における「礼拝堂」の解説
清楚なシスターマドレーヌが祈りを捧げる場所。エドモン神父の前には石切神父がここを仕切っていた。
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礼拝堂(ウィハーン、wihan)
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「ワット・シーチュム (ラムパーン)」の記事における「礼拝堂(ウィハーン、wihan)」の解説
階段のある木材とコンクリートで構築された中央の礼拝堂は、層塔化した7層の屋根を備えており、その頂部には金色の相輪が立つ。
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礼拝堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/25 17:00 UTC 版)
ラッファダーリ各地区に合計およそ5つの礼拝堂がある。過去には礼拝者が多数詰めかけたが、現在はいずれも人が訪れず寂れている。旧市内の1箇所のみ今も礼拝者がある。
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礼拝堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 14:17 UTC 版)
衛兵の部屋から礼拝堂に行くドアの上には、聖母マリアの像がある。オーク材のドアはそれぞれキリストと聖トマスを表し、ヨハネによる福音書の言葉「Lay your finger here(指をここに置きなさい)」「You are my Lord and my God(我が主、我が神)」が表現されている。 近代作製(1954年)のステンドグラスの窓がマックス・イングランドによって造られているが、これはオリジナルの窓が1944年の爆破で破壊されたためである。右手廊下の聖母子は、カッラーラの大理石でミノ・ダ・フィエソールが作製した。 身廊を見下ろす位置にあるロイヤル・ギャラリーは、王妃がミサに出席した場所であり、1521年の記録がある。 祭壇の右手には美しく彫刻された祭器卓があり、ボイエの銘で飾られている。左壁にはメアリー・ステュアートのスコットランド衛兵が残した銘が残されている。入り口から右手に、1543年付けで「人の怒りは神の裁きをせず」、1546年付けでは「悪徳に身を任せるな」とある。 壁には宗教を主題とした絵がある。イル・サッソフェッラートによる「青いベールの聖母」、アロンゾ・カーノによる「フェルディナンドとイザベルの前で説教するジーザス」、ムリリョによる「パドゥヴァの聖アントニオ」、ジューヴェネによる「聖母の被昇天」である。 礼拝堂はフランス革命時にも、木の店にしようという当時の城主デュパン夫人の考えから救われた。
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礼拝堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/07 16:54 UTC 版)
「日本基督教団水口教会」の記事における「礼拝堂」の解説
設計 - ヴォーリズ建築事務所(ウィリアム・メレル・ヴォーリズ) 竣工 - 1930年 構造・規模 - 木造平屋建、スレート葺一部鉄板葺、建築面積130m2 特徴 - アメリカン・コロニアルスタイルの住宅を基礎とする。ラテン十字形の平面構成をもち、南北棟を切妻の大棟、直行する東西棟を礼拝堂とする。礼拝堂北側は和室が二室連続し、玄関西側には洋室の読書室が設置されている。室内は漆喰の壁と天井、木製の建具、堅固な柱や梁からなる重厚なつくり。 所在地 - 滋賀県甲賀市水口町城東3-21
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礼拝堂(十字架礼拝堂、ロフス礼拝堂、ヴァレンティン礼拝堂)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/12 03:12 UTC 版)
「オルペ」の記事における「礼拝堂(十字架礼拝堂、ロフス礼拝堂、ヴァレンティン礼拝堂)」の解説
十字架礼拝堂はまれにしか開放されないが、礼拝堂と同じ1753年に奉納された3基の印象的な彫刻祭壇を観ることができる。
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礼拝堂(登録名称:日本聖公会熊谷聖パウロ教会礼拝堂)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/22 02:53 UTC 版)
「日本聖公会熊谷聖パウロ教会」の記事における「礼拝堂(登録名称:日本聖公会熊谷聖パウロ教会礼拝堂)」の解説
焼過の煉瓦を効果的に用いた教会建築であり、造形の規範となるものとして登録された。
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礼拝堂(ウィハーン、wihan)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 09:50 UTC 版)
「ワット・チャーマテーウィー」の記事における「礼拝堂(ウィハーン、wihan)」の解説
この大きな建物は中部タイ様式で、妻側にはラーンナー様式の破風が施されている。礼拝堂内には、女王チャーマテーウィーの伝説を描いた現代の壁画がある。
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「礼拝堂」の例文・使い方・用例・文例
- 彼らは礼拝堂で朝のお祈りをする。
- この建物は非国教徒の礼拝堂として使われていた。
- 移住者たちは丸太で礼拝堂を建てた。
- その聖者の遺灰は礼拝堂の地下遺骨安置所に眠っている。
- システィナ礼拝堂は、1473年にバティカン宮殿内に建立された壮大な礼拝堂です。
- ミケランジェロがシスティナ礼拝堂の天井に人物画を描けるように、シェークスピアがセリフを書けるように、キーツが詩を書けるように、そうしたことのために無数の人々が生きて、苦しんで、死んだのはそれだけの価値があることのように思えたのだった。
- 王宮付属礼拝堂.
- 聖母マリアにささげられた礼拝堂.
- システィナ礼拝堂の「最後の審判」の絵に復元の手がはいった.
- 彼らは、システィナ礼拝堂の天井を改新した
- 聖別された礼拝堂
- 第二次世界大戦の死者にささげる礼拝堂
- 礼拝堂付き牧師の身分
- 礼拝堂で行われる礼拝
- ローマ法王の私的な礼拝堂
- 人または人々を賞賛するか、非難するために用いられる一種の小礼拝堂
- イタリア人の1471年から1484年までの教皇で、作品がスペインの異端審問の設立を承認し、システィナ礼拝堂を建てた(1414年−1484年)
- 学校などに付属するキリスト教礼拝堂
- 礼拝堂という施設
- システィナ礼拝堂という,バチカンにある礼拝堂
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