妙感寺本堂(観音堂)
名称: | 妙感寺本堂(観音堂) |
ふりがな: | みょうかんじほんどう(かんのんどう) |
登録番号: | 25 - 0204 |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
構造: | 木造平屋建、瓦葺、建築面積46㎡ |
時代区分: | 昭和前 |
年代: | 昭和12 |
代表都道府県: | 滋賀県 |
所在地: | 滋賀県湖南市三雲1758 |
登録基準: | 造形の規範となっているもの |
備考(調査): | |
施工者: | |
解説文: | 木造3間四方,入母屋造本瓦葺の堂宇。東面して平入とする。昭和12年の建築で,設計は当時京都帝国大学の講師であった藤原義一が当たった。内部は板敷とし,正側面三方に濡縁を廻らす。禅宗様を基調とする本堂で,中世の趣を伝える建築である。 |
観音堂
名称: | 観音堂 |
ふりがな: | かんのんどう |
名称(棟): | |
名称(ふりがな): | |
番号: | 2321 |
種別1: | 近世以前/寺院 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 1995.12.26(平成7.12.26) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
代表都道府県: | 京都府 |
都道府県: | 京都府船井郡和知町字下粟野 |
所有者名: | |
指定基準: | (三)歴史的価値の高いもの (五)流派的又は地方的特色において顕著なもの |
管理団体名: | 和知町 |
管理団体住所: | 京都府京都府船井郡和知町字本庄小字ウエ16 |
管理団体指定年月日: | 1997.02.13(平成9.02.13) |
構造形式: | 桁行五間、梁間五間、一重、寄棟造、茅葺(鉄板仮葺) |
時代区分: | 室町後期 |
年代: | 天文8以前(1539以前) |
解説文: |
観音堂
名称: | 観音堂 |
ふりがな: | かんのんどう |
名称(棟): | |
名称(ふりがな): | |
番号: | 1468 |
種別1: | 近世以前/寺院 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 1960.06.09(昭和35.06.09) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
代表都道府県: | 福島県 |
都道府県: | 福島県南会津郡下郷町大字観音前 |
所有者名: | 旭田寺 |
指定基準: | |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 桁行三間、梁間三間、一重、寄棟造、茅葺形銅板葺 |
時代区分: | 室町前期 |
年代: | 嘉慶2頃(1388頃) |
解説文: | 嘉慶二年(一三八八)ごろの造立で、簡素な堂である。会津地方では例の少い古い建築で、保存もよい。 |
観音堂
名称: | 観音堂 |
ふりがな: | かんのんどう |
名称(棟): | |
名称(ふりがな): | |
番号: | 1090 |
種別1: | 近世以前/寺院 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 1946.11.29(昭和21.11.29) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
代表都道府県: | 山梨県 |
都道府県: | 山梨県北都留郡小菅村長作 |
所有者名: | 長作観世音礼拝所 |
指定基準: | |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 桁行三間、梁間四間、一重寄棟造、銅板葺 |
時代区分: | 鎌倉後期 |
年代: | 鎌倉後期 |
解説文: |
観音堂
観音堂
観音堂
観音堂
観音堂
観音堂
観音堂
観音堂
観音堂
観音堂
観音堂
観音堂
観音堂
観音堂
姓 | 読み方 |
---|---|
観音堂 | かんおんどう |
仏堂
(觀音堂 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/28 14:33 UTC 版)
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仏堂(ぶつどう)とは、仏教寺院において仏像を安置し、礼拝供養するための建物である。境内以外に単独で建てられたものは境外仏堂(けいがいぶつどう)ということがある。
概略
仏教が中国に伝来し、寺院が建立され始めた紀元前2世紀には、既に寺院を構成する建物として仏舎利を祀る塔と共に仏堂が建立されていたようである。以降、仏教の浸透と共に、塔が伽藍の中心から周辺部へと次第に追いやられていくのに対し、仏像を祀る仏堂は寺院において最重要な建物となり、基本的に寺院の中心部に建立されるようになった。
仏堂は1つの寺院内に多数建立される場合も多く、その性格、寺院内での位置、安置する仏像の名称などによって、「金堂」(こんどう)、「本堂」、「釈迦堂」、「薬師堂」、「阿弥陀堂」、「観音堂」、「文殊堂」、「地蔵堂」などさまざまな名称で呼ばれる。
本尊仏安置の仏堂
日本では一山の本尊を安置する、寺院の中心的な堂を指して「本堂」あるいは「金堂」という場合が多い。
「本堂」は日本の仏教寺院の中心堂宇としてもっとも一般的な名称である。
「金堂」という名称は、飛鳥時代から平安時代創建の寺院で多く使われている。なお、奈良時代創建の寺院でも、新薬師寺、西大寺のように現在は「本堂」という名称を使用しているところもある。また、室生寺、當麻寺のように「金堂」と「本堂」が別個に存在する寺院もある。
「仏殿」という名称は、『日本書紀』にも見え、仏堂一般を指す語として用いられる場合もあるが、日本では主に禅宗寺院の本尊(多くは釈迦如来)を安置する堂の名称として使われている。ただし、泉涌寺のように禅宗以外の寺院でも「仏殿」を称するところもある。また、禅宗寺院においても中心堂宇を「本堂」と称する例があり、特に方丈形式の建築を指して「本堂」ということが多い。
また、天台宗の中心寺院である延暦寺では本堂にあたる建物を「根本中堂」と称する。延暦寺と同じ天台宗の寺院も、本堂を根本中堂と称する例がいくつか見られる。(寛永寺、立石寺、清水寺など)
他に萬福寺のような黄檗宗寺院や長崎の唐寺などでは、大陸風の「大雄宝殿」(だいおうほうでん、だいゆうほうでん)という名称を用いる場合もある。
特記事項
備後地方では江戸時代より水野藩の指導により各地区に辻堂と呼ばれる建物が多数作られ、後に地蔵菩薩や観音像が持ち込まれて仏堂として今日に残されている[1][2]。四国地方にも似たような仏堂が山間部を中心に残されている[3][4]。
脚注
- ^ 広島文化大百科 文化資源詳細情報「辻堂」 広島県 2017年9月27日閲覧
- ^ 「憩亭」100ヵ所紹介 福山の秋山さん自費出版 旅人が休息 写真、エッセーで 2017年06月23日 夕刊-03版 3頁 山陽新聞夕刊 写有 (全970字)
- ^ 「阿波の辻堂の習俗」文化庁 文化遺産オンライン 2017年9月27日閲覧
- ^ 「讃岐の茶堂の習俗」文化庁 文化遺産オンライン 2017年9月27日閲覧
出典
- 藤田勝也・古賀秀策『日本建築史』昭和堂、1999年4月。ISBN 4-8122-9805-9
関連項目
観音堂(本尊:如意輪観音)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 22:52 UTC 版)
「乙寶寺」の記事における「観音堂(本尊:如意輪観音)」の解説
地蔵堂の手前の石段を上がる。越後三十三観音霊場のひとつ。1803年に建立。
※この「観音堂(本尊:如意輪観音)」の解説は、「乙寶寺」の解説の一部です。
「観音堂(本尊:如意輪観音)」を含む「乙寶寺」の記事については、「乙寶寺」の概要を参照ください。
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