あお‐せん〔あを‐〕【青線】
青線
青線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/08/24 10:07 UTC 版)
青線(あおせん)とは、1946年1月のGHQによる公娼廃止指令から、1957年4月の売春防止法の一部施行(1958年4月に罰則適用の取締りによる全面実施)までの間に、非合法で売春が行われていた地域である。青線地帯、青線区域ともいわれる。
失われゆく戦後レトロ建築・遊郭赤線跡としての価値が見直される中、複数の文化人や写真家による記録活動が行われている。
赤線と青線
赤線と青線の違い
警察署では、特殊飲食店として売春行為を許容、黙認する区域を地図に赤い線で囲み、これら特殊飲食店街(特飲街)を俗に「赤線(あかせん)」「赤線地帯」「赤線区域」と呼んだ。
特殊飲食店の営業許可なしに、一般の飲食店の営業許可のままで、非合法に売春行為をさせていた区域を地図に青い線で囲み、俗に「青線」「青線地帯」、「青線区域」と呼んだ。
説明
小学館『日本国語大辞典(第二版)』によると、「青線区域」を「警察などの地図に青線で示したところからいう」と、赤線地帯とは別に警察が地図上で区分している様な記述がなされている。
米川明彦によると、青線は「もぐりの集団売春地帯を指す俗称」で、毎日新聞記者の造語としている[1]。
小野常徳によると、「戦後新宿花園町の一画に満州からの引揚者が陣どって、階下が料理屋で二階で売春していたのを(中略)毎日新聞の記者が(中略)書き出した」とし、警視庁記者クラブ「7社会」記者の造語としている[2]。
都筑道夫によると、「公認はされなかったが、既成事実を楯にして、いわばお目こぼしを願っていたわけですな。赤線地帯と区別するのに、どう呼ぶべきか、という話が出たとき、警視庁づめの新聞記者のひとりが、青線はどうだ、といったのが始まりだそうだ。(中略)青線はあくまでも飲み屋という名目だから、一階にはカウンターがあって酒を飲ませて、二階が売春の場所になっていた」としている[3]。
出現時期
名称の使用時期について、竹村民郎は警視庁編さん委員会編『警視庁史 昭和中編(上)』を引用し、青線地域が出現したのは戦後の1948年としている[4]。
消えゆく都市の裏昭和史
富山市の風俗街(遊廓跡)の一部、
青森県青森市古川一丁目にある青森駅前の第三新興街。青森駅周辺の都市再開発が進むなかにあって、昭和中期の面影を色濃く残す「レトロ遺構」として広く知られる。近年では、著しい老朽化と廃墟化が進行している[5]。
神奈川県横浜市中区の横浜親不孝通り・黄金町・曙町 (横浜市)の一部
神奈川県横須賀市横須賀ドブ板通り・安浦と皆ヶ作の旧カフェー街
東京都豊島区の池袋駅周辺飲み屋街、立教大学の正門前(通称、美人街)
都内・近郊の青線跡と色街
八木澤高明『青線―売春の記憶を刻む旅』(スコラマガジン、2015年)によると、歌舞伎町と新宿ゴールデン街の他として、町田の通称「たんぼ」と相模原市側スケベハウスと、東電OL殺人事件もあった神泉から円山町、大和田横町を挙げている。
細木数子によると、弟の出身地である渋谷百軒店路地や円山町の飲食店街も青線地帯であったとしている[6]。
色街写真家である紅子によると、自身の写真集『紅子の色街探訪記』において、深夜の第三新興街の現役青線建築群の様子を作品『現役の青線第三新興街・深夜』として収録している[7]。
米川明彦によると、歌舞伎町と花園町(今の三光町)など、都内に6ヵ所あった。
都筑道夫によると、新宿二丁目、三光町、歌舞伎町、武蔵野、北品川、亀有の6ヵ所があったと指摘している。この6ヵ所とは、東京都新宿区新宿一丁目(現・新宿二丁目の一部)、歌舞伎町の一部、新宿花園街(花園町の飲み屋街)三光町・現新宿ゴールデン街、武蔵野市旧武蔵野八丁目(現・中町二丁目、八丁特飲街跡。吉祥寺武蔵八丁街とも呼ばれるが最寄は三鷹駅北口)、北品川(現・品川区北品川一丁目の一部)、亀有(現・葛飾区亀有四丁目の一部)、とされている。
小松奎文によると、「営業許可区域が警察署の地図上に赤い線で記されたことから、この地域は通称『赤線地帯』略して『赤線』と呼ばれた。またこの地域の周辺には、赤線に向かわせるために男達を呼びとめる地帯が形成され、『青線地帯』と呼ばれた」とする[8]。
小林信彦によると、「飲食店の営業許可を得て、赤線と同じ売春を行なっていた地域(中略)赤線との差は、酒中心」とする[9]。
榊原昭二によると、飲食店の営業許可だけで、実質的には売春兼業をしている飲食店街とする[10]。
布施克彦によると、「バー、キャバレーなどの飲食店が集中し、ホステスとの即席恋愛あり。赤線と違って非合法の風俗地帯だが、食品衛生法に則り保健所の許可を得て営業していた。赤線は性病対策が万全だが、青線はちょっとやばい。でも料金は安い」とする[11]。
法制度上の位置づけ
青線の実態と形態
店の形態は食堂や居酒屋などであり、通常は飲食店として酒や料理などを客に提供していた。しかし、裏では女性のウェイターや酌婦を置き、別室で女性に非合法な売春を行わせていた。また、一般旅館を装い、街娼を使って売春を行わせる業者も存在した。
赤線との制度的違いと地理関係
赤線地帯で特殊飲食店として営業するためには、当時の風俗営業法に基づき警察の許可を得る必要があった。一方、青線地帯の店は食品衛生法に基づく保健所の飲食店営業許可のみを取得した、名目上の飲食店形態をとっていた。こうした(青線の)飲食店や旅館が集まる青線地帯は、一般的に赤線地帯に隣接していた。
売春防止法施行後の変化と現在
売春防止法の施行後、青線地帯では経営者が変わりつつも、引き続き飲食店として営業を続ける店舗が存在した。また、売春(本番)行為を伴わない風俗店へと業態転換した店や、現在も「ちょんの間」と呼ばれる青線の名残を残す非合法な店も一部存在する。
公娼と私娼
1946年1月21日、GHQから「日本における公娼制度廃止に関する連合国最高司令官覚書」が発せられた。
1947年1月15日、ポツダム命令の「婦女に売淫をさせた者等の処罰に関する勅令」(勅令第9号)が施行され、事実上公娼制度が廃止された。
管理売春ではなく自由意志による売春であることを前提に、娼婦が他業種へ転向するまでの暫定措置として、特殊飲食店が集まる赤線地帯に限って売春が許容・黙認されていた。
その他
当時、週刊誌などでは素人売春を指す「白線(パイセン)」、暴力団が仕切る「黒線(クロセン)」、電話で呼び出して行う売春を指す「黄線(オウセン / イエローライン)」といった造語・通称が使われることもあったが、これらは広く定着するには至らなかった。
脚注
- ↑ 米川明彦編著『明治・大正・昭和の新語・流行語辞典』(三省堂、2002年、166ページ)
- ↑ 「性風俗取締りの変遷-小野常徳氏に聞く」『性・思想・制度・法 ジュリスト増刊』1970年
- ↑ 都筑道夫『昨日のツヅキです』(新潮文庫、1987年)
- ↑ 竹村民郎「赤線」:井上章一・関西性欲研究会『性の用語集』(講談社現代新書、2004年)に収録
- ↑ フリート横田 (2023年12月10日). “「残ったのは2軒だけ。みんな亡くなった」青森駅前にポツンとある“ボロボロの歓楽街”…地元民に聞いてわかった「昭和の秘境」の“意外な歴史” 酒と色が混ざり合う「第三新興街」 (2ページ目)”. 文春オンライン. 2026年7月27日閲覧。
- ↑ 溝口敦『細木数子 魔女の履歴書』(講談社+α文庫、2008年)
- ↑ “第三新興街”. インスタグラム (2023年4月25日). 2026年7月27日閲覧。
- ↑ 小松奎文編著『いろの辞典(改訂版)』(文芸社、2000年、22ページ)
- ↑ 小林信彦『現代〈死語〉ノートII-1977~1999-』(岩波新書、2000年、216-217ページ)
- ↑ 榊原昭二『昭和語-60年世相史』(朝日文庫、1986年)
- ↑ 布施克彦『昭和33年』(ちくま新書、2006年、146-147ページ)
参考文献
関連項目
青線(あおせん)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 05:50 UTC 版)
特殊消防官の通称。防火服に巻かれた青い発光体からそう呼ばれる。炎や煙など視界の悪い火災現場で仲間の所在を確認するための重要な意味を持つ。
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