小見真観寺古墳とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 建物・施設 > 遺跡 > 古墳 > 日本の古墳 > 小見真観寺古墳の意味・解説 

小見真観寺古墳

名称: 小見真観寺古墳
ふりがな おみしんかんじこふん
種別 史跡
種別2:
都道府県 埼玉県
市区町村 行田市小見
管理団体 行田市(昭6・420)
指定年月日 1931.03.30(昭和6.03.30)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 前方圓型墳丘ニシテ俗ニ觀音嶽ト称ス 主軸西々北ニ向ヒ封土左側部及前後頂部共ニ削平セラレ右側部ハ旧規ヲ存ス主軸全長三百三十三尺前方ノ高サ二十一尺後圓ノ高サ約二十二後圓部頂部ヨリ深サ約九尺ノ所ニ孔口ヲ南面セル石槨露出セリ寛永年間觀音堂創建ノ際発掘セシト傳ヘラル緑泥片岩板石ヲ以テ築カレ前後二室ヨリナル後室ニハ組合石棺ノ置カレタル痕迹ヲ存セリ石槨北方ニ当リ後圓ノ頂部ノクビレ部ニ接セルニモ緑泥片岩ヲ以テ築カレタル單室ノ石槨アリ其ノ孔口北面セリ 明治十三年ノ発掘ニ係リ甲冑刀劍銅鋺土器等ヲ出セリ
史跡名勝記念物のほかの用語一覧
史跡:  小田良古墳  小田茶臼塚古墳  小菅修船場跡  小見真観寺古墳  小谷城跡  小迫辻原遺跡  小郡官衙遺跡群

小見真観寺古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/11 14:49 UTC 版)

小見真観寺古墳
墳丘
(左に前方部、右に後円部・真観寺本堂)
所属 小見古墳群
所在地 埼玉県行田市小見1124
真観寺境内)
位置 北緯36度9分34.77秒 東経139度28分35.65秒 / 北緯36.1596583度 東経139.4765694度 / 36.1596583; 139.4765694座標: 北緯36度9分34.77秒 東経139度28分35.65秒 / 北緯36.1596583度 東経139.4765694度 / 36.1596583; 139.4765694
形状 前方後円墳
規模 墳丘長102m
高さ8m(後円部)
埋葬施設 横穴式石室1基(内部に箱式石棺?)
箱式石棺1基
出土品 銅鋺・装飾付大刀・金環・銀装刀子・甲冑・鉄鏃ほか
築造時期 6世紀末-7世紀初頭
史跡 国の史跡「小見真観寺古墳」
地図
小見
真観寺古墳
テンプレートを表示

小見真観寺古墳(おみしんかんじこふん)は、埼玉県行田市小見にある古墳。形状は前方後円墳小見古墳群を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている。

概要

埼玉県北部、星川西岸の加須低地の南東縁辺部(標高19メートル)に築造された大型前方後円墳である[1]。一帯に分布する小見古墳群のうちでは中心的な盟主墳になる。現在は真観寺境内の本堂背後に所在する。寛永11年(1634年)に石室が発見されたのち、1880年明治13年)に新たに石棺が発見されて副葬品が出土している。

墳形は前方後円形で、前方部を北西方向に向ける。墳丘外表における埴輪の有無は不明[1]。墳丘周囲における周溝の様相も詳らかでないが、前方部北側における調査の際に溝が確認されている[1]。埋葬施設は後円部における横穴式石室(第1主体部)・箱式石棺(第2主体部)各1基である。いずれも緑泥片岩の板石を組み合わせて構築されており、第1主体部の副葬品は詳らかでないが、第2主体部からは人骨や銅鋺・装飾付大刀のほか金環・銀装刀子・甲冑・鉄鏃など多数の副葬品が出土している。

築造時期は、古墳時代後期-終末期6世紀末-7世紀初頭頃と推定される[1]。近在の埼玉古墳群では将軍山古墳をもって大型前方後円墳の築造を終えており[2]、行田市内では最後の前方後円墳として位置づけられるとともに、当該時期としては埼玉県内で最大規模の古墳として重要視される[1]。被葬者としては武蔵国造との関係が推測される[1]

古墳域は1931年(昭和6年)に国の史跡に指定されている。

遺跡歴

墳丘

墳丘の規模は次の通り[1]

  • 墳丘長:102メートル
  • 後円部
    • 直径:55メートル
    • 高さ:8メートル
  • 前方部
    • 幅:48メートル
    • 高さ:7メートル

周溝の様相は詳らかでないが、前方部北側における調査で幅約6.7メートル・深さ約0.57メートルの溝が確認されている[1]。この溝からは埴輪緑泥片岩などが出土しているが、近在の虚空蔵山古墳からの混入の可能性がある[1]

埋葬施設

埋葬施設としては、後円部において横穴式石室1基(第1主体部)、箱式石棺1基(第2主体部)の2基が構築されている。

第1主体部(後円部石室)

第1主体部(後円部石室)俯瞰図
第1主体部(後円部石室)展開図

第1主体部(後円部石室)は、後円部南側における横穴式石室で、南南西方向に開口する。玄室・前室からなる複室構造の石室である。石室の規模は次の通り[1]

  • 石室全長:現存5.42メートル
  • 玄室:長さ2.62メートル、幅2.33メートル、高さ2.02メートル
  • 玄門:幅0.68メートル
  • 前室:長さ2.41メートル、幅2.24メートル、高さ2.33メートル

石室の石材は緑泥片岩の板石。玄門は板石1枚を刳り抜いて構築される。玄室・前室の床面は緑泥片岩の1枚石であり、特に玄室の床面には奥壁に平行する溝4本が認められることから、箱式石棺を造り付けたとみられる。前室の前には羨道が付設されていたとみられるが、現在は失われている[1]

寛永11年(1634年)に露出・発見されているが、副葬品は明らかでない。

第2主体部(鞍部石棺)

第2主体部(鞍部石棺)

第2主体部(鞍部石棺)は、後円部鞍部における箱式石棺である[1](かつては横穴式石室とされた[2])。現在は長さ2.8メートル・幅1.76メートル・高さ1.12メートルを測る。石棺の石材は緑泥片岩の板石で、蓋石には板石2枚が用いられたとみられる[1]

1880年(明治13年)に発見されており、その際に人骨のほか金環3・頭椎大刀2・圭頭大刀1・銀装刀子1・挂甲小札若干・衝角付冑1・蓋脚付銅鋺1・鉄鏃50以上・革片2・布片・木片などの副葬品が出土している(現在は東京国立博物館保管)[1]

文化財

国の史跡

  • 小見真観寺古墳 - 1931年(昭和6年)3月30日指定。

関連施設

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 史跡説明板。
  2. ^ a b 埼玉県の地名 1993.

参考文献

(記事執筆に使用した文献)

関連文献

(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 大野延太郎「武藏北埼玉郡小見ノ古墳」『人類學雜誌』第14巻第156号、日本人類学会、1899年、224-227頁。 
  • 小見眞觀寺古墳」『史蹟調査報告』 第七輯、文部省、1935年。  - リンクは国立国会図書館デジタルコレクション。
  • 『新編埼玉県史』 資料編2、埼玉県、1982年。 
  • 塩野博『埼玉の古墳』 北埼玉・南埼玉・北葛飾、さきたま出版会、2004年。 
  • 増田一裕「小見真観寺古墳・八幡山古墳」『武蔵と相模の古墳』 季刊考古学別冊15、雄山閣、2007年。 

関連項目

外部リンク




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「小見真観寺古墳」の関連用語

小見真観寺古墳のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



小見真観寺古墳のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2025 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの小見真観寺古墳 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS