石棺 (せっかん)
石棺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/17 21:48 UTC 版)
石棺(せっかん、せきかん、英: stone coffinあるいはsarcophagus)は、石材で造られた棺。
当記事では世界各地の石棺について解説する。
概説
世界各地で、さまざまな時代で、石棺は用いられている。
たとえば古代エジプト、古代ギリシア、古代ローマ(ローマ帝国)、中世ヨーロッパで用いられている。
古代エジプトのエジプト新王国時代にはファラオが石棺に入れて埋葬されていたことが知られている。
「アレキサンダー大王の石棺」は、現在はトルコのイスタンブール考古学博物館に(実物が)展示されている[1]。
現代でもバチカンでは教皇が亡くなればその遺体は木製の棺に入れた上で石棺に納める[2]。
なお古代エジプト、古代ギリシア、古代ローマなどの石棺がサルコファガスと呼ばれている[3]。(つまり「古代エジプトのもの(だけ)をサルコファガスと呼ぶ」という主張は誤りである。)
中東の地にあった古代遺跡からは多くの石棺が発掘されてきた歴史がある。たとえばバビロニアの王たちの墓からは石棺が出土している。
フェニキアの地からは、紀元前850年ごろのものと推定されているアヒラム王の石棺も見つかっている。
また東アジアではカンボジア、中国、朝鮮半島、日本などの権力者によって石棺は用いられた。古代の中国・朝鮮半島・日本はいわばひとつの文化圏であり、それらの石棺には影響関係が認められる。
アメリカ大陸ではメソアメリカ文化で石棺が用いられた。ペルーのカラヒア遺跡からは、人型石棺(en:Sarcophagi_of_Carajía)が見つかった。マヤ文明のパレンケの地下遺跡でも石棺が発見されている。
もともとは彫刻などで装飾をほどこされたものを特にsarcophagusサルコファガスと呼んでいたが、彫刻をほどこしていない質素な石棺も「sarcophagusサルコファガス」と呼ばれることが増えている。
日本の石棺
本節内では、古代日本における石棺について説明する。
棺には、石棺の他に壺棺・甕棺・木棺・陶棺・乾漆棺などがある。
そのうち石棺は最も堅牢で密閉性に優れ、遺骸の保存に適している。 縄文・弥生・古墳の各時代に造られ使用された。
石棺には、天然の扁平な石を組み合わせただけのやや小型の箱式石棺と、石材を加工した大型の石棺とに分類することができる。
箱式石棺は大陸でも見られ、縄文時代後期に東日本で広がったものと弥生時代初期に稲作とともに北九州に渡来したものがある。
大型の石棺は弥生時代にも散見されるものの、主には古墳時代の特色とされている。
大型の石棺には、石材を刳り抜いたものと組み合わせたものがある。刳抜式の割竹形石棺・舟形石棺が4世紀後半に現れた。
5世紀には組合式の長持形石棺が近畿中央部を中心に広がり、中部九州や山陰・北陸・関東などでは舟形石棺が発達した。
6世紀には、近畿・九州・山陽・山陰・東海・関東の一部に、地方の特色を備えた独自の刳抜式や組合式の家形石棺が盛んに用いられ、7世紀に入っても一部で継続して使用された。
縄文時代の石棺 秋田県北秋田郡田代町本郷矢石館遺跡で5基発見されている。石棺を包含する土層と周辺から出土した土器から、これらは晩期のもと推定されている。青森県久原山野峠遺跡では6基発見されている。[4]
弥生時代の石棺
- 箱式石棺が発達した。
- 古墳時代の石棺
- 割竹形石棺(わりだけがたせっかん)割竹形木棺を真似て造られた石棺。
- 舟形石棺(ふながたせっかん)蓋・身ともに刳り抜き式で、割竹形石棺の変容形とも解されている。
- 長持形石棺(ながもちがたせっかん)長さ2 - 3メートルで、身は箱形の組合式。
- 家形石棺(いえがたせっかん)身は箱形で、蓋は屋根形をしている。
日本の節の参考文献
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- 江坂輝彌・芹沢長介・坂詰秀一編『新日本考古学小辞典』ニュー・サイエンス社 2005年 ISBN 4-8216-0511-2
- 斎藤忠『日本考古学用語辞典 改訂新版』学生社 2004年 ISBN 978-4-311-75033-5
- 田中琢・佐原真編『日本考古学事典』三省堂 2003年 ISBN 978-4-385-15835-8
- 永原慶二監修 石上英一他編集『岩波 日本史辞典』岩波書店 1999年 ISBN 978-4-00-080093-8
日本の節の関連項目
脚注
- ^ イスタンブール/考古学博物館の写真 - 旅行のとも、ZenTech
- ^ 教皇の遺体を納める棺とは? | カトリック中央協議会
- ^ [1]
- ^ 斎藤忠『日本考古学用語辞典 改訂新版』学生社 2004年 248ページ
石棺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/22 22:26 UTC 版)
石室のほぼ中央で右側壁に近接して、刳り抜き式の家形石棺が置かれていた。蓋部の長辺に各2、短辺に各1の縄掛け突起が付いている。縄掛け突起は蓋の傾斜面につき、小さく扁平で実用機能をもたない。蓋部の南東隅はちょうど人が入りこめるほどに破壊され、盗掘を物語っている。棺身は、上縁の長辺238センチ、同短辺131センチ、基底の長辺238センチ、同短辺125センチ、高さ68センチ、刳り抜きの深さ46センチである。蓋は長辺251センチ、短辺143センチ 、高さ43センチ 刳り抜きの深さ16センチで、長辺、短辺とも中央がわずかにふくらんでいる。石材は貝殻石灰岩でこうもり塚古墳の石棺と同じである。
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石棺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 15:11 UTC 版)
後円部中央には緑泥片岩の平石積みによる古式の横穴式石室があり、内部に横口式組合式家形石棺が安置されている。蓋は寄棟造で底辺長2.8メートル、妻側に縄掛突起が造り出されている。身は4枚の板石を組み合わせており、高さ1.4メートル・長さ2.3メートルである。石棺蓋には直弧文や重圏文が浮き彫りされ、さらに丹彩されているが、これは最古期の装飾古墳として重要である。石室は江戸時代に開口され天井部は失われているが、保護施設に覆われておりのぞき込むようにして見学できる。
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石棺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 03:19 UTC 版)
王の間には、花崗岩製の簡素な棺が置かれている。長さ2.28m、幅0.98m、高さ1.05mで、入口よりも大きいため完成前に封入されたと考えられる。アスワンの石切場から運ばれた花崗岩で作られたもので表面の装飾はまったく、蓋も見つかっていない。古代エジプトにおいて、花崗岩をくり抜いて作られた初めての棺と考えられる。当時は鉄や青銅の道具はなく銅で作られた円筒状の鋸で砂を撒きながら掘り削られたと考えられている。1999年に行われた実験考古学により、こうした形状に加工する為には延べ28000時間、9年が掛かったと推定されている。
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石棺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 00:13 UTC 版)
昭和41年頃に境内で発見されたもので、九州阿蘇山の溶結凝灰岩で作られた古墳時代中期後半 (五世紀)の舟形石棺の底部である。このことから、この山全体が古墳ではないかと推定されている。
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石棺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 14:11 UTC 版)
「新安全閉じ込め構造物」の記事における「石棺」の解説
従来の安全閉じ込め構造物は公式には「オブジェクト・シェルター("Object Shelter")」という名称であるが、一般には「石棺("the sarcophagus")と呼ばれている。これは1986年5月から11月にかけて、チェルノブイリ原子力発電所(ChNPP)4号機に残された放射性物質を封じ込めるために緊急に設置されたものである。建設は極めて高線量の環境において極めて厳しい時間制約のもと進められた。石棺によって放射能汚染の封じ込めに概ね成功し、損壊した原子炉のモニタリングが行えるようになった。 石棺は一部損壊した4号機原子炉建屋を支えにして建てられているが、原子炉建屋自体が事故時の爆発により構造的に不健全な状態になっていることが懸念されていた。石棺の屋根は主に3つの構造部材で支えられている。東西に走る2本の梁(B-1およびB-2と呼ばれる)が天井パネルと桟木を支持しており、さらに東西方向の最長部に架けられた「マンモス・ビーム」と呼ばれる強度の高い梁が天井パネルと桟木の支持を補助している。石棺の屋根は南北方向に水平に並べた直径1mの鋼管と、そこにアングルを介して取り付けられた鋼板で作られている。 石棺の南側の壁面は屋根から延びる鋼板で、垂直から約15度の傾斜がつけられている。東側は原子炉建屋そのもので、北側は原子炉建屋とコンクリートセグメントが組み合わされている。西側は補強のため控え壁を設けたコンクリート壁になっている。西側の壁は構造が複雑なため放射線量の高い現地では組み立てられず、別の場所で組み立てたものを遠隔操作のタワー型クレーンで取り付ける方式で建設された。石棺の写真として紹介されるものの多くは、控え壁のある西側を写したものである。 よく勘違いされることであるが、石棺は恒久的な閉じ込め構造物として設けられたものではない。雨水による腐食や内部の放射性物質からの放射線により劣化が進んでおり、放射性物質が環境中に漏れ出す危険性が高まりつつある。2007年以前から屋根や屋根へのアクセス通路、集塵装置や長期モニタリングシステムなどが設置されてきたものの、4号機に残された放射性物質を将来に渡って閉じ込め続けるためには、石棺の大規模な修繕あるいは交換が必要な状態になってきた。4号機の建屋内部には、事故当時に内部にあった放射性物質のうち95%が残っていると見積もられている[要出典]。
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石棺
「石棺」の例文・使い方・用例・文例
- 家の形をした石棺
- 石棺
- 古墳時代において,板石を組み合わせて箱形に組み蓋をした石棺
- 舟形の石棺
- 割竹型石棺という石棺
- 組み合わせ式石棺墓という,弥生時代の墓
- 刳り抜き式家型石棺という,古墳時代の石棺
- パルミラ遺跡で石棺の彫像を発見
- 奈良のパルミラ遺跡調査団が10月28日,シリアのパルミラ遺跡の中にある墓地から石棺を発見したと発表した。
- 石棺の上には石像がついている。
- 調査団は,石棺は西暦2世紀後半から3世紀初めに作られたと考えている。
- 調査団によると,墓地内の小さな部屋の中に3基の石棺が3面の壁に沿って配置されていた。
- 正面の石棺の上には主人と妻子,主人の兄弟とその妻を表していると見られる5体の彫像がある。
- 他の2つの石棺の上には夫婦とその子どもの像がある。
- 調査団は2003年に石棺の中を調査する予定である。
石棺と同じ種類の言葉
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