関ヶ原古戦場とは? わかりやすく解説

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関ヶ原古戦場
附 徳川家康最初陣地
徳川家康最後陣地
石田三成陣地
岡山烽火場
大谷吉隆墓
東首塚
西首塚

名称: 関ヶ原古戦場
 附 徳川家康最初陣地
 徳川家康最後陣地
 石田三成陣地
 岡山烽火場
 大谷吉隆墓
 東首塚
 西首塚
ふりがな せきがはらこせんじょう つけたりとくがわいえやすさいしょのじんち とくがわいえやすさいごのじんち
いしだみつなりじんち おかやまのろしば おおたによしたかはか ひがしくびづか にしくびづか
種別 史跡
種別2:
都道府県 岐阜県
市区町村 不破郡関ヶ原町
管理団体 関ヶ原町(昭6・421)
指定年月日 1931.03.30(昭和6.03.30)
指定基準 史2,史7
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 関ヶ原古戰塲ハ殆ド関ヶ原平野全部ニ亘リソノ地域廣汎ナルノミナラズ市街地工塲地及停車塲等ソノ間ニ散在セルヲ以テ今史蹟トシテハ特ニ関ヶ原平野西端部ヲ占ムル開戰地ト决戰地トヲ指定スルニ止メタリ
開戰地ハ慶長五年九月十五日朝東軍先鋒福島正則天満山南麓ニ陣セル宇喜多秀家挑戰シタル地点ヨリ小西行長島津義弘西軍諸將東軍攻撃ニ対シ激戰シタル天満山東麓ニ至ル地域ニカヽレリ决戰地同日午後小早川秀秋反旗ヲ飜シタル大谷吉隆戰死小西宇喜多両軍マタ破レ石田三成ガ島義弘ト共ニ最後ノ决戰ヲ試ミタル笹尾山下一帶ノ地タリ両軍戰地共ニ関ヶ原驛ヲ西ニ距ルコト七八町ノ間ニアリ
徳川家康最初陣地桃配山関ヶ原駅ヨリ東約十四町ノ処ニアル丘陵地ニシテノ幼生育セリ
徳川家康最後陣地関ヶ原駅西北六町北國街道右側ニアリ天保十二幕命ニ依リ領主竹中氏ノ造リシ土壘土壇アリ
石田三成笹尾山陣地関ヶ原駅西北十町ニ在リ相川山麓ノ小丘ニシテ全山小芝ヲ生ジ松樹茂生セリ
岡山烽火塲ハ関ヶ原駅ノ北三町ニアリ東西両軍陣地一眸ニ集メ得ベキ地点ナリ
大谷吉隆墓関ヶ原駅ノ西約二十町ノ処ニアリ吉隆戰沒後程ナク藤堂家ヨリテタル五輪石塔ニシテ高サ約三尺四寸アリ
東首塚関ヶ原駅西北五町ニアリ周囲五間高サ五尺圓塚ニシテ雜木生育シ塚側ニ碑石標柱建設セリ
西首塚関ヶ原駅ノ西五町ニアル一小塚ニシテソノ上ニ三本ノ老アリ前面ニ小觀音堂二宇ヲ存セリ

関ヶ原古戦場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 23:32 UTC 版)

関ヶ原の戦い」の記事における「関ヶ原古戦場」の解説

関ケ原町岐阜県は、古戦場観光活用するためのPR活動整備進めており、JR関ケ原駅では東軍西軍主な武将氏名書かれた、「古戦場の町関ヶ原」と題する看板掲げられている。がまた欧米有名な戦地であるゲティスバーグアメリカ合衆国)やワーテルローベルギー)と「姉妹古戦場協定」を結んでいる。

※この「関ヶ原古戦場」の解説は、「関ヶ原の戦い」の解説の一部です。
「関ヶ原古戦場」を含む「関ヶ原の戦い」の記事については、「関ヶ原の戦い」の概要を参照ください。

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