石棺の発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/20 16:28 UTC 版)
1923年後半にビブロス(今のレバノンのジュベイル)の町を囲むがけのがけ崩れによって、多数のフェニキアの王墓があらわになった。アヒラムの墓は10メートルの深さがあった。 アヒラム王の石棺はフランスのエジプト学者ピエール・モンテによって1923年に発見された。浅浮き彫りによって彫刻が施された石板は、この石棺を「初期鉄器時代のフェニキアの主要な芸術的記録」にした。伴出品が後期青銅器時代に属することは、石棺がより早い紀元前13世紀に属するという説を支持するものか、またはより早い時代のシャフト(竪穴)墓を鉄器時代に再利用したことを実証する。 主要な情景は、翼をもつスフィンクスが彫られた玉座に座る王を描いている。女性の祭官が王にハスの花を捧げている。石棺の蓋には2人の男性像が向きあっており、その中間には座ったライオンたちが描かれている。Glenn Markoeはこれらの像を碑文に記された父と子を表したものと解釈している。人物像の描きかたや、玉座と机のデザインはアッシリアの強い影響を示す。エジプト第20王朝と第21王朝の影響がフェニキアにまったく見られないことは、エジプト第22王朝におけるフェニキアとエジプトの間の関係回復と鋭い対照をなす。
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